100日連続投稿達成したらやろうと思っていたこと
おかげさまで100日連続投稿を果たしました。
毎日書くというのは、正直大変でした。
90日が過ぎたころに、100日連続投稿を達成したらやろうと思っていたことがあります。
それは、
「noteの投稿はやめる」ということ
どうして、こう思うようになったのか。
このアカウントは、何がいいのかもわからず、でもなんか良さそうだなあと思いつつも、使い方を手探りで迷いながら、目的もコンセプトもなく、なんとなく始めたものです。
そういう人は多いのではないかと思います。
始めたのはもう6年も前です。
使っているうちに良さを見つけられるかと思っていましたが、結局、やみくもに始めたものなので、ただ書き散らかしていて、読者目線で見れば、このアカウントは何を伝えたいのかがわからないものになっていたのではないかと思いました。
そうなのです。
このアカウントには信念がない。
根っこ、基盤、スタンス、アイデンティティ
何もないのです。
実際、プロフィールを何度書き換えたことか。
自分像を塗り替えては、よくわからなくなり、こうかな、ああかなと考えてはまた塗り替えての繰り返し。
自分なりにいい文章が書けるときがあったりするから、それが邪魔をして、ぶれぶれになるのです。
読者からすれば、ここでは何が読めるのかがさっぱりわからないので、フォロワーが付かないのは当たり前です。
何を書く人なのか、ここに来れば何が読めるのか
それが必要なのに、ずっとそれが分からずに、やっぱりやみくもに書き続けました。
読まれることだけ意識して、書き手としてのアイデンティティをもたないまま、ここまで来てしまいました。
それがわかったのは、とにかくまっすぐにこのnoteの投稿に取り組み続けたからです。
それでわかったのです。というか気づいたのです
これを知りたくて、こう結論付けるために、100日連続投稿をやってみました。
やり通してみないと、わからないうちにやめたという
情けなさとか
頼りなさとか
根性なしとか
後悔だとか
そんなものがあとから出てくるのが嫌だったのです。
やり通してみて、わかることがあるはずだと思って、やりつづけました。
で、わかりました。
このアカウントには、noteを使う目的がない。
noteの中の自分に存在意義がないのです。
日記としてのブログなら、ここじゃなくていい。
もともとブログのサイトをもっている。
書くことを目的とするなら、ここじゃなくてもいい。
SNSだってある。
noteである必要がない。
大事なことはnoteという場が自分に必要かどうかなのです。
発信のしかたはいろいろある。
でもその前に、何か発信したいことがあるかということがまず大事。
noteというプラットフォームをきちんと使えるコンテンツが創造できたときは、そのときは最初からやりなおして始めてみようと思います。
そういうことがわかったということだけは、やり続けてみてよかったなと思えることです。
というわけで
今日でこのアカウントでの投稿はストップ。
そして、ひとりごとのようにぐちゃぐちゃ書いている記事は削除して、とりあえず、よく書けたものだけ残して、アーカイブとしてのアカウントにします。
自分にとって、noteというプラットフォームが必要なものに感じることができたら、別のアカウントで再出発してみようと思います。
僕は僕の思ったことを書き綴る、元々持っていたブログの場があります。そこにとりあえず戻って、日記のような、エッセイのようなことを書き綴ることを書きたいときに書くということで再開しようと思います。
トップ画像は頑張ったご褒美のうなぎです。
うなぎ、もう何年もお店で食べてないなあ。
父の実家のあたりは、うなぎの養殖が盛んで、母のお墓参りの帰りによくうなぎを食べに行ったものでした。
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