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怖くて話もできなかったパワハラ上司と普通に話ができるようになるまで

6年前、45歳の時。8歳下の男性の部下となりました。
本人はパワハラの自覚はないようですが、とにかく威圧的。
彼の部下になると皆辞めていく…

私も彼の姿をみると動悸が激しくなり手が震え、まともに頭が働かなくなるなど、体の反応が出る状況でした。

それが6年後の今、退職することもなく、パワハラ上司に相談までできるようになりました(油断はできませんがw)。

こうなることを願っていたわけではありません。むしろ私の人生からパワハラ上司の存在を消す努力をしていたので、自分でもこんな日が来るなんてびっくり。

ふと、「あれ?話せるかもしれない」と思ったのが数ヶ月前。

これは、社長の采配と、働く意欲に溢れていた同僚のお陰。彼らのお陰で、パワハラ上司への怒りや自分自身の絶望感を手放すことができたからだと思います。

そんな6年の経緯を記しておきたいと思います。

都内からUターンして入社

家庭の急な事情で、20数年暮らしていた都内を離れ、北関東にUターンせざるを得なくなりました。
45歳、こんな片田舎で正社員の仕事が見つかるのか。
薄々の絶望感と大きな不安は見て見ぬふりをし、エッジの効いた会社のパート募集を見つけ、応募しました。

面接してくれた上司は私より1つ年下。
「割と社員の意見を聞いて、好きなことをさせてくれる社長だと思いますよ!」
と仕事環境に満足している様子でした。
そのまま採用してくれ、入社3ヶ月後には私の社員希望の申し出も社長に掛け合い、実現させてくれました。

しかし、入社してたった5ヶ月の間に、私の部署でポロポロと退職者が続き、合計4人。
4人目の退職者は採用してくれた上司でした。非常に残念でなりませんでした。

この退職した4人の共通点は、A氏(パワハラ上司)の直属の部下だったこと。A氏の部下になると退職していくわけです。
私を採用してくれた上司も同様で、彼が辞めたということは、私がA氏直属の部下になる番です…。

パワハラ上司とそのパワハラ

A氏は当時30代前半でも社歴は一番長く、仕事もできる人。自力で徹底的に調べて対応する、努力家でもあるようでした。

だからこそなんでしょうか。
人には最低限しか教えません。
分からないことを聞いても「ちゃんと調べました?自分で調べて、分からないときだけ僕に聞いてください」と威圧的。
質問する隙を与えません。

入社半年弱の私には、専門的なことや社内ルールなど、調べても正しいかどうかの確証が得られず不安しかありません。
承認を得てから実行に移したいと思っても、A氏は外出も多く、そもそも隣の席にいて話しかけても目線はPCに向いたまま。返事も2テンポほど間が開き、話しかけるなと言わんばかりの態度です。

そのくせ部下を厳しく管理したがるタイプで、無駄な残業はするなと言います。
仕事を覚えたての私は、定時時間内にはとても終わりませんでした。
A氏は、私の仕事の仕方が悪いからであり、本来なら残業代をもらうのはおかしな話だ、この作業にそんなに時間をかかるんですか、等々の指摘をします。
ごもっともではありますが、効率的な作業方法を教示してくれたり、相談にのるようなことはありませんでした。

そして私にミスが発生し出しました。
チャットでA氏に確認を仰いでも返信がない。
締切を守るために確証がないままに実行に移す…
失敗すると、訂正する方法は自分で調べるしかない…
こんな恐ろしい状況が頻発し、それをA氏に報告するしかない有様が続きました。

もちろんA氏はこっぴどく私を叱責します。
ミスがミスを呼んでいる状況が分かったり、確証が得られないまま実行したことが分かると「はぁ?!」とフロアに響き渡るくらいに声を荒げる

周りも凍り付いていました。私がA氏の部下になる前、入社したばかりの際に見たことのある光景です…。

もし、私が開き直って「あなたから返信がないので、対応に間に合わないと思って仕方なく実行に移した」とA氏の責任にも触れられていたら、状況は違っていたかもしれませんが、そんなことは言えませんでした。

その場が怖くて仕方なく、何をどのように整理して伝えたら良いのか、頭が働かなくなっていました。

説明は一度だけしかしませんからね。人の時間を奪っているのだから
僕の使う言葉に合わせてください(専門用語分からなければ自分で調べろ)。
僕があなたを採用したわけじゃないですから(僕は指導する責任を押し付けられた)

そんなようなことを、2人の面談でも言われ、相談はおろか話もできなくなっていました。

毎朝、
今日はなんて言って叱責を受けるのかな…
仕事って、こんなに大変なんだ…
今までの上司や社長は本当に人間ができていた、私は恵まれていたんだ…
そんな風に思いながら、通勤の車を運転していました。

精神は不安定になり、他の人とのコミュニケーションにも恐怖を感じるようになっていました。愚痴をこぼせるような同僚もいません。
A氏と話さなければならない状況を想像すると、動悸が激しくなり、いざ目の前にすると、指先が小刻みに震えます。聞こえるような声を出すだけで精一杯。
冷静に頭が働かないので、仕事もうまく回りません。

Uターンしてきた時点で薄々感じていた絶望感が大きく育ち、働くことに希望は無くなっていました。
働くってこんなにしんどいものなんだ…知らなかったな、と思っていました。

救いの言葉「乗り越えようとしたらあかんよ。避けなあかん」

そんな苦しい時期に、たまたま、都内にいた頃の元上司(会社の社長)と会う約束がありました。彼とはラン仲間でもありました。
毎年一緒参加してきた地方のマラソンのレースで、ラン仲間としての年中行事と言えるものです。
こんなときにレースを走れるのか…いや、こんなときだからこそ走るか。
予定通りレースに向かい、元上司と会うことができました。

元上司は私の顔を見て、おかしいと思ったのか、近況について質問してくれました。
人に相談などしていなかった私は、状況をうまく整理できず、ほとんど話せなかったと思います。
そんな言葉少ない私に、元上司は言ってくれました。

人間関係のトラブルは、乗り越えようと思ったらあかんよ。避けなあかん。

そして、パワハラで自殺未遂を起こした、元同僚の話をしてくれました。
同僚は、異動した部署で仕事や人間関係がうまく行かず、一人で思い悩んでいたそうです。
ある朝の通勤中、普段なら曲がる角を何となく曲がり損ね、そしてそのまま軌道修正することなく、何となくまっすぐ進んで山奥へ向かってしまった。
そして何となく、そこにあった紐のようなもので首を吊ってみた。
しかし紐は切れてしまい、そのまま木の根元でうずくまって泣き崩れていた所を発見されたそうです。

自分の強い意志でその方向へ向かうわけではない。
自分の意志が働かないときこそ危ない。
乗り越えようとしてはいけない。避けなければいけない。

その夜、私は地方のホテルの布団の中で、会社の社長に退職の意思をチャットで伝えました。

理由は体調不良としましたが、社長だって、A氏の部下になると退職するという社員の雪崩現象に気付いていないはずはありません。

社長の采配 その1

社長はすぐに
「無理をしないでください。承知しました。退職時期はお任せします。 」
というような、私を慮った返信をくれました。

私の退職の意志は、社長からA氏に伝わりました。
A氏は、退職されるのは困るようで、体調不良ならば時短勤務ではどうか、と提案してきました。
その場でまともにA氏と話しはできない精神状態だったので、考えると返事をして退出しました。

私の選択は、転職するか、自分で起業するか。時短勤務など選択肢には入りません。
A氏を私の人生から避ける、という一択です。

以前、起業にトライしたこともありましたが、私にはそこまでの情熱を注げるものはなかったですし、ルートや営業力もありません。
あるのは根性と笑顔だけだと痛感しました。

それに、個人事業主は収入面が不安定で、趣味といえるライフワークに打ち込んでいる私には、いったい何のために働いているんだろう…と人生を疑問に感じたことも覚えています。
また履歴書を書いて頑張るかー。

そんなことを考えていたその夜。社長から再び連絡がありました。
「ぼくと一緒に◯◯の仕事をしませんか。背景から全てお伝えします。良かったら明日お話しませんか」

翌日、詳しく話を聞くと、それは社長だけが関わっていた小さな"後回し案件"でした。
正直、会社にとってはあまり重要ではない、後回しになっているような仕事です。
しかし社長は「僕しか関わってませんから」と、暗にA氏はノータッチですよ、と伝えてくれていました。

社長も、私からA氏を避けてくれている。

私は社長の提案にのってみることにしました。
人と話をする恐怖のようなものもあり、こんな精神状態では、転職をして新たな地で頑張るのは厳しいかもしれない。
そんな判断もありました。

そして、社長との仕事が始まりました。

"後回し案件"とはいえ、社長との仕事は厳しく、A氏のように返信が来ないこともしょっちゅうでしたが、社長は私への引き継ぎの時間が最重要事項だと言ってくれていました。
私の存在価値を表現してくれていたのです。

社長の采配 その2

1年ほど経った頃、その後回し案件から、別の部署へ異動になることを社長から告げられました。
「上司になるYくんは、やさしい方だし大丈夫ですよ」
とここでも、暗にA氏は関わらないことを伝えてくれました。

Yくんは、私より一回り以上歳下でしたが、実は、A氏にこっぴどく叱られている私に、唯一「大丈夫?」と声をかけてくれた人でした。

Yくんの下で、和気藹々と仕事ができるようになりました。この会社で、笑って仕事ができる状況が生まれるなんて、信じられませんでした。

さらに1年ほど経ち、コロナ禍がやってきました。
新しいクライアントの担当になった私は、リモート環境で一人格闘しながら、日によっては日付変更線を超えながらも根性で乗りきりました。

そして、そのクライアントが軌道にのると、別担当へ引き継ぐことになり、私はまた別の部署へ異動──現場へ異動になります。

会社の状況が変わるため仕方ないとはいえ、なぜ現場なんだ…。
なりを潜めていた、働くことへの絶望感がまた顔を出し、大きく私を支配するようになりました。

どの部署に行こうが、とにかく目の前の業務をこなし、勤務時間が過ぎるのを待つような気持ちでした。

今思えば、私のような社員にこそ絶望するよなぁ…と、社長や周りのみんなには申し訳なく思います。

社長の采配 その真意

今でずっとPCを使ったデスクワークだけだった私にとっては、まったく知らないロジスティック部の現場。戸惑いました。

実際に商品を触って梱包、発送作業です。
1から、というより、0から教わり、ベテランの女性大先輩から細かく厳しく指示されながら、1分1秒をどう削り出すか、を叩き込まれていきました。

なぜデスクワークから現場に出なくてはならないんだ…それでも、A氏の部下でいるよりはずっとずっとマシ。

その時の現場のメンバーはというと、私よりも一回りほど歳下の女性リーダー、7-8歳下の女性サブリーダーで、この二人が率先して連携しながらこの現場を回していました。
そして大ボス社長お母様や社長のご家族が2人とパートさん。
そして他に、なんと社長のおばあさん80歳超えの女性!(
高齢化社会に向かって一直線の我々にとって、この年齢で働く女性のロールモデルですよね、間違いなく!)

人手が足らず、リーダー、サブリーダー、私は毎日残業で、21時近くに退社する日が続きます。

しかし、ロジスティックスの雰囲気は活気がありました。
リーダー、サブリーダーの二人を中心に回っていて、仕事は大変でも、与えられた難題を解決して毎日相当数の出荷件数をこなすことに、誇りを持って臨んでいます。

いまやセクハラと言われるような冗談も飛び交い、笑いながら手を動かし、荷物がどんどんできていく。
時間までに注文数の発送を完了すると、なんとなく爽快になるのが分かってきました。

そして何より、仕事に誇りをもっているリーダー2人を見て、いつの間にか私の気持ちも、少しずつ前を向いていきました。

ああ、私も10年前は仕事が大好きだったな。いつから仕事が苦しくなったんだろう。
この2人のように、また仕事が好きになれるんだろうか。

そして、数年前、退職しか考えていなかった私に、社長が話したことをふと思い出しました。

「A氏は勤続年数も長く、会社の全体を知る人物。そういう会社全体を知る人を育てなければならないと思っている。」

社長が私を異動させる真意はこれか…?

あのときの私はまともに話が聞けなかった精神状態でもあり、退職するか残るか迷っていて、社長の話を深く捉えていませんでした。

そして1年足らずで、この現場から広告事業関連に異動となります。さらに1年ほど後、カスタマーの部署へ異動となり部下を初めて持つ、現職となりました。

こうして異動を重ねた私は、会社全体の業務について、メンバーについて、満遍なく把握できたのです。

怒りや恐れを手放した自分

現在、私には部下が4人できました。部下と言っても私よりもベテランの方もいて、その中にはロジスティックのリーダーだった女性も含まれていて、私のほうが助けられています。

いつも社長に連絡・相談をしていましたが、ある時社長から「A氏に聞いてみて。彼も子どもができたり、体調を崩したり色々経験して、ずいぶん変わりましたよ」そんな話をされました。

社長の言葉をにわかに信じるのは、私の心が無理でした。人ってそんな簡単に変わるわけがない。

しかし社長に言われて、A氏に聞かないわけにもいきません。
事務連絡、事務連絡…と冷静さを保つよう努力して連絡しました。

その後から、A氏から私に連絡が来るようになりました。
A氏はいまや副社長くらいのポジション。私の部下の業務量や様子を管理するためです。

少し動悸が上がり、言葉がうまく紡げない。
でもA氏、以前よりも私のテンポに合わせて相槌など打ってくることに気付きました。
もしかして、、社長と言う通り、変わった…?

ある日、私の部下と面談をしたいとのことで、部下、私、A氏と3人の時間を作りました。
その時、A氏は数年前、体調を崩して一命を取り止めた話、子育てにも参画している話をしていました。

まさか、プライベートの話を聞くなんて、思いもよりませんでした。

そうか。いつまでも「パワハラ上司」というレッテルを貼り続けていてはいけない

A氏と思わず、別の男性社員と話をするイメージをして話をするようにしてみました。
そして、話をしても動悸がしなくなった自分に気づきました。

社長からA氏とのコミュニケーションについて、あれこれ言われたことはありません。
報告するのもおかしいとは思いましたが、やはりひとこと伝えずにはいられませんでした。

「社長のねらい通り(?)A氏に相談できるようになりました。こんな日が来るとは正直思っていませんでした。いつも本当にありがとうございます」

パワハラには苦しみました。
A氏への恐れや恨み、さらに未熟な自分への憤りや哀しみ、いつの間にかそれらを積み重ね、執着していたんだなと思います。
それを手放すことができて、とてもラクになりました。
怒りや絶望感を手放せた今は、あの頃の苦しい状況に戻ることはないと思います。

もちろんA氏は仕事に厳しい方。私も未熟なところがありますから、これからも地雷を踏んで叱責されるかもしれません。

しかし、私も、部下をマネジメントするという、A氏と同じ目標と責任を持つ立場となりました。
人それぞれマインドが異なりますから、また衝突もあるかもしれません。
でもよくよく考えると、A氏は私より10近く歳下。人生経験は私のほうが重ねている。少しは自信を持っても良いのかも

私はこの会社の社員で救われました。不健康な心身の状態の私を守りながら期待してくれた社長と、メンバーには感謝しかありません。
"会社の歯車になりたくない"など、ネガティブなイメージで使われる会社組織ですが、良いこともたくさんあると気付かされました。

私は幸運でしたが、最大の転換点は、元上司の話してくれた「避ける」という行動だったと思います。
同じような苦しみを抱えている方も、自分を変えようとか、相手を変えようなど考えず、どうかシンプルに「避ける」ようにしていただきたいと思います。

#会社員でよかったこと

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