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私が「話を最後まで聞いてもらえない」理由がなんとなくわかった話

 先日、夫と些細な言い争いをした。

 内容も某ゲームキャラクターの真意の考察という、「大の大人がそんなことで喧嘩するなよ」と、私自身傍から見ていたのなら呆れてしまうようなものであった。

 後に聞いたところ、夫は私の話の内容を半分ほど聞いたところで、「妻は今自分の意見を否定している」と感じてしまい、語気を荒げたらしい。
 対する私は「夫が私の話を半分も聞かないうちに遮り、かつ真意と違う受け取り方をした」ことに憤ったのだった。

 私は幼少の頃より「人の話は最後まで聞け」と教わって育ったためか、基本的に他人の話を遮ったり、最後まで聞かずに分かったふうな反応を示す相手を苦手としてきた。
 特に学校を卒業し社会に出てからは、「分かった分かった、つまりこうだろう」とこちらの言葉を得意げに遮る相手がわんさかいて、しかも八割方こちらの意見とは違うものを受け取っていたので、余計苦手意識に拍車がかかったかもしれない。

 しかし考えてみれば、だ。

 それだけ沢山の相手が痺れをきらすということは、 こちらの話し方がそれほど冗長だったということではなかろうか。

 何せ私はよく言えばのんびり屋、悪く言えばトロい性格をしている自覚がある。「結論から言え」とはよく聞く話法だけれど、業務連絡や目上の相手との会話ならいざ知らず、親しい間柄との雑談において、会話の主論を意識して話すことなど全くないと言っていい。

 もしかすると私の話、今回に限らず、無駄に長かったり、要領を得ないものだったりするのでは……?

 夫との諍いに話を戻すが、彼がせっかちな性格をしていることは妻である以上、しっかり把握しているはずであった。それを長ったらしい、しかも彼の意見とは異なる考察に付き合わせた上、最後まで聞けと怒るのは可哀想だったなあ……と、今は反省している。
 夫は夫で口論の後に色々と考えてくれたらしく、「急ぐ用もないのに話の途中で口を挟むのは良くなかったし、これまでもやっていた気がする。すまなかった」と頭を下げてくれた。
 もちろん私の方からも、「意見を否定するつもりはなく、私は違う考えだと伝えたかったのだが、結論が後ろに行ってしまい、誤解させて申し訳ない」と誠心誠意謝罪した。

 話を最後まで聞くのは大切なことだ、という考え方は今も変わらない。けれど、あの喧嘩は相手のせいばかりにして自分を省みなかった私に、確実に良い変化をもたらした。
 色々な性格の人がいる中、万人に受ける話し方なんてものは存在しないだろう。
 けれど近しい相手や大切にしたい人にだけでもきちんと真意が伝わるよう、「聞いてくれない相手が悪い」と決めつけるのではなく、最後まで楽しく話を聞いてもらえるような話し方を模索していきたい。

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