表現の自由とは: 表現の不自由展を真剣に考える

あいちトリエンナーレへの補助金の不給付に関しては賛否両論ですが、賛成側、反対側両方の議論は驚くほど噛み合わず、堂々巡りのように見えます。ネット空間では不給付賛成が主流のように見えますが、この記事では、両サイドの意見がなぜ噛み合わないのかに触れつつ、出来るだけわかりやすく、個人の意見を述べようと思います。私は補助金不給付に反対の立場です。法律や憲法に関しては無知なため、間違っている部分、誤解を招く部分あれば指摘いただければと思います。

概略: そもそも何が起きているのか

2019年8月1日から名古屋市で開催された「あいちトリエンナーレ2019」(以下、トリエンナーレ)に、「表現の不自由展・その後」(以下、不自由展)という展示が出展されました。表現の不自由展内における複数の展示作品が、補助金を出すに不適切として、開催初日から名古屋市の河村たかし市長を含めた政治家、芸能人、そして一般の市民から展示の中止を求める声が上がり、翌日には菅官房長官が補助金給付再検討に関して言及し、不自由展の会場には脅迫状が届きました。

8月3日、トリエンナーレの運営は、安全上の理由を元に、不自由展の展示中止を発表します。結果、その後一ヶ月以上に渡り、トリエンナーレ出展者を含めた複数のアーティストや、関連団体、学会、不自由展の実行委員会から展示中止に対する抗議がなされます。

9月26日、文化庁は補助金の不給付を決定し、それに対しても学会や業界団体から批判が殺到します。

9月29日には不自由展再開の合意がトリエンナーレ運営と不自由展委員会によってなされ、トリエンナーレ終了の6日前に当たる10月14日に不自由展が様々な条件付きで再開されました。

2020年になってからは3月23日に文化庁が補助金を減額して給付する方針を決定し、5月21日にトリエンナーレ実行委員会が負担金3380万円余の支払いを求めて名古屋市を提訴しました。

直近では高須クリニック院長の高須医師を始めとしたグループにより、トリエンナーレの責任者であった愛知県の大村知事へのリコール運動が関連して起こり、大阪府の吉村知事や複数の芸能人が運動に賛成しています。

詳細なタイムラインは美術手帖のまとめが非常にわかりやすいので、以下にリンクを張っておきます。

議論の焦点: どこが問題なのか

当然賛成派、反対派の中にも意見に多様性があり、すべての意見や議論をカバーすることはできませんが、大枠の主張は以下のようになります。

補助金不給付に反対側の意見

補助金不給付反対側の意見は原則的に表現の自由を根拠にしています。具体的には、芸術展の展示内容により行政が補助金給付の決定をすることは、「表現内容の如何を問わず(公共の福祉に反しない限り)」表現の自由を侵害するものだという主張です。また、私自身の主張も端的に述べれば以上に集約されます。

補助金不給付に賛成側の意見

賛成側は論者によって意見に幅が見られますが、大まかには二種類の主張があります。

1つ目の主張は、表現の自由の重要性については、完全に同意しつつも、補助金の給付決定は行政の自由であり、そもそも補助金不給付は表現の自由を侵害せず、今回の問題は表現の自由とは無関係だ、という主張です。

2つ目の主張は、上記の反対側の意見に概ね賛同しつつも、「表現内容の如何を問わず」の部分に異議を唱えているように思われます。言い換えれば、表現の種類によっては、表現の自由は規制されるべきである、というのが2つ目の主張です。

現状の問題: なぜ議論はかみ合わないのか

以上の両サイドの意見を踏まえて、ではなぜ現状の議論は賛成派と反対派で噛み合わず、堂々巡りになっているのでしょうか。

私には賛成側、反対側ともに、主張を大きな原理原則やコンセプト(表現の自由、民主主義など)に帰結させているものの、その原理原則やコンセプト自体をそもそも理解していない、もしくは言及することを避けているように見えます。

例えば、補助金不給付反対側は多くの場合、ヘイトスピーチを表現の自由の例外としますが、しっかりヘイトスピーチが何か、なぜヘイトスピーチが例外なのかを説明しているでしょうか

一方、補助金不給付賛成側からは、不自由展における表現内容は日本国民に対するヘイトスピーチに値するとの主張が多々見られますが、こちらも、ヘイトスピーチはなにか、なぜヘイトスピーチに該当するかを説明しているでしょうか

表現の自由やヘイトスピーチと言った根本的なコンセプトの理解が両者で異なるのであれば、それに関する議論から始めねば議論は永遠と堂々巡りなのではないでしょうか。

ここからは、そのような重要なコンセプトに言及しながら、以上の補助金不給付賛成側の主張に反論する形で、私個人の意見を述べたいと思います。

論点1: 補助金不給付は表現の自由を制限するのか

最初の論点は、以上における、補助金不給付賛成側の1つ目の主張ーー補助金の給付決定は行政の自由であり、そもそも補助金不給付は表現の自由を侵害せず、今回の問題は表現の自由とは無関係だーーに関する部分です。

探してみたのですが、明確にこのような主張をしている論客は残念ながらみつかりませんでした。しかし、類似の意見はTwitter上に散見されます。

画像1

(6月7日時点におけるスクリーンショット)

どうやら、税金で支えられている補助金の使途は行政側の自由であり、自費で同様の展示を行う可能性が残されているのであるから(、表現の自由を侵害せず)問題ない、といった論法のようです(左括弧内は補足であり、上記ツイートにおいては示されていません)。

以上の主張は、完全な間違いで、民主主義、表現の自由の意味を履き違えているように見受けられます。ポイントは、2点です。

1. 当然税金の使途を決める自由は行政が持っていますが、行政の自由を理由に表現の自由を制限することはできない

2. 自費で同様の展示ができるからと言って(検閲でないからと言って)、表現の自由が侵害されないわけではない

1つ目の点は本来説明不要かと思うのですが、行政が税金の使途を決める自由よりも、市民の表現の自由が優先されます。従って、民主主義に従って選ばれた行政であるからと言って、特定の主義主張の表現を禁止したり(検閲)することは当然憲法違反になります。

2つ目の点に関して最も重要なことは「検閲」と「表現の自由の侵害の違いです。表現の自由、検閲ともに憲法21条で定められていますが、検閲は行政が主体となり、個人または団体に特定の思想に基づいた表現を網羅的、一般的に禁ずることで、当然表現の自由の侵害に当たります。しかし、検閲をしないことだけでは表現の自由が守られたことになりません。この部分が理解されていないように思われます。

これは日本の憲法でもそうですし、海外(アメリカ)の憲法でも同様です。表現の自由の侵害は、強制的な表現の禁止には限られておらず、当然、特定の思想に基づいた表現を妨害する行為も含まれます。具体例としては2005年の船橋市西図書館事件は良い例ではないでしょうか。

船橋市西図書館蔵書廃棄事件裁判の最高裁判決にあたって(声明)

上記リンクに詳細はありますが、この事件は船橋市の図書館の司書が個人の思想信条に基づいて新しい歴史教科書をつくる会(以下、つくる会)などによる書籍を107冊廃棄したというものです。最高裁は、思想・意見等を「公衆に伝達する」「法的保護に値する人格的利益」を侵害する、として船橋市への損害賠償請求を認めました。この事件では、つくる会の書籍は強制的に出版停止になったわけではないけれども、つくる会の表現が社会に伝達される機会が奪われ、表現の自由の侵害、とみなされるわけです。

そもそも芸術活動に公的な補助金が(日本に限らず)出されている現実から分かる通り、芸術は必ずしも市場経済によって価値が正しく評価されるわけではありません。そのため、多様性のある芸術活動および文化を保障するために、政府による補助金が支出されるというのが現代民主主義における共通理解です(注1)。

以上を踏まえると、補助金が必要とされている芸術活動に対し、特定の思想に基づいているといった理由で行政が補助金給付の可否を決定することは、特定の表現が社会に伝達されにくくすることにより、表現の自由を侵害する、というのが結論です。

論点2: いつ表現の自由の制限は正当化されるのか

2つ目の論点は、補助金不給付賛成側の2つ目の主張ーー表現の種類によっては、表現の自由は規制されるべきであるーーに関する部分です。

具体的にこのような主張をしている論客には竹田恒泰氏が該当します。

以上の10月5日の動画において竹田氏は、表現の自由は基本的人権の一つであり、それは公共の福祉を反しない限りにおいて保障される権利である、といった趣旨のことを述べています。

この基本的主張自体は、義務教育の公民で習うような内容であり、不自由展へのスタンスを問わず共有されている理解だと思います。そして動画では、彼は人を殺す自由がないこと、他人の名誉を傷つける自由がないことを例に挙げています。

そして、不自由展における表現は、公共の福祉に反するため、表現の自由が規制され得る、という論法です。しかし彼の議論の問題は、なぜ不自由展における表現が公共の福祉に反するかの説明を大きく欠いているところです。仮に人を殺す自由がないこと、及び他人の名誉を傷つける自由がないことを、公共の福祉に基づいて説明しても(注2)、それは不自由展が公共の福祉に反する説明にはなりませんし、当たり前な"類似例"を取り上げることで論点をすり替えているように映ります。

その後、6:15あたりから、上記の論法とは別に、大浦信行氏による「遠近を抱えて Part Ⅱ」(昭和天皇の写真が燃やされるような様子が含まれた映像作品)を見た、昭和天皇の家族が精神的ショックを受けるのでは、といった主張がなされています。この主張を否定するつもりは無いですが、それがなぜ公共の福祉に反するといった説明は無いですし、そのように考えるのは無理があるのではないでしょうか。

私の調べた限り、皇族は公人でもなければ国民でもないため、そもそも法律が適用されるかすら私にはわかりませんが、皇族が政治的な存在であることを鑑みれば、皇族を私人と同じように考えるのは無理があるでしょう。そして、もし仮に、同様の行為が存命の政治家に対して行われたとしても、名誉毀損罪および侮辱罪によって表現が制限されるとは考えにくいでしょう。

また、7:05あたりからは、上記に加えて、天皇が日本国民統合の象徴であることを理由に、日本国民がショックを受ける、と主張しています。私自身は何もショックを受けませんが、これに関しても不特定多数の日本国民がショック受け得ることは否定しません。しかし、改めて、彼はそれがなぜ公共の福祉に反するかの説明を全くしていません。そして、ただ単純に人々がショックを受ける表現だからといって、それが必ずしも公共の福祉に反するわけではありません(この点については以下論点3において、より詳しく議論します)。

ただ面白いことに、彼は主張をサポートする例として、同じく国を象徴する国旗を比較対象にしています。具体的には、星条旗をアメリカ人の前で燃やそうものなら、アメリカ人は大きなショックを受けると主張しています。

実は国旗を燃やす行為に関しては近年のアメリカでも時折議論のトピックになってますが、アメリカにおける一般的な見解は、国旗を燃やす行為は合法であり、表現の自由の一環として認められる、というものです(注3)。最近のケースであれば、4年前にトランプ大統領が国旗を燃やす行為を批判するツイートをして、共和党の内外から大きく批判を浴びています。

つまるところ、竹田氏のここまでの主張は、作品を見てショックを受ける人がいるから、そのような作品の表現の自由は制限されて良い、といった稚拙な暴論に感じられます。そして当然ながら、人々が単純にショックを受けるといったことだけでは、公共の福祉に反するとは言えず、表現の自由を制限する理由にはならないはずです(注4)。

また動画の最後に竹田氏は、この問題は不敬罪といった立法によって規制されるのではなく、(必要に応じて)訴訟で解決されるべきと述べていますが、この点に関しては大いに賛成です(というか当たり前)。ただ上記の通り、私には不自由展での表現が公共の福祉に反するとは到底思えないし、そのような訴訟に勝ち目があるとも思わないですが。

論点3: 不自由展の作品はヘイトスピーチなのか

論点2で述べた、公共の福祉に関する議論について、動画内で竹田氏はそのように主張していませんが、不自由展の作品はヘイトスピーチであり、公共の福祉に反する、とする主張が散見されます。

当然ですが、不自由展の作品はヘイトスピーチと主張する彼らは、(私の調べた限り)何がヘイトスピーチかを説明しておらず、ヘイトとレッテルを貼ることで印象操作をしているように見受けられます。これはネット上の低俗な右派が、左派を「パヨク」などとレッテルを貼り印象操作をするのと同レベルです(相手を嘲笑にしていない分はいくらかマシですが)。

では、ヘイトスピーチとはそもそも何でしょうか。論点2で述べたように、人々にショックを与える、もしくは与え得る表現、というだけではヘイトスピーチに該当しないわけです。ヘイトスピーチを説明するためには、表現の自由の基本的な理解が必要になります (以下の説明はStanford Encyclopedia of Philosophyを参考にしています)。

論点2での竹田氏からの引用にあるように、表現の自由は基本的人権の一つであり、それは公共の福祉を反しない限りにおいて保障される権利です例えば、街頭での政治家の演説を大声を出すことで、人々が演説を聞けなくなるようにすれば、政治家の表現の自由と妨害者の表現の自由が対立し、どちらかの表現の自由が優先されなければならなくなります日本の法律では公職選挙法第二百二十五条にこれが定められており、政治家の表現の自由が優先されます(注5)。では、表現の自由が他の価値と対立した際にどのような基準で表現の自由が制限されるべきなのでしょうか。

表現の自由は公共の福祉を反しない限りにおいて保障される権利という共通理解のベースとなった、自由論の中でミルは以下のように述べています。

If the arguments of the present chapter are of any validity, there ought to exist the fullest liberty of professing and discussing, as a matter of ethical conviction, any doctrine, however immoral it may be considered. (1978, 15)

ここで重要なのは、どのようなドクトリンであるかを問わず、また、たとえそれが他人にどんなに非道徳的であると捉えられても、表現の自由は保障されるべきだという部分です。例えば、昭和天皇に戦争責任がありそれを政府が認めるべきだ、だとか、殺人を合法にするべきだ、という主張に関しても、彼/彼女の表現の自由は守られるべき、ということです。

ただ、無秩序な表現の自由が守られるべきと主張しているわけではなく、ミルは以下のように、危害原理と呼ばれる例外を設けています。

…the only purpose for which power can be rightfully exercised over any member of a civilized community, against his will, is to prevent harm to others. (1978, 9)

平たくまとめると、公共に危害を与える場合においては、表現の自由が制限され得るということで、これが「公共の福祉に反しない限り」の根拠になる部分です。では何が公共の危害になるのか、という議論は非常に細分化していますが、ここではヘイトスピーチに関する部分のみを取り上げます。

ヘイトスピーチの要件は一般に以下の2つです(注6)。

1. 特定のグループ(人種、国籍、性別、性的指向、宗教など)の人を対象にし、

2. 対象にされた人々の生活をその社会において著しく難しくさせる

つまりヘイトスピーチについては、上記の2つ目の要件が「公共の危害」に該当するわけです。

それを踏まえて、今回の不自由展の作品がヘイトスピーチに該当するか見てみましょう。ここでは、多くの場合議論の的になっている「遠近を抱えて Part Ⅱ」を具体的に取り上げます。

該当作品がヘイトであると主張する人は、それが日本人(人種、国籍、生い立ち)に対する攻撃だと主張しているようですが、それが要件1に該当するかは(白に近い)グレーなラインだと思われます。まず第一に、私自身は日本生まれ育ちの日本人で、該当作品をすべて見ることは残念ながらできませんが、制作過程を確認したところ、日本人に対する攻撃とは捉えませんし、作者も天皇制の批判が意図ではないと述べています。もちろん作者の意図がどうあれ、もし大多数の日本人が作品を日本人に対する攻撃と捉えるのならば、それは要件1に該当します。しかし、作品のコンテクストを理解した上で、大多数の日本人が当該作品を日本人に対する侮辱と捉えるとは私にはにわかに信じがたいです。

次に要件2ですが、こちらは明らかに該当しません。私の調べた限り、この作品の発表によって社会での生活に著しい支障が出たというケースは見つかりませんでした。竹田氏によれば精神的ダメージを受ける可能性があるとのことですが、もし万が一、この作品を見たことがきっかけで、多くの日本国民がうつ病等精神疾患を発症したのであれば、それに応じて対処がなされるべきですが、私には現実的に社会での生活に著しい支障が出た人が多数どころか、少数いるとも思えません。つまり、もし仮に当該作品が日本人に対する侮辱であったとしても、この作品の発表により日本人の社会での生活が著しく難しくなっていないのであれば、当該作品は日本人に対するヘイトスピーチには当たらない、ということです。

最後に、ネット上でよく見られる頓珍漢な主張に、中国や韓国など諸外国を批判するとヘイトスピーチと言われるのに、日本を批判するのはそうではない、といった類のものがありますが、韓国政府を批判することはヘイトスピーチではありません。特定のグループ(人種、国籍、性的指向など)を対象にした、根拠のない誹謗中傷(〇〇人は皆嘘つきだ)といった差別に基づく発言がヘイトスピーチになるわけです。具体例をあげれば、在特会等によるヘイトスピーチは在日コリアン(特定の人種、国籍)の人々に対し、誹謗中傷(「日本から出ていけ」など)を浴びせ、彼らに身の危険を感じさせたり、差別を助長するために、攻撃対象の人々の日本社会での生活を難しくするから、ヘイトスピーチとなるのです。例えば、CCPの国家安全法が香港の表現の自由を脅かしている、と主張することに何ら問題はなく(どんどんやってください)、ヘイトスピーチはありません。

結論

長々しく懇切丁寧に議論しましたが、民主主義、表現の自由、公共の福祉、ヘイトスピーチといった基本的な概念を理解しないままに、あいちトリエンナーレに対する補助金不給付に賛成する人々が多くいることが非常に残念です。

本論で取り上げた補助金不給付を主張する意見は、比較的まともなものを取り上げていますが、ネット上には、「不自由展は外国のプロパガンダだ」、「反日的だ」といった根拠もない陰謀論的な誹謗中傷が溢れ、民主主義の根幹である表現の自由が日本で抑圧されつつあることに強い危機感を感じ、当記事を書きました。

これを読むことで、少しでもより多くの日本人が、表現の自由、ヘイトスピーチといった、基本的でありながらも民主主義社会に極めて重要な概念を理解して、当問題を考えてくれればと願っています。

注1: 国の文化として芸術活動を維持するするために、行政による補助が必要なのか、という議論については賛否両論があります。ヨーロッパでは伝統的に、芸術を自国文化の重要な一部とし、国が補助金を出すのが一般的ですが、アメリカでは、芸術活動の多くが民間からの寄付に支えられています(政府からの補助もありますが)。また、研究では、国の芸術活動への補助金が減ると、それに応じて芸術活動が民間から資金を集めることにより維持されるといった報告もあります。

しかし、芸術活動の資金源が民間によって賄われるようになると、金銭的利益に出にくいものの、公共に利する芸術活動の維持が難しくなるという指摘がなされています。

参考までに、以下のBBCの記事はその問題についてわかりやすく議論しています。

注2. まず当たり前ですが、人を殺すという行為を、表現の自由が制限される例に上げるのはそもそも論外です。彼の説明したように表現の自由は基本的人権の一つであり、UDHRの19 条では以下のように述べられています:

Everyone has the right to freedom of opinion and expression; this right includes freedom to hold opinions without interference and to seek, receive and impart information and ideas through any media and regardless of frontiers.

平たくまとめれば、意見を持つことを他者に邪魔されない権利、および、情報や考えをあらゆるメディアを通して、求め、受け取り、伝える権利が地球上のどこにおいても保障されている、といった内容です。

殺人行為は違法どうこうの議論をする前に、意見を持つことや情報を受け取る、伝えることとは関連しておらず、多少的はずれな比較対象と言えます。

注3. 日本及びアメリカで国旗を焼くことの意味、そして、外国の国旗を焼くことと自国の国旗を焼くことの違いを歴史を踏まえながらうまく説明している記事があるので、参考までに以下にリンクを載せておきます(ちなみに私は記事内のすべての意見に賛成するわけではありません)。

注4. さらに8:05においては、当該映像作品を見てショックを受けない日本人は非国民であると断じています。となれば、私を含めた多くの日本人は非国民と中傷されたこととなりますが、(もしいるとしたら)それを聞いてショックを受ける人のことは考えたのだろうか?彼の理論に則れば、彼の「非国民」発言も、ショックを受ける人がいるために、同様のロジックで制限されるべきということであろうか。

注5. 当たり前ですが、そもそも表現の自由が重要なのは、ただ自由がそれ自身で重要であるから、ではなく、それが公正な民主主義に必要不可欠な要素であるからです。政治家と妨害者の例で言えば、政治家の主張を聞く聴衆の権利、及び民主主義そのものを保証する手段として、政治家の表現の自由が、妨害者の表現の自由よりも優先されるわけです。

注6. ヘイトスピーチに関して、広く国際的に使われる決まった定義は無いようですが、関連した書籍、法案の共通点を元に要件をリストしました。具体的にはJeremy Waldrenの"The Harm in Hate Speech"、オーストラリアの人種差別禁止法などが当たります。日本の通称ヘイトスピーチ対策法は極めて限られたケースにしか適応されないため、今回の議論には使用しておりません(当たり前ですが日本のヘイトスピーチ対策法は明らかに不自由点の作品には適用されません)。

追記: もし仮にポルノ作品が不自由展にあったとしたら?

Japonesatomyさまに、もし当該作品がポルノ作品だとしたら、という質問を頂きましたので、以下に追記という形で私の考えを述べさせていただけたらと思います。

ポルノと表現の自由は歴史的にも非常に複雑なトピックで、私の不勉強も相まって、非常に回答するのが難しいのですが、結論から述べさせていただくと、ポルノ作品でも表現の自由は侵害されるべきでない、というのが私の意見です。

以下では、単純化のために、児童ポルノおよびヘイトスピーチに該当するポルノは議論から除かせていただきます。

ポルノ作品の表現の自由を制限することを正当化するのに使われる理由は複数あり、1. 性的なものは不道徳であるという倫理観2. 女性に対する差別的な価値観を促進し得るから3. 未成年に悪影響を及ぼすため、などがあります。

1つ目の理由は、海外であればキリスト教的な価値観に由来するものであるかと思いますが、現代の民主主義国家においては(少なくとも表面的には)このような理由でポルノの規制が叫ばれることはまずありません。どうやら日本でポルノへの制限が明治時代以降にかかったのは、この価値観が開国した際に輸入されてきたため、とされているようです。当然この倫理観には、科学的裏付けもなく、表現の自由を制限するに適当な理由だとは私は思いません

日本で2つ目の理由が議論になることはまずありませんが、ポルノが、女性を性の道具として蔑視したり、女性を劣ったものとして扱う価値観を広め得るため、女性の権利を侵害する、といった主張です。こちらは、ポルノがなければ女性にとってより住みやすい世界になるかもしれない、とは考えられますが、それを定量化して示すのは大変難しく、表現の自由を制限する理由として使われている例は私の調べた限りは見つかりません (すなわち文中の危害原理には当てはまらない、というのが一般認識だと思われます)。

最後に3つ目ですが、日本でよく議論される理由かと思います。ただ、科学的にポルノが未成年に悪影響を及ぼすと確立されているわけではなく、その可能性がある、といった程度のようです。性的な描写のある映画などに年齢制限が設けられるのは、こちらの理由だと考えることができます。そのため、仮にポルノ作品が不自由展で展示されていれば、不自由展に年齢制限を設ける必要がある、というのが安全な回答になると思います。しかし個人的には、科学的な裏付けが薄いこと、また不自由展の展示の趣旨を考えると、そのような入場制限は本末転倒かと思います。

さて、ここまでの議論で触れていないのが、「では芸術と称して、公共の場で全裸になってもよいのか」といった意見です。このような例を説明するのに使われるのは、危害原理ではなく、ファインバーグによって提唱された不快原理というものです。これはアイディアとしては、公共の危害を与えるという条件はあまりにもハードルが高いので、大多数の人が極めて不快になる表現にも制限を加えてよいのでは、ということです。しかしこのような曖昧な条件は乱用され得るため、実際には、多様な条件が考慮されます。その一つが、その表現を受ける人々に選択する権利があるか、ということです。例えば、誰かが公共の場所で裸になったら、その場にいる人はそれを見ない選択をすることが難しいため、その表現を避けることができません。そのため、不快原理が適用されるわけです(それ以外に考慮される要件は多くありますが、ここでは省略させていただきます)。この不快原理が、映画に限らず、性的な表現を含む小説や音楽に、予め注意書きがなされる理由かと思います。

そして今回の不自由展については、不自由展に見に来る選択が聴衆にあること、また、不自由展が過去に何らかの理由で表現に制限を受けた作品を集めているという(何か”問題のあった”作品が展示されている前提がある)事実を加味すれば、不快原理を適用するのは適当ではないと思われます。(ちなみに、この原理を無理に適用しようとすれば、作品を制作したアーティストではなく、「こんな作品が許されるのか!」と、ツイッターのタイムラインでシェアし、多くの人に見ることを強制した人々が罪に問われるということになるのでしょうが、それはそれで無理があると思います)

以上を踏まえまして、私の結論は、ポルノ作品でも表現の自由を侵害されるべきでない、という事になります。

1つ目の理由と3つ目の理由の日本での歴史的経緯については以下のBuzzFeedの記事、

また、2つ目の理由と不快原則については以下のスタンフォード大学のまとめが非常に参考なるため、もし興味がお有りであれば、ぜひ確認いただければと思います。

https://plato.stanford.edu/entries/freedom-speech/

最後に、でも日本ではネット上のポルノ作品に規制がかかっているではないか、という意見があるかもしれません。それはおっしゃる通りで、ろくでなし子氏の事件からわかるとおり、法律的について話せばグレーラインであると思われますが、私は現状の刑法175条の運用が正しいとは思っていません。ただ、戦後直後においては、小説における性的表現さえもが規制されていたことを考えれば(チャータレー事件)、当該法律の運用は時代に応じて変化しており、日本のポルノ規制は未だに時代遅れなものの、徐々に良い方向に変化しているのではないかと思っています。


参考文献

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