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心のバグと下手くそながら向き合う話

 色々な人の意見を見聞きしていると、突然心がパンクしそうになることがある。
 SNSなどを眺めている時に起こりがちな心の不具合なのだが、普段ならば気にしないであろう言葉に、その時ばかりは何故か打ちのめされてしまうのだ。
 文言はきっと何だって構わないのだと思う。
 自分には少しも関係のない愚痴、知らない誰かによる飛躍した暴論、凶悪事件のニュースや芸能人への誹謗中傷だったりもするし、酷い時には負の感情が表明されているのでない、映画の感想やYouTuberのイベント告知文にさえダメージを受ける。

 そして、一度こうなってしまうと、もう止まらない。

 些細なことで落ち込んだり、明らかな朗報に何故か苛立っては、「友達の幸せさえ共に喜べないなんて私はなんと心の狭い人間なんだ……!」などと、もはや底なし沼である。どこまでも落ち込む。

 こういう人間にはそもそもインターネットが向いていないような気もするけれど、SNSを続けて早14年。辞めろというのは無理な話だ。
 辞められないならばせめて、と、一旦アプリを閉じ、自分を少し省みる。

 ……すると、睡眠不足であったり、PMSが来る頃だったり、自分を取り巻く環境がほんの少し変わったタイミングだったりと、心が気付かぬうちにダメージを負っていることが分かる。


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 懲りずに毎度こんなことを繰り返すことで、私は自分の心と向き合ってきた。なんとか壊れない程度に自身のメンタルケアが出来ていることは、SNSをやっていて良かったと思う点のひとつだ。

 ……いやいや、と。
 そもそもSNSをやっていなかったらそんな悩みもなかったのでは? と、そう思われるかもしれない。

 けれどこの唐突に打ちひしがれる私の不具合、残念ながらSNSに限定されたものではないのだ。
 現代人は誰かと話すよりもスマホを見ている時間の方が長いためにSNSで頻発するというだけのことで、日常会話においても現れることがある。

 ……これが一番厄介だ。

 SNSならば、いかに今自分が辛く悲しいかをお気持ち表明する前に、「投稿」のボタンを押すというワンクッションが挟まれる。
 私はここで冷静になり、大抵の場合は一時の感情に流されることなく、タイムラインを離れ、原因究明に移ることができる。

 ……だが、日常会話でこの不具合が発生した場合、相手の言葉で自分がどれだけ嫌な気持ちになったか、口に出すのに必要なのは「その場の勢い」のみである。

 己の心の不調からきた苛立ちや悲しさを、たまたまトリガーになる、しかも都度ランダムな「何か」を言ってしまっただけの相手のせいにするわけだ。その「何か」が私への悪意ならば正当な抗議だが、先に述べたように、私の感情の爆発は何をきっかけに発生するか、私自身にもわからない。
 日常会話をしているだけだったであろう相手は私の感情の乱高下に被弾して困惑するだろうし、「嫌な気持ちになったのはこっちだよ」と眉を顰めるだろう。……おっしゃる通りである。あなたは何も悪くない。

 こういう面倒くさい性格をしているからこそ、私はSNSをやっていて良かったと思うのだ。 

 疲弊した時や不安な時、SNSのタイムラインを眺めてはひとりで勝手に落ち込んだり悲しんだりするのは時間の無駄なのかもしれない。
 けれどSNSに出会わなかったら、この面倒な性質のせいで、今仲良くしてくれている友人さえ失っていた気がする。そもそも自分の厄介さ加減にさえ気づくことがなかったかもしれない。
 昨今様々なSNSで改悪ともいえるアップデートが話題になっているが、恐らくサービス停止にでもならない限り、私がこれを辞めてしまうことはないだろう。それだけ便利で、もはや生活の一部なのだ。


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 さて、こんなふうに書いてきたが、もちろんSNSは依存していいものでもないし、フォロワーとの距離感も弁えるべきだと思う。
 これだけ長いことSNSをやっているので、昼夜逆転にひきこもり、個人情報流出やストーカー被害など、様々なトラブルを目の当たりにしてきた。
 今や「情報交換」やライトな「交流」の枠を超えて、各人の人生にSNSというツールが良くも悪くも影響を与えているのは間違いない。けれど、どんなサービスもいつかは終わってしまうものだし、一番大事なのは自分の「リアル」だ。
 私もSNSに頼って生きてはいるけれど、「これがないと生きていけない!」という状態になってしまわないよう線引きし、うまく活用して心と付き合っていきたい。

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