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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑯

前回はこちら。


16. 貫けなかった反抗

 病気の再発は、すっかり私の根気を挫いた。病気に負けず、挫けずに戦い抜く美談は映画やドキュメンタリーに登場するが、実際、立ち上がろうとする度に足元を掬われていては気力も枯れ果てるし、自分ばかりが不幸な目に遭っているような気もある。「幸いにも」ダブルキャストだから、健康で気力十分、技術も人望もあるOさんがいる以上、私がいなくても舞台は成り立つ……言葉の意味通り、替えがきくのだ。望まれてもいないのに役をやりたがる厄介者の立場で、病気で稽古にも出られなくなるのでは、居場所がなくなっても仕方がない……そんな歪んだ気持ちが沸いた。実際は、「誰がいなくなっても替えがきく」し、「誰が欠けても替えがきかない」のどちらも成立するのだが、私の精神状態は限界だった。稲田が初めに「Oのほうがやるべきだ」と、厳格な裁定者ぶって、既にボロボロだった私を追い詰めるような一言を放ったのが相当きいていたのだが、私は彼のせいで自分を肯定する足場を失って辛いのだとハッキリ認めることができず、伝えることもできなかった。実際には、誰も、私が思っている程私のことを否定的に見ていた訳ではなかったし、病気と闘っていたのも私だけではなかった。特に、後輩のH君――新入生で、初めての舞台を経験することになる彼は、当時は元気だったけれども、後に私は彼が癌の経験者であることを知り、再び彼と連絡を取った時に癌が再発したと知らされ、そして彼は今この世にいない。それでいて、彼は、後で他の人に聞いたのだが、私と稲田の様子を見て、「あの二人は大丈夫なのかな?」と心配してくれていたのだという――私はどれだけ愚かで、狭い視界の中で生きていたのだろうか。よく、学校のいじめなどで自殺してしまう子の話を見ると、学校など狭い世界なのだから、そこがすべてじゃない。そこで終わる必要はない、と思う――思うけれど、事実、絶望しかない状態にあると、その世界がすべてであるように思える。そうではないことを、私が好きで聞いている音楽であったり、フィクションの諸々は示してくれていたはずなのだが、身近な人間……それもモラハラ男がノミのようにくっついて、少しずつ気力を吸い取っていく状態では、その事実は見えなくなっていった。
 この、モラハラ男であるという点が実に厄介なのである。問題なのは、彼に明確な悪意がほとんど存在しないことだ。私なら、暴言を吐くときは大体悪意を持っている。どうしたらこいつを傷つけてやれるだろう?何が、こいつにとって特に言われたくないことだろう?ということを考え、狙って、言葉を放つ。でも、放つ前に躊躇する――自分の悪意を自覚するからだ。勿論、悪気もなく人を傷つけてしまうことはある。私も、悪意どころか良いと思って言ったりやったりしたことが人を傷つけてしまっていたり、不愉快な思いをさせていた経験はあり、思い返すと恥ずかしいが、そういうことは生きていれば誰にでもあるだろう。物事の感じ方はある程度人それぞれだから、「自分がされて嫌なことは他の人にしてはいけない」というのも、「自分がされたら嬉しいことを人にしてあげよう」も、本当には通用しない。「私は嫌じゃないこと」が他人にとって嫌なこともあるし、「私は嫌なこと」が、他人には嫌じゃないこともある。あらゆる地雷を避けて通るのは不可能だから、不可避の衝突はある程度、仕方ないと諦めるしかない。不快な思いをさせたら謝罪をして、話を聞いてくれるなら、自分がどういう心づもりであったかを聞いてもらってもいいだろう。――しかし、この辺りの匙加減が、モラハラ気質の人間の場合はおかしいのである。
 まず、悪意がないことを書いたが(勿論、彼らも悪意を持って人を傷つける時もあるだろうが)、虐待親が「躾のつもりだった」というのと同じように、彼らなりの善意で身近な人間を傷つけるというのが厄介である。そればかりでなく、その善意が空回りであったり、自分本位なものに過ぎず、本当には相手の為になっていないことを突き付けられた時、彼らはまず気分を害する。まあ、私だって、家族の健康に良いと思い作ったものを「実は好きじゃない」と言われると悲しかったりショックを受けたりして、気分を損ねないかというと微妙だが、「ならもっと早く言ってよ!」という位である(残念ながら私の母親もモラ気質なのだが、不満がある時に直ぐに言わず、後でネチネチネチネチネチネチ言うので私もキレてしまうという悪循環なのでちょっと特殊なパターンかも知れない)。例えば、別れ話をする時、私は彼が我が家に置いていった大量の本を返すために持って行ったのだが、正直、うちは倉庫じゃないぞ?!と思う位置いていったので迷惑に感じていた。それで、彼も厄介払いみたいに本を返されるというのを不快に思ったらしく、読むと思っておいていったとか色々色々言葉を並べ立てたのだが、どう見ても決して広くない我が家に、頼んだ訳でもないのに彼の私物をどんどん置いていけば迷惑に決まっていることを想像できないほうがおかしいし(そもそも、「本を何冊・どのくらいものを持っていてそれを置いていっていいかどうか」という質問すらされていなかった)、お別れするのだから有難かろうが迷惑だろうが返すのが当然である。兎に角、私が実は迷惑に思っていたということが彼にとってはかなり腹立たしかったらしいが、彼は自分の善意が顧みられなかったということだけを見ていて、自分自身が相手の都合も考えずに振る舞っていたということには一瞬も思い至らなかったのである。普通は、良かれと思ってやったとしても、結果的に迷惑だったのならばまずは相手の立場に立つほうが、人間関係を円滑に運ぶにはベターだろう。彼は、相手の立場になって想像をめぐらしてみるということが極端に苦手で、苦手なだけならば良いのだが、それで期待と異なる結果になってしまった時の対応が極めてまずいのである。不貞腐れて、相手が自分より立場が弱い人間だと思っていれば文句を言うし、強者相手だと何も言わないが後で、例えば当時ならば私のような、我慢して話を聞いてくれる気弱なモラハラ被害者タイプの人間に愚痴るのである。モラハラ夫が、会社の愚痴をやたら家でぶちまけるとしたら、多分そういうことである。奴ら、極端な内弁慶なんですよ
 兎も角、そんな稲田が、持病の再発ですっかり打ちひしがれていた私に本当に必要なものを理解できるはずがなかった。その時は、なんなら口先だけでも良いから、「君と芝居がやりたい・君がやらないなら俺もやらない」とか、私のやさぐれた気分にとことん寄り添うとか、そういうものを私だって求めていた。私が、これまで稲田にやってきたように、私だってご機嫌をとって欲しかった。報われるべき時のように感じていたが、稲田は、自分が当たり前のように享受していたことを、私に与える気はなかった――というか、思いつきもしないし、考えもしなかっただろう。
 一応は復帰してみたものの、メンタルがおかしくて、まともな練習にはなかなかならなかった。皆で狂騒的に踊ったりするというシーンに臨む時、声を出そうとしたら、声の代わりにドッと涙が溢れ出てきて、部屋から逃げ出して階段の踊り場でメソメソ泣き続けるとか、本番をやる部屋に皆で集まって話を聞いているだけなのに涙が止まらなくなって部屋を出るなどの醜態を演じた。診断を受けていないので分からないが、パニック障害か何かだったのかも知れない。最初の時は、一応稲田が来てくれて隣で慰めの言葉を色々かけてはくれたものの、原因を作った張本人だと私も向こうも気づいていない中での慰めに何の意味があっただろう。次の時は、舞台監督のI先輩が付き添ってくれて、バカ話をして笑わせてくれたりして、かなり気が楽になったのだが、この時に、稲田に言われたことなどを話せばよかった。当人に訊いてみた訳ではないから分からないが、稲田の自分本位な振る舞いを色々と話せば、I先輩なら別れるように忠告してくれたのではないか……なんて思ってしまう。
 とはいえ、私もただただ泣き暮らしていた訳ではない。稲田も、私の病みっぷりの原因が自分であると分からない、或いは分かりたくないがゆえに当惑していて、若干腫物を扱うような態度になるときがあった。原作通りの性別で行うバージョンのヒロイン役の女の子が、ロシア語の発音にまだまだ不安があって、そのことを気にかけていた彼は、私が頼られると嬉しいはずだとでも思ったのだろう。私の自己肯定感は、私がやりたいという私自身の希望や意志を認めてもらい、気持ちを否定しないことでしか育たなかったと思うけれども、彼は何か仕事をくれてやればいいとでも思ったのかも知れない。その子の発音とかを見てやってくれないか、などと言ってきたが、思い出してほしい。私の病気が再発したのは、皆の役に立とうと思い、自己犠牲的な気持ちで、発音を見る機会として設けた一年生重視のテクストの読み合わせを発案し、それを始めてすぐのことだったのだ。そこで挫けたのに、自分がボロボロなのに、また新入生の面倒を見ろって?私自身の練習もままならないのに?――ここで怒りを爆発させるほどの気力がなかったのは残念だが、私もこの時は鼻で笑って、言い返した。「くっだらない」と――しかし、稲田は、聞き間違いとでも思ったのか、深追いしたくなかったのか、怯えたのか、「くだらない……そう……」とかなんとか、もごもご言って、追求してこなかった。結局のところ、相手が主張しないと思っている時だけ強くて、反発されると臆病な男なのである。

 そんなこんなの不協和音の中、何も起きないはずはない。私の心はくたびれて、ついに、役を降りたいことを稲田に告げた
 この時、稲田がもしも、僅かにでも優しい気持ちを起こし、私がやらないのなら自分もやらないと熱弁するとか、優しさからではなかったとしてもどうにか私を元気づけて、どうしても君にやって欲しいと言い含める努力でもしてくれていればと今でも思わずにはいられない。そうすれば、今、稲田を恨む気持ちはもう少し小さかっただろう。しかし、稲田は、私が辞めるにあたって、皆がいかに迷惑をするかという点にはじめに触れた。というのも、プローホロフがダブルキャストになるのにあたって、片方がプローホロフの役をやるときは、もう一人がミハイルィチという、台詞は少ないが面白いいじられキャラをかねることになっていたので、ミハイルィチ役を探さなければならなくなるということだ。だから、稲田としては、私が自分で代役を見つけてこなくてはいけないと脅しにかかったのだが、この論法は間違っている。ブラック職場でもそうだが、追い詰められて健康上の理由や何か支障をきたしてやめるのに、代わりを探してくるという義務が生じるはずがない。要は、モラハラ気質はパワハラ気質でもあり、稲田は無自覚に、身も心もボロボロになっている私に追い打ちをかけるだけだったのだ。そして、私も無知でバカだったから、準メンバーみたいな人に連絡をとってお願いしてみるとか、無駄なことをやってみた。しかし、やはり心は折れたままだから、無理だから、会費も返してもらって、完全にやめたいということを稲田に告げたが、この時も稲田はモラハラ男の真骨頂を発揮した。
 その時は、大学近くの公園にいたのだが、もう無理だし、通院や色々でお金もかかっているし負担ばかり大きく、もう芝居には出ないのだから、会費は返してもらってやめたい、とどうにかこうにか自分の意志を私は弱々しく伝えたが、稲田は激昂したのである。私がいかに甘えており幼稚で、一度は出した金を返せなどと、二度と甘えたことを言うのは許さない!……などなどと、人の家でタダ飯食いまくりのヒモ男の口から、御大層な長広舌の大説教が垂れ流されたのである。その内、彼が私より先に死ぬように願っているが、墓を見つけて、このことを墓碑に刻んでやれればと思っているほどだ。
 しかし、この時の私は、言い返しもしなかったが、ごめんなさいと詫びることもなく、心に何も感じなかった。しゃがみこんで、心は無のまま、ぼんやりと黙り込んでいた。もう、何もかもどうでも良いと感じた。多分、その瞬間、目の前で稲田が爆死しても何も感じなかったのではないだろうか。芝居をやりたいとかやりたくないとか、もう何もなかった。ただ、解放されたいと思った。

 そんな私を見て、稲田は、説教モラハラが有効ではないと気づいたのか、突然可哀想になったのか、わからない。
 突然、今までになく優しい声と笑顔で、「行こう!」と、手を差し伸べてきた。一瞬、何のことかわからなかったけれど、次の瞬間には、意味がわかった。
 もったいぶっても仕方ないし、恥ずかしい黒歴史みたいなものだから言いたくないが、要は、「自殺するつもりで旅にいこう」という誘いだったのである。
 そして、私はその誘いに乗った――けれど、勿論、生きているから、自殺はしなかった。
 結果から言うと、その旅で絆されて、降板しなかったのだが、次に少しその一泊の蒸発旅行や諸々について続きを書いていきたいと思う。


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