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【基本的信頼感】質問のまとめ|DSM-5や戦禍、パスポートの視点から

今日は基本的信頼感への質問がまとめてきていました。昨日の放送への質問です。色々な角度から一つ一つにお答えすることで、基本的信頼感の全容が見えてくるかもしれません。お答えしたものをまとめてみました。昨日の記事は下記になります▼

基本的信頼感は人生のパスポート。それがないと愛着障害になります。

※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼

※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。

■基本的信頼感とDSM-5

【質問】基本的信頼感の解釈についてお話がありましたが、これは専門家でも分かれるのでしょうか。それともここは DSM-5とかに書かれている項目であり、それと一致しているのでしょうか?

【お返事】基本的信頼感という言葉、解釈については、大学で心理学を勉強したことのある人なら、知らない人はいません。もし知らないなら、それはモグリといえるでしょう。エリクソンが想定した、人生の初期において乳児が獲得する発達課題です。

基本的信頼感は診断基準ではないので、DSM-5には明記されていません。しかしDSM-5の愛着障害の説明で「安楽、刺激、および愛情に対する基本的な情動欲求が養育する大人によって満たされること」とあります。これを分かりやすく説明すると、「基本的信頼感が母親によって満たされること」という意味になります。

基本的信頼感をそれほど重視しないというカウンセラーがいるならば、そのカウンセラーにとって、「それは常識であって、あえて問題にする必要がない」と無意識的に感じているからでしょう。そうだとすると、そのカウンセラーは、基本的信頼感を持っている9割の人々に該当するかもしれません。

しかし、いったん虐待臨床、愛着臨床の世界へ足を踏み入れると、この基本的信頼感の問題は、最重要な概念になってくるのです。

■安心して話ができているなら基本的信頼感アリ!

【質問】「知人や恋人ができることを想定できる人は、基本的信頼感はある。」 とありましたが、私の周りは30歳越えても一度も恋人いないし、興味もあまりないような子ばかりです。愛着障害なのでしょうか...?そんな感じは受けてないのですが。。 どちらかというと前にあったアロマンティックの感じというか (私はどちらかというと節操無しの方ですw 仲間うちでは、お盛んか、全くないか、そのどっちかしか居ないんですよねw)

【お返事】恋人がいなかったり、興味がなかったりしても、それが人間関係が怖いのか?といったら、そういうわけでもないと思います。

「恋人は想定はできる」のと「恋人は実際にいない」というのは、ほぼ同じと考えていいでしょう。想定はできるが、めんどくさいから作らない、という人々ではないでしょうか。

最近は「人間関係はめんどくさい」と思う若者は増えています。これは基本的信頼感に起因する「人間関係は恐い」とは全く違います。「めんどくさい」は明らかに余裕がある感覚です。

愛着障害の人は、人間関係にも追い詰められている感じです。質問者さんは、人間関係に節操なしで良かったですね笑。

質問者さんの仲間で、「全く恋人に興味ない」人であっても、あなたと「仲間」を形成している段階で、恋人に興味ないと公言している段階で、ずいぶんと自分の生き方に安心しているように思います。

そのような安心感は基本的信頼感そのものと言ってもいいでしょう。

■自己理解とカウンセリングを始める時期

【質問】ソレアさんに訪れる相談者さんご本人たちは、「基本的信頼感」 の有無をある程度自覚されてるのでしょうか? 私は、ソレアさんの記事や御本、高橋和巳先生や斉藤学先生の御本を読んで、ひとまず「基本的信頼感が有」 の方かなと自己判断してます。あるけど不完全だったので生きづらさがあると。でも有と無では、回復過程や治癒に不可欠な自己理解が、真逆くらい変わってくるように思っています。やはり自主勉での自己理解はかなり無理があるのでしょうか?皆さんどれくらい自覚してから訪問されてるんだろうと、いつも気になります。。

【お返事】基本的信頼感について自覚してやってくる人は、かなり少ないです。この言葉は心理の専門家が使う言葉ですし。

しかし、安心感のないことを自覚されてやってくる人は多いので、そういう人に安全基地や基本的信頼感の話をすると、ほんの少し話しただけで理解する人もいます。これはそれだけ切羽詰まっていることを自覚している人です。質問者さんの場合は、ご自身のことを色々と気にかけているようですので、自主勉での自己理解を続けながら、カウンセリングも考慮されるといい時期かもしれません。

自主勉では行き詰まりそうだなと思えるときが、その時(カウンセリングの門を叩くとき)ということです。

自主勉は、あくまでもカウンセリングと併用しつつ理解を深めていくときなのかもしれません。そのほうが道を間違えないし、迷子にならなくてすみますし、途中放棄ということも少なくなるでしょう。

ただ、このカウンセリングと併用の場合、あなたの自主勉の延長線上にあるカウンセラーを選ぶと良いでしょう。質問者さんは、高橋先生、斉藤先生、私の本や記事を読んで勉強されているようなので、彼らと同じようなカウンセリング理論に立つ人をお探しください。

■基本的信頼感が「薄い」というのは「ない」と同義語

【質問】基本的信頼感が無い、基本的信頼が薄い、 先生が使い分ける時は、どういう違いがあるんですか? 薄いのは、不全寄りという感じですか? 不全と障害はグラデーションになるんですか?

【お返事】結構細かなところを突いてこられすますね、さすがです!不全と障害はグラデーションという立場を取っているのが岡田先生です。不全と障害は違うという立場を取っているのが、高橋先生や私です。(例外はあります。)

たしかに私は、「ない」と表現する場合と「うすい」と表現する場合があります。自分の中でも、この言葉、どっちを使うか、一瞬躊躇をしている自分がいることに気が付いています。ほんのコンマ数秒立ち止まって、どちらかを表現しているようです。

これはその言葉を発するときに、誰を頭の中で想定しているか、どういう見立てをしているのかで、表現する言葉が違っているのです。

愛着は「ある」か「ない」かで、はっきり決着がついています。はっきりと区別をつけたほうがいいのです。そういう見立てを心がけたほうがいいのです。しかし、誰でも見ればすぐ愛着障害と分かる人と、社会的ネグレクト(情緒的ネグレクト)のように分かりづらい愛着障害の人がいるのです。後者の場合を「うすい」と表現することがあるようですね、私は。自分で表現しているのに、よく分かりませんでした笑。

私の中では、愛着に関しては、「ない」と「うすい」は同義語なんですが、そのように使い分けているようです。しかし、最近は「うすい」を好んで使っていますかね。私の臨床も日々、変化して、精緻化しているのかなと思います。

しかし「うすい」を、不全とのグラデーションで使っているわけではありません。グラデーションで使う場合も、まれにありますが、そちらは専門中の専門になる(つまり例外です)ので、ここで話しても、雲をつかむ話になるかもしれないので、企業秘密にしておきましょう笑。詳しくはSVを受けてください。

けれど愛着の専門家でも、「ある」と「ない」とを、区別をつけることを回避しがちです。なぜなら、よく分っていないからです。それだけ社会的ネグレクトはハードルの高い診断になります。「はっきりしないものははっきりとさせないほうがいい」という人もいますが、それは専門家の逃げでしょう。間違ってもいいので、ちゃんと状況証拠を集めて、責任を持って見立てを決定することが必要です。間違ったら後から修正すればいいのです。

■戦禍を生きているような感覚

【質問】「基本的信頼感は人生のパスポート」を拝聴して、自分はパスポートを持ってるのか、持ってないのかを、改めて考えてみました。いつか裏切られるというより「いつか自分が裏切りを行う」とは思ってるかもしれません。騙し討ちとかじゃないけど「期待を裏切るかも」と。でも他人を羨む気持ちはすごくある気がします。基本的信頼感がないと「妬み」 とも縁遠そうと思ったのですがどうでしょうか。

【お返事】基本的信頼感がないと人間活動がかなり制限されますので、恨み、妬み、嫉妬などの怒りをベースにした感情は、あまり感じません。質問者さんのおっしゃる通りですね。これらの感情は、結構、余裕がないと感じられないものです。基本的信頼感がないと、怒りを感じている余裕がありません。

例えば、今日自分の住んでいる街がミサイル攻撃されることが分かったとします。そうしたら、ミサイル攻撃してくる相手を恨んでいるヒマはなく、なんとか生きのびることを考えますよね。基本的信頼感が無い状態とは、こんな状態です。

戦禍を生きる感覚ですね。小さい頃から、終わりのない、ずっと続く、果てしのない戦争の中を生きているのが愛着障害の人々です。

■パスポートがない状態で世界へ出ることは違法を生きること

【質問】愛着障害はパスポートを持ってないから飛び立てない的なことをおっしゃってましたが、かりそめでも成人期を持っており、愛着不全の人よりも社会化してるイメージ でしたが、そのパスポートは幻ということでしょうか?幻のパスポートが消えたら愛着障害はどう飛び立って行くのでしょうか? パスポートが要らないルートをゆくのでしょうか?

【お返事】パスポートとは世界(世の中)へ出ていくために必要な通行手形です。愛着障害の人にとっては、世界(世の中)が怖いので、それを「パスポートがない」と比ゆ的に表現しました。

ただ、愛着障害の人は、どこにいても危険を感じるので、回復する前は、深く自分に引きこもるか、永遠に流れ続けるかの二択です。だいたい後者が多いかもしれません。それが周囲の目からしたら、世界へ出て行っていると映ることもあります。

しかし考えても見てください。パスポートがないのに世界を旅するわけです。ある意味イレギュラーなことをやっているのです。ですから違法行為をしているような切迫感もあります。パスポートのない旅だから自由ではありません。逃亡者ですね。

そんな感じで、愛着障害の人は、社会の中で目立たないように生きています。社会の中では生きているのですが、自分が生きること自体が違法行為をしていると思っています。

カウンセリングなどで、愛着障害から回復すればパスポート【基本的信頼感】が手に入りますので、かなり自由に世界を旅することができるでしょう。

■愛着障害の人の結婚観は母港ではない

【質問】愛着障害は知人や友人を作ろうとしないとのことですが、以前、愛着障害も普通に恋愛や結婚をし子供を持つと話されていたと思います。友人や知人関係よりも、恋愛や結婚は、より濃厚な人間関係に思うのですが、どういう心の力学が発動されているのでしょうか?

【お返事】結婚まで行くためには、知り合って、付き合って、相手を理解して、そしてこの人となら大丈夫と思って契(ちぎり)を結ぶという順番を踏みますよね。

この人なら大丈夫という目算が狂うことは多々ありますが(笑)、だいたいそういう順番です。

愛着障害の人は、逃げるために結婚する人もいるのです。元家族から逃げるために数か月で結婚したりします。パートナーは親くらいの年齢だったりします。親の代わりですね。

そういう人がみんな愛着障害かというと、愛着不全の人も逃げるために結婚する人もいるので、一概にはいえませんが、通常とは違う心理で結婚する人は多そうですね。

ただ、愛着障害の人の恋愛は、恋愛中も結婚しても関係が「濃厚」にはならないことが多いのです。愛着障害の本人もパートナーも、離れている感じはつきまとっています。愛着障害の人にとってパートナーは、母港(安全基地)ではなく、一時停泊している感じです。

そこから回復すれば、パートナーシップも変化していく可能性は十分にあります。

◇ラジオのおやすみ談話室:四日市の合成ゴムの社宅、消毒液の匂いのする団地と自宅の肥溜め便所。すぐそばに隣接していた朝鮮部落。1960年代、生々しいものを嫌う時代がすぐそこに来ていました。

■他の助けを求めるのもいいでしょう

もし、あなたが安心感の問題を抱えている場合は、臨床心理士などの心理の専門家にアドバイスを求めるとよいでしょう。時間はかかるかもしれませんが、あなたのカウンセリングがうまくいきますように。

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