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2月への誓断【短編】

断片的に捉えれば、それはいつも通りの日曜日であった。
普段と異なる点といえば、もうすぐ雨の音が聞こえてきそうな夜であったことと、明日・明後日は入学者選抜とその採点日の影響で、休日であるということであった。思うに、2月の夜は他のどの月よりも静かである。
彼が中学を卒業してから1年が経とうとしていた。

卒業後、家から自転車で通える範囲の高校に進学したが、休日を除いて朝昼と彼は身動さえとれないような地獄に在していなければならず、とはいえそのいっこうに改善されることのない激しい苦痛に身を委ねるほかなかった。
そこは俗にいう、自称進学校であった。
それだけでなく、彼のクラスは野球猿と蹴鞠猿が支配しており、その獣どももまた魔力を持った女達に魂を売っているという非常に民度の低く治安の悪い世界である。
ミソジニーを拗らせた根暗な彼にとって、そこはまさしくディストピアなのだ。
無論、彼に人権などなく、席替え最ハズレ枠としてその名を轟かせている。

彼の日曜日はふつう、オナニーに興じ、ひとときの睡眠を経てまたオナニーに興じる。
そうして気づくころには太陽が水平線より顔を出すという、なんとも刹那的で怠惰なものである。その日も御多分に洩れることはなかった。ただ、登校日数が3日である喜びというのは他のどんなものよりも輝かしいものであり、きちがいじみた情緒で彼は今夜の獲物を探していた。

ふと、インスタグラムの通知が鳴る。見る。ライブが開かれている。見る。そこにはなんとも美しい女性がふたり写っていた。世界でいちばん美しい女性たちに違いがなかった。
全神経が一挙にスマートフォンへ意識を向ける音がする。およそ首あたりから心臓の鼓動が、だんだんと脅迫めいていく様子がとらえられた。眼球が乾いている。
彼はその独特な非情さに乗馬したまま、ズボンとパンツを脱いで下半身を丸出しにし、スプリング軋ませてベッドへとひっくり返った。猥想の対象は言うまでもなくこの女達である。

校内にいる間、基本的に彼が口を開くことはない。ましてやそれが女性に対してとなれば、両唇に瞬間接着剤が生成され、二度と給水できない身体となってしまう。そういう生物なのである。
しかし、手首の運動を次第に早めながら浮かび上がる空想の中で、彼は信じられないほど大胆なのである。その女達を抱きすくめ、ソファへ押し倒す。彼女らは「やめて」と言いながらも、赤らめた眼をうるませながら、彼の陰茎に口づけをするのである。とにかく空想上であるからして、どんないやらしいことも正義に帰化させることができる。振り回すことができる。

そうして、彼は恍惚状態に達した。反り返った身体の先端に当たる顔面は見事と言わざるを得ないほど乱れ、かぱりと開かれた口から見える歯茎の面積は大きい。何たる満足感であろうか。

まだ荒い息のまま、スマートフォンに目を向ける。そこに見える先程まで気づかなかった情報たちが脳内を駆けていく。
どうやらこの女達は現在観光ホテルに宿泊しており、某テーマパークで遊び呆ける予定であることが容易に推察できた。
聞く話によると、自宅学習期間である月・火曜日に多くの生徒が遊びに出かけるらしく、誰にも誘われず終日あたたかな家でゴロゴロとしているのは自身ぐらいのようである、その点からもこの高校の程度の低さがうかがえる。自身はなんと高貴な人間なのだろうかと彼は自己賛美をした。なお、勉強などするつもりはないのだが。
それしにしても、夜中であるにも関わらずきゃあきゃあと騒ぐ彼女らはいささか常識がない。見るに、自分より上のコースで入学している女たちのようだ。我が学び舎はここまで堕落したのかと、妙な寂寞に包まれる。
ついさっきまで共に乱れ合っていたとは思えないほど、彼は彼女らに対するミソジニーを燃やしていた。それらは世界でいちばん美しい女性でもなんでもなく、小汚い売女にも満たない下劣な人種にしか感じとれなかった。また、彼は賢者であった。その身から溢れ出る正義感に作用すべきはずのリミッターなどはとうに外れており、憤怒で震えた手が風に乗ってイカの匂いが醸される。
彼はどうにかしてこの女どもを陥れたい、そういった欲が馳せた。

少しして、気づいてしまった。
女達が缶ビールを手に持っている。目を疑った。指先で何度も目をこすってみても眼球にイカの香りがうつってしまうだけで、依然として女の手にあるその物体は形状を変化させない。
笑いが止まらなかった。
彼は即刻、その缶ビールの商品名を調べ上げ、画面録画で未成年飲酒の様子をとらえた。興奮のあまり、みたび勃起していた。あまりの高揚でTwitterに彼女らの顔面を晒し上げたが、それは普通にフォロワーに怒られた。
ふたりの女、それも自分より遥かにしたたかで普段なら目をあわせることもできないような人間である。それらの生殺与奪権を握る感触はたまらなく快活的であった。彼は自分がまるで神になったような気分で眠りに落ちた。

あっという間に2日がたち、いつもならありえないほど心を踊らせて自転車を漕ぐ。通報されるレベルの大声で校歌を歌い、集団登校する小学生のガキどもに中指を立てながら校舎へ赴いた。無論、蛇行運転である。
教師に対する密告を予行練習していたため、彼は物怖じすることなく生徒指導室のドアを叩いた。気分はウキウキである。
しかし、そこには気弱な化学基礎の教師しかいなかった。どうやら気張りすぎたが所以か、朝早くに登校しすぎたらしい。
彼はがっかりした。こんな野郎が強い言葉で彼女たちを叱り、停学等の処分を下す勇気があるようには到底思えない。これでは、厳重注意だけでことが済まされてしまうかもしれない。とはいえ、やっぱり何でもないです、とは言えなかった。

「・・・オッケー、分かった。」

密告は意外にもすんなりとしていた。
そのあとはつまらない授業を経て、だしぬけに放課後を伝えるチャイムが鳴る。期待するには取るに足らない日常だったな。帰ろうか。などと考える刹那、彼を飛ぶ声がした。

「森くん、ちょっと来てくれるかな。」

教室の後ろ側のドアから顔を見せたあの教師は、心做しか、今朝よりも老けていた。彼は生徒指導室に連行された。

「ん、親御さんに連絡したんやけど、その、なんというか、無かったことにしてくれないかって話で、」

買われたな、一瞬で彼は思った。
あの女達は見るからに金持ちそうで、現に普段でもリッチな印象を与えるアクセサリーを身につけている。

「それでさ、悪いんやけど、これ以上話を広げやんとったいてくれんかなぁって思って。あの子たちも反省したやろうし、もう許したってほしいんやんか。」

それらの空洞音は芯に届くことはない。
彼が発する言葉など、太古の昔から決定づけられている。

「嫌です。」

空気を切った音がした。
清々しかった。
彼の目の色は「正義」の一色にいろどられ、顔面およびナヨナヨとした風体はいまだかつてないほど決意に満ちていた。
ここで折れたら、ダメなんだ。何が何でも戦い抜いてやるんだ。そういった誓断はあの夜と同じく独特な非情さと脅迫めいた意思が塗布されていた。

「ほうっておいては、いけないと思います。」

本当に彼の言葉であるのか疑わしいほど、その決意は確固たるものであり、口ぶりひとつひとつに決定的な説得力を与えている。
しかし、依然として教師の顔は窶れている。

「そっか・・・残念やね・・・」

その瞬間、カーテンに隠れていた屈強そうな男たちがわっとばかりに襲いかかり、彼をはがいじめにした。

「な、何をする」

精一杯暴れ散らかしたものの、一切の運動を経験してこなかった(いわゆる危機感を持った方が良い)彼に思うような力が出せるはずないうえ、多勢に無勢である。彼はたちまち制服を剥ぎ取られ、下着も脱がされ、全裸になってしまった。
屈強そうな男の中から、あの教師が見慣れた白衣を着て顔を出した。彼は不慣れな手付きでコードを部屋のコンセントに接続し、そこから伸びた先端の針を彼の身体へ突き刺そうとした。

「や、やめてください、だまります、無かったことにします、お願いです、たすけてください」

先程までの決意に満ちた姿はなく、そこにはいつもの弱々しい彼が居た。
いくらもがこうとも男たちに四肢と胴体を抑えられ、床へねじ伏せられているので、どうすることもできない。
まさか、こんなに太い家庭だとは思いもよらなかった。絶望の渦が彼を飲み込み、その身を離すことはなかった。

「森くんが自慰するためにインスタライブへ入っとったことぐらい、彼女らもお見通しやったみたいやからね、残酷やけど、リビドーをずたずたにする懲戒をしてほしいみたいなん。悪く思わんといてな、ん。」

針は彼の脊髄へ、ぐさりと音を立てながら突き立てられた。それと同時に、脳天から後頭部にかけての中継地に電極のようなものが押し当てられ、ガムテープで雑に取り付けられた。

「ほんまに恨まんといてな、おれもやりたくないんやけど、そういう話になっちゃったんよ」

教師の言葉と同時に、プラグに電源が入れられた。
またたくまに電流の衝撃が脳下垂体と腰髄の上部に存在する射精中枢を猛烈に刺激した。彼はのべつ幕なし、周囲に黄みがかった精液を乱射しながら数分間のあいだ叫喚し、踊りまくり続けた。

生徒指導室の乱雑に開かれたカーテン。窓から刺しこむ光は2月独特のものだった。
それ以降の記憶はなかった。

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