見出し画像

敗血症になったときのこと

・発症


 モラハラのことばっかり書くのも、何だか視野が狭くなってしまいそうだし、精神的にきつかったことを掘り起こす作業は思った程苦痛ではなくて、自分の感情を正直に連ねていくのは面白いのだがハードといえばハードなのも事実なので、偶には違う話題で書いてみよう。といっても、辛かった出来事には違いないのだが。

 私は10代の時から免疫系の疾患を色々と抱えていて、自慢じゃないが体が滅茶苦茶弱い。小さい時から入院もしょっちゅうだが、そうはいっても、物心がついてからの入院は六回ほどで済んでいる。その内一回は、人生初のICU経験となった。

 2016年のことだった。留学から帰ってきて、ステロイドを服用している虚弱体質のこの私が無事にロシア留学を終えたというのはかなりの快挙だったと思うが、更に、帰国翌日にはゼミに顔を出し、我ながらアクティブに過ごした。留学で太ったのもあり、学生ならば安く受講できるジムも始めようとしていた(金のことでトラブルになったのでもうジムはこりごりだが)。自分の所属ではないけれど恩師が担当するゼミにも出て、元気いっぱいだったが、私自身は覚えていない不思議なことがあった。恩師によると、私はその日「死」について語っていたらしいのだ。しかし、全く覚えていない。そして、その翌日にブッ倒れて救急搬送されたのである。翌日から、TAのバイトも決まっていたし、倒れる前夜には、今は懐かしログレス(PC版)で真リュミエール討伐戦を強い人に助けて貰いながら進めていたくらい元気だった。唯一、心当たりはといえば、軽い胸やけがしていたのだが、私は小学校~中学校くらいまでどういうわけかすごく胸やけがする体質で、久しぶりに胸やけするな~位しか思っていなかった。

 異変が起きたのは夜中のうちだ。まだ、そんなに寒い時期ではなかったが、激しい寒気を感じた。ロシアの10月なら、ガンガン雪が積もるくらいのことは普通に起きるが、ここは東京。それに、尋常な寒気ではなく、手がガタガタと震える。熱は39度。激しい喉の渇き。慌てて風邪薬を飲むも、すぐに戻してしまった。水を飲むだけでも、胃が受け付けず、激しい喉の渇きのために飲んでは戻し、渇いて、飲んで、戻す。母親も驚いていたが、二日か三日前に炎天下を長時間歩いたことを言って、「熱中症じゃない?!」とアホをぬかした。んな訳、あるか!!!どんな時間差だよ!!と、まあ、こう書くと母は凄くバカっぽいが、お金の計算は得意で、値段などもよく覚えている。論理的思考は全くできないといっても良い。兎も角、私も意識がもうろうとしていて、自分が死の危機に瀕しているという意識がなく、なんとかもう一度寝てみるが、これが永遠の眠りにならなかったのは不幸中の幸いかも知れない。とはいえ、死んでしまえば、多分もう何も知らないで済むので、母を不幸のどん底に陥れはしても、私自身は楽だったかも知れないが。生き延びて良かったけれど、死に方としては、敗血症なら意識が遠のいたり感覚が鈍ってしまう分、楽は楽だなと感じている。

 さて、次に起きた時はのっぴきならない状況になっていた。ちょっと恥ずかしいが、よろよろと用を足しにトイレに向かうと、殆ど自覚がなく、水っぽい便を漏らしていた。ショックを受けている場合でもなく、漸くことの重大さに驚いた母親が後片付けをしている間風呂に入ることにしたが、意識はそこで途絶えた……と思っているのだが、後に母にきいてみると、私が気を失ったのはこのトイレの後で、どうにか、風呂に入れて、その間に後片付けをして救急車を呼んだが、風呂で二度目の気絶をしていたらしい。風呂に入ってすぐのことは覚えていないが、母の絶叫が聞こえて、目を開けると、なんか知らないが鼻からボタボタ血が垂れていた。痛みはなかったので、鼻血かと思ったが、実際は、どちらかの気絶の時に顔面を打って鼻が折れていたのである。

 そんな状態で、どうにかこうにか着替えて、救急隊の方々が到着。主治医のいる病院に連れて行って欲しいと伝えたが、流石は救急隊。私の状態が一刻を争う危機にあることをすぐに察したようで、どこぞの仮病じゃね?な元総理大臣も御用達の某大学病院のほうが近かった為、そちらにまずは運んでもらった。これが今だったら、熱があってどうこうという状況で、コロナではないのにコロナのせいでたらいまわしになって死んでいた可能性が高い。その位やばかったが、搬送されて、すぐに処置を受けて回復という話ではなかった。まず、病気を調べなければならないが、寒くて寒くてたまらない。病院の対応は正しく、良かったと思うのだが、兎に角高熱で寒い。喉が渇いたと訴えるが、多分内蔵がかなりいかれている状態だったのだろう、原因が分からない内はだめだということで、口の中を時々湿った綿棒でぴとぴとしてもらうのみ。母は可哀想に、すっかり打ちひしがれてはいたが兎に角一緒にいてくれた。とりあえず点滴を受けながら(多分、抗生物質かなにかを入れていた?)、結果が出るまで待ち、数時間かかったが敗血症だということが告げられる。この間、カテーテルを入れられるわ、またう〇こを漏らし、着心地の良いお気に入りの部屋着とお別れするわで酷い目にあったが、胃も腸も多分まともに機能していなかったのだと思う。その後は、元々の持病のこともあるので、処置を受けてから主治医のいる大学病院に移り、速攻でICU入りとなった。

・VIP待遇なICU

 入院経験の多い人ならわかるかも知れないが、病院では、重体であればある程、なんか偉い感じがする。だからといってうれしくもなんともないが、この時の私はまともに飲み食いできないし鼻は折れているし体も動かないし滅茶苦茶であった。ICUの中にも序列(?)があり、すぐに看護師さんに気付いてもらえる場所に私は置かれていた。ちょっと「オエッ」となると、看護さんが駆けつけてくる。マジVIPじゃん……(うれしくない)。オエッ!というのは、不思議なことだが、あれだけ欲しかった水が、飲めるようになったのに、おいしくないどころか気持ち悪くなってしまい、氷にして口に入れたものでないと受け付けなくなっていたのだ。あるいは、濃い味のオレンジジュース等でないと気持ち悪く感じるようになっていた。

 こんなボロボロの私だったが、頭のほうは一応働いていた。搬送中には、「ああ、バイト……K先生に行けないって連絡しなきゃいけない」とかそんなことばかり考えていて意外と冷静で、どうにか母親に連絡してもらい、翌日にはK先生と、もう一人の優しい先生がお見舞いに来てくれた。一命はとりとめた訳だが、事態はもうちょっと複雑だった。この頃、うちは経済的に厳しくなっていて母は働いていたのだが、私は30パーセントの確率で死ぬところだったらしい。老若男女含めての確率であり、医師も絶対を保証することはできないから、母に「若いので助かる可能性は低くはない」ことは伝えていたものの、母のショックは相当で、近くのホテルに泊まって、万一の場合死に目に会えるようにするか、どうするか考えなくてはいけなかったらしい。多臓器不全を起こしたら、まずダメなのだそうだ。一応、助かるほうに賭けて仕事にはいったが、勿論気が気でなく、大変なストレスだったと思う。申し訳ないが、こればかりは自分でどうにもできないことなので、情けないばかりだ。とりあえず、私は峠を越えて、段々とおかゆなどを食べるようになっていたが、少し重いものはまだ吐き戻していた。初めは起き上がるのもやっとだったが、段々改善していったので、私はVIP席から引っ越して、ICUの窓際族に格下げされた。格下げされたほうが嬉しいが、私の鼻はまだ治らない。自分では鼻が曲がっているかどうか分からなかったし、母に至っては、元々人の顔が区別できないので(障害なのか、単に苦手なのかわからない)、歪んでいるのが全然わからなかったらしい。

・退院まで

 ここからはもうスピードが速くて、食事が出来るようになった私は、普通の大部屋の住人になった。もう、庶民の中の庶民だ。看護師さんは全然手をかけてくれなくなるし、呼んだりするのも申し訳ない感じになる。ただ、大事なことが一つ残っていた。折れた鼻である。形成外科だったと思うが、兎に角、そこで骨をガチッと治す処置を受けることになったが、これがもう!!

 想像を絶する痛みなのである。

 一応、麻酔を含ませた脱脂綿みたいなものを突っ込んで、感覚を鈍くするのだが、あれだけ痛いんだから、全身麻酔でもよいのではないかと思う。痛くて痛くて、「ふわぇいあ゛ぁ゛だだだだぁばぁ~~」みたいな意味不明な叫び声をあげていた気がするが、兎に角ガッチリとはまるまでは、目と目の間の骨のあたりがガチで痛く、涙が止まらない。もうあんな思いはしたくない。一応、今見る限りは鼻はきれいに戻っているが、よく見ると顔を打った時の傷が薄ら残っていて、暫くは、「私の鼻は歪んでいるのでは?」という考えにとりつかれていて、人に顔を見られるのにちょっと抵抗があった。しかも、一週間、固定のため鼻に脱脂綿みたいなものを詰めたまま過ごさなくてはならず、鼻もかんではいけないというお達しが出て、もう最悪だった。かむなと言われても鼻水は時々出るし、仕方ないので力を入れず軽い鼻息だけで出てくるものを拭うようにしていたが、想像を絶する不快さである。

 まあ、これは、治ってみれば早いもので、他の時の入院より短く済み、大学にもまあまあすぐに復帰できたのだが、怪我の功名はといえば、滅茶苦茶厳しいゼミの先生に、メールで回復してきたことを伝えると、いつも鬼のようだと思っていた教授が「安心した」「ゆっくり休んで」的なことを言ってくれて、考えてみたら別に普通の、人としてあるべき優しさではあるのだが、ギャップルール的なもののせいか、とんでもなく優しく感じられてしまい、ひどく感動してジーンとしてしまったことか。いや、怪我の功名でもなんでもなかったなコレ。人に話すと、「そりゃ、普通そう言うよ!」とツッコミを受けるが、普段から人当りは若干厳しめのほうが、優しくした時に得られる好感度が高いのかもしれない。でも、加減を間違えると単なる嫌な奴になり、ただ嫌われて相手にされなくなるだけなので、やはり私は無難に、そこそこ人当りの良い、でも怒るべき時には怒る人間でいきたいと思う。

・早く呼ぶこと

 兎に角、明暗を分けるのは、どれだけ早く処置を受けられるかという点に尽きる。特に、震える程の熱が出るとか、すぐに吐いて戻すとか、明らかにおかしい症状があるのにグズグズと我慢していたら確実に死ぬ。だから早く救急車を――と言いたい所だが、今の時期、コロナの壁があり、すぐに医者にかかるのも難しいのだろう。いざ、こういう状況になったときのための対処を、普段元気な人でも考えておいたほうが良いのかも知れない……最良の答えが、あるかも分からないが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?