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大人になったらやりたかったこと

「お菓子は100円まで。」と言われ、
「大人になったら沢山お菓子を買うんだ!」と夢見ていた。

「サンタさんに頼みなさい。」と言われ、
「大人になったらあのおもちゃを買うんだ!」と夢見ていた。

「早く寝なさい。」と言われ、
「大人になったら遅くまで起きてるんだ!」と夢見ていた。

「勉強しなさい。」と言われ、
「大人になったらたくさん遊ぶんだ!」と夢見ていた。

"大人になったらやりたかったこと"は、
"大人になってもやりたいこと"とは限らなかった。

子供の頃は1日1日が新しかった。
やったことがないことにわくわくしていた。
ダメだと言われるからやってみたかった。

きっとそれを達成する事が目的だったのではない。
憧れを抱いていることそれ自体にワクワクしていたのだ。

少し大人になった私は今、
もっとお金があったら・・・
きっと恋人がいたら・・・
時間があったら・・・
自分は幸せになれるんだと

あこがれは欲望に形を変えて
ワクワクは現実感を伴って
子供のころと何も変わらないことを繰り返していることに気が付いた。

子供の私が大人になったらやりたかったこと、
今では全て出来てしまう。

でも、お菓子はたまに少し食べるだけで満足だ。
でも、あのころキラキラしていたおもちゃは今の私には必要のないものとなっていた。
でも、早く家に帰りたいし早くゆっくりと眠りたい。
でも、知らないことを教えてくれる人がとてもありがたいし、もっと勉強がしたい。

たとえお金があっても、
たとえ恋人がいても、
たとえ時間があっても、
私は幸せにはなれないだろう。

条件付きの幸せには消費期限がある。

大きな幸せを追い求めるだけでは、
道端に落ちている小さな幸せに気づけない。

物質的なもので自分を満たしても
「もっともっと」で幸福中毒になる。

大人になったらやりたかったこと。
それにワクワクしながらも幼い私は目の前の日々を楽しんでいた。
それはきっとお金や時間という"手段"ではなく
未体験の"経験"だったからだ。

きっとまだワクワクできる初めてはたくさんある。
きっと幸せはそこら中に落ちている。

1億円の宝石を身に纏うよりも
内側から湧き出る幸せを噛み締めて生きていれば
きっと私の幸せが見えてくる。

さぁ、"大人になってもやりたいこと"を探す旅に。

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