ミュージシャンがアウトドア会社を興す起業記録 6
秋の長雨のスタート。寒い一日です。
これまでピアノ、フルート、パーカッションと出会ってきて、衝撃のベースとの出会いから、高校生になり進路を考える岐路に立ちます。「プロ」になるのかそうでないのか。
中学生の時にフルートのレッスンの中で先生よりコンクールの話やプロという言葉が出てきたものの、この楽器で生きていくということにどこか迷いがあり、結局はプロになることは考えませんでした。
もしかするとエレキベースという楽器に出会ってなかったらその進路も考えていたのかもしれませんが、テレビでみるポップスの華やかな世界を知ってしまった以上、自分の進路はエレキベースでプロになるか否か、という選択肢に立つことになりました。
母の友人の息子さんが渡米し、その学校にジャズ学科がある、と聞いたときには、「それだ」と一瞬で決意が決ま理ました。シカゴ音楽大学。
日本の英語学校に半年ほど通い、初めて行くアメリカへの片道切符の先はシカゴ。
到着した先で体験したのは氷点下10度という関東生まれ関東育ちには考えられない極寒地でした。
学校に併設された入寮手続きを行い、食堂で「晩ご飯ですよ」と出されたのがサンドイッチとりんご一個だった時はサンドイッチを夜に食べる文化が日本には無かったんだ、と初めて認識しカルチャーショックでした。
父が洋食好きだったので、和食より洋食が多かった実家での食事の延長のようにも思えて、チーズ、ケチャップ食べ放題国家=パラダイス!
おまけに英語好きだったので、周りに聞こえる言葉は全て英語なんてこれまたパラダイス!
これ以上の環境はありませんでした。
このシカゴで6年余り、音楽を通じて様々な経験を積みプロのベーシストとなっていく道を切り拓いていくことになります。
お次は英語で受ける音楽理論クラス、歴史クラス、演奏クラス、夜のシカゴでのジャズクラブ遊び、毎週末のパーティーから始まる青春のスタートを書いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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