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スピ話 -3- 意識の構造? ASCってナニ?

前回では、スピリチュアル・エマージェンスについて、簡単な説明を試みました。
そして、たいていの体験はサイキ領域の意識状態での体験であり、魔境と呼ばれる危険性を持っているので、先に進むためには、事象が起きる構造、機作を知っておくのが理想的、というところまでお話ししました。

さて、理想的にはそうなのですが、私の体験として苦労したのは、意識の構造について体系的に教えてくれる人が見つからない事でした。

瞑想に詳しい人に聞いても「そういう事はあります」という反応はあるのですが、意識の構造や機作を体系的に説明して貰える事はありませんでした。

「なぜ、こんな事が起きるのだろう?」
「どうして、他の人には理解してもらえないのだろう?」
などと、ずいぶん悩みました。

そんな時に見つけたのが ASC(Alternative States of Consciousness:交代可能な複数の意識状態)という考え方でした。
ときどきASCを「変性意識状態」と思っていらっしゃる方に出会いますけれど、たいていはトランス状態のことと思われているようで、それはASCではありませんし、意識が変性する(状態が変わる)ことはあっても特定の状態を意味するのは無理があります。

ASCというのは、意識には複数の状態があって入れ替わることがあり、同時には一つの状態しかとり得ないという考え方です。状態を意味する英語 “states” が複数形であることに注意してください。
では、複数ある意識状態というのは、いくつあるのでしょう?
そして、どんな状態なのでしょう?
こうした疑問に対して見事に答えたのが、ケン・ウィルバーという方がお書きになった「意識のスペクトル」という本でした。

もともと東洋には神秘思想(Mysticism)と呼ばれる東洋哲学や仏教、道教などの精神的な伝統がありました。健全な精神のあり方を究めるべく、心について精密な探究の結果を残しており、その微細で精緻な成果はあまりに深くて秀逸なので一般的には評価する事すら難しくて、凡人には価値が理解できない現実があります。心の究極を求めるので、病んだ心には関心が無くて、治療については言及がありません。

一方で西洋では精神医学や心理学が発達しており、心の病を治そうとするところから発していますから、病んだ心については豊富な事例研究がある傍ら、健康な状態については定義できず、社会適応をもって良好とせざるを得ない現実があります。現代社会そのものが病んでいるのではないかと思われる状況で、これは悲劇です。まして、「悟り」などは眼中になく、遠いどこかの御伽話とでもいうような関心の無さを感じます。

ケン・ウィルバーは、これら双方の研究を総覧して、どちらも同じ心を対象としながら、異なる状態の心を見ているために、違ったものを見ているかのような見解の相違をきたしていると看破しました。
さらに、意識の状態は幾つもあり、一度に一つの状態しか体験できないこと、異なる意識状態では同じ事象でも異なった体験となること、より深い意識状態はより浅い意識状態での知見を含むこと、これによって意識の深さの順列を系統立てて整理できる事を明らかにしました。

可視光が虹色のスペクトルを示すばかりでなく、電波、X線などの放射線、紫外線や赤外線などの不可視光に分類されるものも、それぞれ波長の異なる電磁波としてスペクトル分布の一部に位置付けて一覧されるように、意識にも状態が様々あって、分類されてもそれらは違わずに意識であるという意味をこめて「意識のスペクトル」と名付けたのでした。
(後になってウィルバー自身が、複数の波長の電磁波が共存できるのに対して、意識は一度に一つの状態しか取れないという違いがある為に、スペクトルという命名が完全に適切とは言えないと修正しています。)

私は、この本に随分助けられました。
もちろん、スペクトルになぞらえたこの捉え方は、ひとつのモデルであって実物ではありません。
しかし、道に迷う者が地図を手にしたような、現在位置を確認して迷わずに進めるという安心感に喜んだのを覚えています。

では、日常の意識とサイキ、更には悟りの意識、その他にも、どのような意識状態があるのかというお話は、続編にという事にしたいと思います。
ありがとうございました。

-つづく-

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