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橋本治「再読」ノート』のための、さらに長いあとがき

 ことしの初めに、文学フリマ東京に向けた破船房レーベル第四弾として、橋本治さんについて書いたウェブ連載を本にまとめることを決めた。
 三月の終わりに神奈川近代文学館で「帰って来た橋本治展」の内覧会があり、お招きいただいた。 そこで『はじめての橋本治論』を上梓した千木良悠子さんや、「小説宝石」で「ふしぎなぼくらの橋本治」の連載をはじめた柳澤健さんと、久しぶりにお会いした。二人とは以前から面識もあるし、それぞれが橋本治に対して、並々ならぬ愛情と理解をもつ人だと知っていた。
 それに比べて私のウェブ連載は、 分量もそれほど多いわけでもなく、そのまま本になるようなものでもなかった。 しかしとにかく、文学フリマに出す程度の小冊子──私のいう「軽出版」であれば、なんとかなるだろう。その程度の「軽い」気持ちで InDesign に向かっていた。ウェブでの計十回の連載を五章に組み直し、文章のおかしなところを手直しした程度で、大きな論旨の変更は行うことなく、あまり厚くならないような仕様(というのも、軽出版の最大の問題はページが増えて厚くなるほどコストとリスクが高まることだからだ)を考え、B6判八〇ページの冊子に整えた。
 問題は、何部印刷するか、である。昨年秋の文学フリマ東京に破船房として出した藤谷治さんの短編小説集『新刊小説の滅亡』は、私なりに考えて二〇〇部を印刷した。文学フリマ当日に約五〇部も売れたのは私としてはかなりの好成績のつもりで、その後もいろんな書店に置いてもらったり、ウェブ通販をしたりして、こつこつと一五〇部ほどを売りつつあるところだった。
 橋本治についての評論にどのくらいのニーズがあるか。ふつうに考えれば、ない。
 もちろん生前の橋本治は人気作家だったし、早い時期からのファンも含めると数万人の固定読者がいた。源氏物語や枕草子の翻案や現代語訳の読者まで含めれば数十万にものぼるだろう。しかし、そうした読者が「橋本治論」を読むか。読まない、と私は判断した。
 だから当初、この『橋本治「再読」ノート』は前回の本と同様、二〇〇部でスタートするつもりだった。 その後、神奈川近代文学館の「帰って来た橋本治展」の関連イベントとして、橋本さんの妹さん(上の妹。橋本さんにそっくりである)と小説家の松家仁之さん(『考える人』の創刊編集長)との対談という催しがあり、一般客として聞きにいった。その際、もしかしたら......という淡い期待を込めて、少しだけ作成した中綴じの内容見本を持参した。
 たいへんな賑わいだったこのイベントの開始前に、たまたま近くにいた神奈川近代文学館の方に「このような本をこれから出すのだが、文学館で販売していただくことは可能だろうか」と訊ねてみた。
 「担当の者に渡しておきます」との返事をいただき、その日はそのまま帰った。 神奈川近代文学館からの返事は翌日、すぐに来た。五〇部扱ってくれるという。
 その時点で、腹をくくった。思い切って五〇〇部つくろう。刷り上がった本が届いたのは一週間後。文学館にすぐに送った。ちょうどGWが始まった時期だった。送った本が届いた次の日に、さらに「売れているのでさらに五〇部を送ってほしい」とメールが来た。もちろんすぐに送った。
 『橋本治「再読」ノート』を印刷所にいれる前に、部数を決める参考にしようと同じ内容のPDF版をBOOTH で先行発売していた。私の予想は、せいぜい五〇ダウンロード。それが四月一六日に売り出してから月末までの二週間で一〇〇ダウンロードを超えた。神奈川近代文学館での販売決定とPDF版の好調な売れ行きが、『橋本治「再読」ノート』印刷版の刊行を支えてくれた。
 五月一九日の文学フリマ東京38の開催を前に『橋本治「再読」ノート』初刷分の手元在庫は一〇〇 を切り、通販での売れ行きを考えると早晩五〇部を割ることが予想された。神奈川近代文学館からも、 追加の注文が来るかもしれない。まったく想定していなかったが、文学フリマの開催前に増刷(正確には誤植を修正したので第二版)を行った。出版社から出してもらった自分の本は、これまでに増刷されたことが一度もない(絶版はなんども経験した)。まさか自分にとって初の重版決定を自分自身ですることになるとは......。
 そんなわけで、いま文学フリマ東京38の会場に並んでいる『橋本治「再読」ノート』は初版のほぼ最後の在庫である。もちろん、きょうここで完売できるとは考えていない。
 でも、とにかくお礼を申し上げたい。BOOTH でのPDF版の先行販売に協力してくれて、『橋本治「再読」ノート』初版分のリスクを大幅に減じてくれた方々、神奈川近代文学館の「帰って来た橋本治展」の会場や限られた取り扱い書店でこの小冊子を買ってくれた方々、そしてもちろん、すぐにこの本の取り扱いを決めてくれた、神奈川近代文学館の勇気あるスタッフの方にも。
   橋本治という小説家は、なによりもまず、手を動かす人だった。手を動かすことと頭で考えること、 そのどちらが欠けても、本当に考えたことにもならなければ、つくったことにもならない。 小さな本を企画し、編集し、制作し、販売する(こんどの本の場合は、もとの原稿も自分が書いた)。 文学フリマに出店するすべての人が、このプロセスを経て、この場にいる。
 橋本治はオタク文化には批判的だったけれど、彼がデビューした一九七〇年代後半は現在に至る新しいタイプの同人誌文化がはじまった時期でもあった。橋本治自身が、デビュー後も「恋するももんが」という同人誌を若い友人たちとつくっていた。文学フリマという場所と橋本治という作家とは、ここに集う人たちが直接的に彼のことを知らなくとも、あるいは彼の本を読んだことがなくとも、一つの水脈でつながっている。
 橋本治は「ふつうの人」のことを小説に書き、それを「ふつうの人」に届けようとした。文学フリマはふつうの人のための文学の場である。
 その場に『橋本治「再読」ノート』を届けることができて、私はとてもうれしい。

※文学フリマ東京38で買い逃した方は、BOOTHのオンラインストアから通販でご購入いただけます。


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