家族に助けられるという夢をみたときの意味

映画のセリフによく出てくる「前に進む」っていう言葉。
過去にずっとこだわっていると前に進むことはできません。
前に進むためには、今ここで区切りをつけ、過去に別れを告げる必要があります。

僕はまだ自分の世界に閉じこもっているし、いつも思考の始まりと中心は自分のことです。そして、僕がいつまでも前に進めないと感じるのは、いろんなことをしてきた過去に比べ、今の自分は何も出来ないと思っているからだということに気が付きました。

いつもそうですが、「自分が好きなこと」「自分の好きなもの」、何かを書くときにはそのことしか考えていませんでした。
でも、それは自分に自信がないことの裏返しなのかもしれません。

僕は人とのコミュニケーションが上手いほうではありません。少しでも嫌いなところがある人に対しては、すぐにラインを引くところがあって、嫌いな人はそこから一歩も自分側のほうに入れようとはしません。

人のために何かをしてあげようということができません。
面倒見がいい人がいますが、どうしてそんな風にできるのかよくわかりません。
好きな人や親しい友だちにはできますけどね。誰にでもというのはどうなんでしょう。

1ヶ月ほど前に見た夢の話です。

ある日、外から店に戻ってきたら、数人のお客さんに母がランチをふるまっていたという夢です。
ずいぶん昔に亡くなったはずの母が、僕の店で、昼間のランチ営業のために定食をつくって出していました。僕の店は夜だけの店です。昼はやってません。
今はコロナ禍で来客数は激減してますから、ランチで売り上げがあがるなら大助かりですが、なにしろうちの店では見たことのない光景でした。

しばらく、この夢の意味がよくわかりませんでした。

母は料理が得意な人でした。
高校生のころ実家では、晩御飯を食べていると、縁側から親戚がよくあがって来て、その人たちにも母は何か食べさせていました。晩御飯どきはうちはいつもにぎやかで、みんな母に会いに来てました。
夢で見た情景は、なんとなくそれを思い出させました。
母は7人姉妹の末っ子でしたから、姉御肌のような面倒の見方ではなく、気軽になんでもしゃべる人懐っこさのあるところがあったのでそれでみんなが寄ってきたのかなと思います。
玄関ではなく、縁側から入ってこれるという気軽さもあったのかなとも思いますが、母が死んでからは、縁側からはもう誰もあがってこなくなりました。

家族に助けられる夢は、
・自己実現したい気持ちが強くなっているという意味
・助けてくれた家族が持っているもので自分が欠けているものを得たいと思っているという意味があるそうです。

母というのは「愛情」や「やさしさ」の象徴です。
人に対する「愛情」や「やさしさ」、「おもいやり」または「面倒見の良さ」が自分に欠けていることを教えてくれたのかなと思っていました。

でもそれだけではなさそうです。

最近noteを読んでいると、「読まれる記事を書くコツ」とか「惹きつける記事の書き方」とか文章の書き方のノウハウ記事が増えてきた気がしていました。でも、エッセイを書きたい僕は少し抵抗を「読まれようとすること」に違和感を感じていました。
でも、ふと気が付きました。

みんなに読まれる記事は、みんなが読みたい記事だ。
それは、みんなが必要としている記事だ。
だからそんな記事を書くということは、みんなの役に立つことなんだ。

そう考えていたら、母が出てきた夢の意味に答えが出ました。

僕にとって今大事なことは
人が求めるもの、必要としているものを書く
人が必要としていることを提供する
ということなのです。

もちろん、自分ができることのなかからで十分で、
そのためには、その自分を信じること
自分の可能性を認め、信じることが大切なのです。

これからの自分にも出来ることがあるということを母の夢が気付かせてくれたみたいです。

これで僕も前に進めそうです。

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