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どうせダメだよと言わないで

この曲がどのようにして出来たのかを話すことは、僕にとっては少し心が痛むことかも知れません。また独断と偏見があるかも知れません。
 
でもここでは勇気を持って語りたいと思う。
 
音楽を作る人間は、色んな種類の音楽や好きなバンドの曲を聴き、そこから自分の土壌のようなモノができていくのだと思います。その土壌に自分の個性やオリジナリティの欠片を植え、育てていきます。上手くいけばそれが成長して芽を出します。上手くいかなければうんともすんとも言わず、何も生まれません。その土壌、つまり自分のルーツミュージックがしっかりしていないと、優れた曲は作れないのではないかと思っています。例えばですが、フォークが好きなのに最近ちょこっと聴いてカッコイイと思ったからという理由でヒップホップを作っても、それはただの重みのないハリボテのような曲になってしまうのではないでしょうか。
やっぱり昔から聴き続けている曲やバンドやサウンドをベースにして、そこに自分の個性を混ぜ合わせてうまくケミストリーさせることで自分だけのオリジナルが生まれるのだと思います。
と、これが僕の考え方です。
 
ですが、本当に稀に、そんなことを抜きにして突然曲が飛び出してくる事があります。多分一生の内でも数回じゃないのかな。僕みたいな音楽が好きなだけの凡人なら尚更。
 
つまり、ほとんど時間を掛けずにパッと曲が出来ることがあるって事です。
 
それがファーストアルバムに収録されている『目覚めの歌』です。
 
この曲のメロディの制作時間は0分です。朝起きて頭の中に流れているメロディをそのまますぐにアコースティックギターで再現して、出来上がりです。
この曲の歌詞の制作時間は5分です。時計を見たから覚えています。ほとんど手を止めずに紙に殴り書きして、それが歌詞になりました。
なんだかポールマッカートニーの『yesterday』みたいだけど。
 
僕は別に自分の作曲能力が優れていると言いたいわけではないです。もともとアコギとタンバリンだけの曲が欲しくて、SUPERCARの『DRIVE』を参考にして、前々から自分の中であーでもないこーでもないと似たような曲の断片を作っては消してを繰り返していたので。


だから、半分ポールマッカートニー現象(本物とは雲泥の差がありますが笑)が起きたからといって、《いや、オレ、前々から色々考えていたしな》と、驚いたりはしなかった。
誰かがそこに最後の一雫を垂らしてくれて、一気に曲が開花したといったカンジに近いかもしれません。その【誰か】もすぐに分かったので。
これは、うーん、なんというかもう戻らない想いや感情と引き換えに「もらった曲」だと思うから。
 
『目覚めの歌』を「もらった」日は、今年の8月15日の朝です。
この日は、まあ世間では終戦記念日です。あと、僕の2つ下の弟の誕生日笑。
 
そして、祖母の葬式の次の日でした。
 
祖母は8月10日に急性の心筋梗塞で亡くなりました。その日の昼、ご飯を食べた後にすぐに倒れて、ほんの2時間程度で息を引き取りました。
僕はその時用事で家にいなかったから、父から訃報が来た時には絶句しました。
世間はお盆休みの入り口だったから、葬儀の手配は本当に大変でした。
全てが終わったのは14日の夜。親戚などの親族への対応が終わると、もう夜でした。
その日は疲れてすぐに寝ました。やっとひと段落した、と。
 


目が覚めたか覚めてないかわからない、現実との境界線みたいな場所で僕はまどろんでいました。もう少しで覚醒する。そんな目を開きそうで開かないギリギリのところで、僕は子供になっていました。夢ですね。どこかに居ました。最初はわからなかったけど、遠い昔に家族と旅行で行ったどこかの遊園地でした。確か僕は怖がりで、弟が乗れているメリーゴーランドに乗れなかった。だから近くのベンチでそれを見ていました。ばあちゃんと一緒に。ばあちゃんは言いました。次は乗ってきなよ怖くないから、と。
 
「どうせダメだよ」
と僕は言いました。ぐるぐる回るのが怖いし気持ち悪くなるし、と。

「そんなこと言わずに乗ってきな、ダイちゃん(弟)が乗れるんだから、大丈夫だよ、お兄ちゃんだろ」
とばあちゃんがつまらなそうに言いました。そういや、ばあちゃん遊園地とか嫌いだったな。
 


そこで目が覚めました。
 
で、曲が出来ました。
 

これを読んでくれている人達には、他人の家族の話が不快に思う人がいると思いますが、一応これがこの曲の成り立ちです。
この夢の出来事は、この歌の歌詞の中に散りばめました。是非聴いて欲しいな。
 
『目覚めの歌』。
 
よろしくお願いします。
 
暗くない良い歌ですので笑。

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