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中古・古い・ユーズドではなく、歴史・経年・ヴィンテージという価値観

昨日から日本海側に襲来している寒波の影響で、新潟市内も15cmほど積雪があり大混乱の朝を迎えております。
いつもは車で5分の出社も、のろのろ40分…コロナ禍のリモートワークなんてなかったんや…
そう思わざるを得ない見事な渋滞っぷりです。いや、私も出社してますけども(笑)

そんな車内で聞いたキンコン西野さんの今朝のVoicy↓

タイトルは「キンコン西野が唸った!面白すぎるビジネスモデル!」
こちらの内容がとっても面白く、また紹介されていたお店の理念に深く共感したので、記事にしてみました。
とある家具屋さんの話なのですが、我々建築業界はもちろん他のサービス業やものづくりにおいて、圧倒的に日本に欠けている価値観だなぁと常日頃思っている内容です。

それではどうぞ!


日本の市場に逆らう、イケてる家具屋さん

北海道北見市という所に【BEFORE VINTAGE FURNITURE】という家具屋さんがありまして↓

HPを見ても、パッと見はちょっとお高いオシャレな家具屋さん、といった感じ。
実はHPには書かれていない物凄いサービスというか、理念を持って運営されているんです。その辺りは西野さんのVoicyをまずはお聞き頂きたいのですが。

ヒントは店名の【BEFORE VINTAGE FURNITURE】
そしてタグラインの【まだヴィンテージじゃないものを。】

こちらのお店でオリジナルで製作している家具に限りますが、例えば買ってから5年後、10年後に「違うのに買い替えようかな」と思ったとします。
その時にBEFORE VINTAGE FURNITUREが
新品で買った時の金額よりも高く買い取る
んだそうです。え、何それ?そんなの聞いたことある??

まさに店名とタグラインが物語っていますよね。
販売したばかりの新品では、当然ヴィンテージという価値は付いていません。
そもそもヴィンテージって?

ヴィンテージとは、前述のように元来はぶどうの収穫を指し、ぶどうを醸造してワインにする年号、そして車両やジーンズ、ギターなどに対してある特定の年代の事を指す言葉である[2]。
中略
ぶどうの収穫が質・量共に良かった時代の年を "vintage" として「特定の年に作られた良いもの」という意味で使用された。さらに意味が派生してワインを含め、車やジーンズ、ギターなどある特定の年の「よき時代」に生産された物が長い年月を掛けて現在にも残る「年代物」といった意味で使用される言葉である。

「年代物の逸品」という解釈は間違っていないが「特定の年に作られた良いもの」という非常に限られた範囲の指標を持つ意味である事が、ヴィンテージという言葉の意味で特筆とされる部分であろう。

Wikipediaより引用

だから店名のBEFORE VINTAGE FURNITURE→まだヴィンテージじゃない家具
言い換えると「ヴィンテージという価値が付く家具」と言い切る。
その証拠として、自社で買い取る時に高値で買いますよ、という保証というか、姿勢を見せている訳ですね。
これは思っていてもなかなかできる事ではありませんよね。

ヴィンテージになるものとならないもの

西野さんも放送内で言っていましたが、これは揺るがない確かな技術力があってのサービスなので、例えば安い材料で安く作られたような物では当然成立しません。
名前を出しちゃうとアレですが、例えばIKEAの家具なんかは10分の1以下の値段で買えちゃいます。そこそこ見た目も良いですしね。
でもよく聞くのが、特に椅子なんかは2、3年も使っているとガタついてくるとか、そもそも日本人の体格に合っていないとか、不具合が出てくるようです。

ヴィンテージという価値が付くかどうかの要素はいくつもあるとは思いますが、最低限のハードルは共通してあるような気がしています。
そもそもヴィンテージのワインだって当たり年のワインという前提がありますから、味が美味しくなかったら価値なんてありません。美味しい、というのは最低限のハードルなんです。

「コレはヴィンテージという価値が付く物です」と言い切ってものづくりをして販売をする。
そして再販の際には生産者自らが高値で売買する。
あ、でも実際にはこれまで何十件と販売した中で、買取依頼が来た事はまだ一件もないそうです。
ここで重要なのは「一度使って貰えれば確実に満足させる事が出来ます」という事。
実際にヴィンテージとして取引されるだけの高いクオリティの商品を自信を持って提供しているので、安心して下さいねって事ですね。

あらゆる分野において未だ新作至上主義の日本市場の中で、そう簡単にマネ出来る事じゃないのは分かって頂けると思います。

さて、これは我々住宅産業においても学び多き事例だと捉えています。

圧倒的な新築市場主義の日本市場

新築住宅 > 中古住宅 は当たり前だよね
もはや疑う余地のないほど日本の社会において浸透している価値観だと思います。
よく比較されるのが、アメリカの住宅市場。

出所 国土交通省より

アメリカでは家族のステージに合わせて住宅を住み替えていくのは当たり前で、取得した金額よりも売る時の方が高いケースも多い事から自分達でも率先してDIYで家をメンテナンスする。そんな風に言われています。
上のグラフを見ても分かるように、日本は投資額は増えても資産額としては積みあがっていないんですね。
日本ではいくら自分達でメンテナンスをしようが、良い素材を使ってようが、デザインに優れていようが、一度でも人が住んで「中古住宅」というカテゴリーになった瞬間に資産価値が暴落します。

良く聞く悲しい話ですが、何らかの要因で新築してものの数年でその家を手放さなければいけなくなり、もし売れても新築した金額の7割8割にしかならず、返済しきれなかった差額の住宅ローンは払い続けないといけない…
改めて考えても、ちょっと変な話ですよね。何故こんな事が起こってしまうのでしょうか。

新築市場主義、というワードで検索したらとても良い記事を見つけました↓

これほどの「新築信仰」になってしまったのは何故なのか。
業界の内外に横断して解説してあり、非常に分かりやすくまとめられている記事ですので是非目を通してみて下さい。

この中で言われているポイントは4つ。
①ライフステージの変化に対応した物件供給ができていない賃貸市場
・戦前の地代家賃統制令をきっかけとする借家人への強い保護が現在も続いているため、家賃を滞納されても、貸し手がすぐに退去させることが難しい=質の高い賃貸住宅への投資がリスクになる。

②「住宅双六」のような人生を標準パターンとした金融支援政策
・政府はアパートを振り出しにして、少し広めの公営などの賃貸、マンションへと住み替え、戸建てを中心とした持ち家がゴールという住宅双六をパターン化し、住宅を購入する中間層への金融支援を政策の軸としてきた=賃貸よりも質の高い戸建てを低額で選べるようになった。

③その中古住宅に本当の価値があるのかどうか、買い手が判断できない
・価格に見合わないものが市場に混じっていて、しかもその質を判断するために高い「取引費用」がかかるとすれば、買い手は購入を控えるようになる。結果的に、良質な住宅でも妥当な価格で販売することが難しくなる=中古住宅の市場が成り立ちにくくなる。

④無秩序に拡張して新しい宅地を開発し続ける地方都市
・地方自治体による市街化調整区域等の規制が行われるものの、重大な私権の制限を受ける土地の所有者から強い反発が生じる為、市街化区域には農地なども広範に含まれ、当初から広めに設定される傾向があった。
また多くの場合、地方議会の候補者は特定の地域や団体と結びつき、自分たちを当選させてくれた住民に対する個別的利益の提供を優先するインセンティブを持つようになる。人々の土地利用を制限するような政治決定は難しくなり、開発利益を狙った闇雲な宅地開発によるスプロール(都市が無秩序に拡大する)につながった=新築住宅の過剰供給から既存住宅の価値が下がる。

もちろんこれだけではなくもっと様々な要因が絡み合い今の日本市場、社会は出来上がっています。
では、これらを踏まえて【資産価値の高い=ヴィンテージ価値のある住宅】が実現できるのか。

次回はそんな記事にしてみたいと思います。
それではまた!

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