見出し画像

大谷翔平のハイボール

「よかきゃー?」※1

店の引き戸を少し開けて、馴染みの顔が覗いている。


「すみません、ご予約のお客様だけなんですよ-。
 ふふふ、冗談です。
 ひさしぶりですねー。どうぞ真ん中のテーブルが空いてますよ。
 おふたりは断れませんよ」

「そがん、思ったっちゃん」※2


コロナ禍になって、完全予約制にしているのだが、親しい近所の先輩二人がにこにこしながら来店してくれて、予約はないのは分かっているが断ることはできない。というかむしろ、断らない。

親しい人の場合、来てくれるだけで嬉しいし、店をしているこっちも楽しい。


田舎は感染者が出始めると敏感に反応するので、途端に客足は途絶える。

だれも来ない店でただ待ち続けるのはつらい。はじめの頃はそれでも誰かが来たいと思ったときのために開けておこうと思ったが、そのモチベーションは遂に途切れた。

それで、来たい人が居れば開けるということにして、完全予約制にしたのだった。
予約がまったくなければ、店は閉まったままだ。
誰か予約すれば店は開いているということになる。

その月は感染者がだいぶ減り、田舎の世間のなかで「もういいかな」というムードになり始めていて、その週末の金曜日は、しばらくぶりに街に人が戻ってきていた。


その先輩のうち一人は、まあまあ出来上がっていたみたいで、飲んでないときは紳士的でとても大人しい人だが、その日はとても饒舌だった。


席に着くなり、

「マスター、大谷翔平の好きなハイボールば、くれんね」


「え?」

初耳である。メジャーリーグファンではないが、多少なりともネットでニュースは見ているのでそこそこの情報は知っているつもりだったが。


「知らんとね、マスター。バーのマスターならそれぐらい知っとかんば」
「今や、世間は大谷翔平一色やっかね。大谷、大谷ってみんな見とるやろ、興味津々たい」


「すみません、勉強不足で。大谷の好きなハイボールってあるんですねえ。」


「知らんさ、ばってん、マスターは知っとかんば、いかんちゃなかや」


(え、知らんのかい) 僕は心の中でずっこけて吹き出している。


「もうよか、とりあえず、おすすめのハイボールば、ちょうだい」


とにかく、楽しそうに話す。
僕もちょっと面白かった。

手が空いた隙に、ネットで調べてみた。


大谷翔平はお酒は飲まない人だった。案の定だけど。


現役時代のイチローもそう。松井もそう。
あれだけの成績を残す選手たちは皆とてもストイックな人たちなのだ。
まあ当然かも。

※1 <よかきゃー>
 平戸弁で「いいかー」 (よか+きゃー)
 〇〇ですか?の「か」が「きゃー」となる。
 
 この言い回しだけは10年住んでいても、身につかない。
※2 <そがん、思ったっちゃん>
 平戸弁で「そう、思ったんだ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?