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ベルギー音楽レーベル"Home Produkt" インタビュー動画をみる

かつて存在したベルギー地下音楽レーベルのHome Produkt
既に活動は止まっているものの、Youtubeにあがっていたレーベルオーナーのインタビュー動画を見つけたので、僭越ながら和訳してみました。
十何年と憧れを募らせているだけの自分ですが、少しでも、このレーベルに興味を持つ方が増えますように

◉ Home Produkt について

ベルギーの音楽レーベル"Home Produkt"は短期間の零細音楽レーベル。85年から90年までの5年間で発売作品数12本程度。
Insane Music”などほかにもベルギーの地下音楽はありますが、特にこのレーベルの偏屈・脱臼・慈愛の入り混じる宅録音源を聞くと、いつも背筋が伸びる気がします。存在を知ってから十何年と、僕には憧れの存在です。
音楽的には、温くて湿った音質のsynth pop、toy pop、industrial、experimentalという内容が多め。その脱臼具合から、いかに尖った人間の集まりか把握できると思います。いまも活躍している人だとKlimperei(当時:Los paranos)とか。
実は、日本からも轟カオル(当時:PickyPicnic)、とんちピクルス、ThePockets(その後、第五列)などなど、強者たちが参加。
作品パッケージへの拘りも驚異的で、どれも現物を手にとって触ってみたいものばかり。レコードと一緒に「鱒」が入ってたり…。ひろった木の枝がカセットに付いてたり…。まずは上記Discogsから画像を見てもらいたいです。
ただし、日本語で情報が載っているサイトはレコード店She Ye,Yeさんしか出てきません(最高な音源ばかり取り扱っているお店)。日本語の情報がほぼ見つけられません。

今週になって気づいたのだけど、YoutubeでレーベルオーナーPatrick Stas 氏のインタビューを発見。ベルギー人なので仏語で受け答えしてます。でも親切なチャンネルだから英語字幕付き。わからないなりに英語読んでたら胸が熱くなりまして。
せめてこのインタビュー内容だけでも整理して、人に知ってもらえおうと。
稚拙な文章ですが、これでHomeProduktに興味を持っていただけたら幸せです。

・ インタビュー動画_Patrick Stasについて

ベルギーアングラ音楽と称したYoutubeチャンネル。
この他にもベルギー出身ミュージシャンで、それこそInsaneMusicのAlain NeffeとかアクサクマブールのMarc Hollanderとか。
蘭・仏・英の3言語もアップしているんだから、ベルギーの多言語国家を垣間見れます。(国歌も一番から三番まで、蘭・仏・独語で分かれてたはず。)
ということで、頑張って日本語訳載せてみます。
全然違えよってとこあれば、直しますので言ってください。たぶん、たくさんあります。

1)Patrick Stas ~プロフィール~

僕はブリュッセルに住んでる。小さい頃、両親は食品工場で働いていた。
13、14歳まで正直音楽を聴いていなかったかな。
両親の所謂レコード棚は「Les Compagnons de la chanson(シャンソン)」みたいなので構成されてたし、正直それが好きじゃなかった。しっくりこなかった。
その中に唯一隠れていた異端児が ”Sam&Dave” だった。母は嫌っていたのに、なんで在ったのかな。ただ、僕にとっては唯一好きなレコードだった。 
15歳の時、誰かが”Sgt. Pepper's~” を貸してくれた。脳天ぶっとばされたよ。
それで”Revolver”を聴いて、それでその次は・・・って具合に世界が広がり出して、ポップミュージックに興味を持った。
次から次へと、”Sgt. Pepper's~”の時みたいな運命の出会いがあった。
ある時なんかはダンスホールからの帰りに…アルデンヌだからね、あそこは夜にクラブなんてないから…だからダンスホール(*1)の帰りでね。
帰り道に、しょぼい壊れかけのラジオでThe StoogesのFun Houseがかかった。もう、のぼせあがったよ。
リエージュにいた頃は、”シンプル”で ”ダイレクト”なパンクの音楽性に僕の中で変革が起きた。なんていうか、それまでのディープパープルのような音楽にくらべて、新鮮だった。美術について言えば僕はダダイズムに興味を持っていて、この二つがきれいに結びつく感じだった。
僕にとって大きな存在は他にも2、3ある。WireThe Pop Groupの1st(これは本当に人生が変わった)、そしてThe Residents。初めて買ったパンクのレコードはPeru Ubuの"ModernDance"かな。
 
当時のリエージュには"La Cave22"っていうイベント会場があった。
多分、リエージュのウトゥルミューズ通り22番地にある薄汚い地下だったからだと思うんだけど(*2)。
毎週金曜に演奏をしててリエージュの若者がライブしていた。最高の雰囲気で、とにかく特別な場所だった。2、3ヶ月と短い期間しか持たなかったけど。

あと、普段僕たちが通っていたような場所とは正反対なとこだけど、Le Cirque d'Hiverも面白かった。当時みんな、新しくて挑発的なことをしたがって。
そんな場所でパンク強化週間イベントやることにして、The Slitsも来るはずだったんだけど、生憎キャンセルになっちゃったんだった。見たかったのに。
彼女たちがドタキャンしたもんだから、代打でイギリスの無名のバンドが来たんだけど、かなりシャイな奴らだった。街中で声かけたら逃げ出しそうな奴らで、すごい面白かった。
でも、とにかく最高な演奏だった。1週間まるまる演奏したけど、最高だったよ。
それで思ったんだ、バンドしなきゃなって。それで始めたわけ。
四人のメンバーが集まって、僕の地下室で練習をした。
ぼくんちの地下室を既にロックバンドが練習で使ってたからさ、アンプは既にあって、それをシンセ用のアンプにした。
四人みんなKORGのMS20をつかってた。 ギターって感じじゃなかった。
あとはサックスとベース。それとダンスホールの楽団から買い取った、焦げたビートボックス。
たしか、20ベルギーフランで買ったよ。(*4)燃えたジャンク品だけど、問題なくボサノバとかサンバも演奏できて、かなり遊べたんだ。
彼らは知らなかったみたいだけど、リズムパターンを結合できて・・・
まさにコレがしたかったことだった。地獄のようなサウンドを鳴らしまくったな。

*1:いわゆる社交ダンス場、"Ball"
*2:Cave=洞窟=地下?
*3:地下室を貸していた?
*4:1ベルギーフラン  ≒ 3円。 つまり60円くらい?

2)Gheneral Thi Et Les Fourmis ~音楽の始まり~

友達の1人に当時にしてはかっこいい映画を撮っている奴がいた。
内容は"モダンタイムスの考古学"だったかな。つまり工場は、悲惨というか醜悪というか・・・いや、彼の映画は悪くなかったんだ。
ただ映画用に、音楽がなかった。
それで、ぼくに作って欲しいと頼まれたんだ。テープレコーダーは持ってたから、それまで何個か断片的な作品はあった。で、それら断片をつなぎ合わせて作った。
その完成品をそのまま販売したんだ。僕たちの初めてのカセットだった。名前もなにもつけていなかったよ。
それを雑誌 ”Télémoustique”(現:moustique)に送ってみたら電話があった。自分たちでも何が起きているかよくわかんなかったよ
雑誌ではすごく高評価でね、世の女の子たちがやっと僕らの存在に気づいたんだ。

そんなことが起きたから、終いには僕たちもレーベルを作ればいいと決めた。
カセットのネットワークで、お願いできそうなプロデューサーを探した。
Portastudioに早くから目をつけて、ミュージシャンがみんな使い始めてたからね。
当時は衝撃的で、4トラックのレコーダーだけどポータブルなんだ。
マイクとか繋げてみると、音については高品質ではないけど、十分だった。
そんなことは僕たちだけじゃなくって、InsaneMusicとかもしていたんだ。そこでInsaneのカセットを買った。
そんなこんなで「僕らにもできそうだし、するべきだよな」ってなった。
で、作ったのが「Home Produkt」(1985年)と呼んでた2ndテープだった。
お察しの通りで、その時にレーベル名も「Home Produkt」になったんだ。
このレーベルでコンピレーションを作ったよ。

20211103和訳修正:
moderntimes=近代社会→モダンタイムスに修正。チャップリンのモダンタイムスとあとで気付きました。

(このバンドでhawaiiという仏レーベルのコンピにも参加しているようだが、話には出ず)

3)Creep-z ~コンピレーションの始まり~

コンピ「Creep-z」は、つるんでた仲間と、ぼくらのスタジオで作ったよ。Portastudioと8トラックレコーダーと交換して、スタジオは2階にあった。
そこで、なんていうか妙なことばっかしてたね。(*5)
その仲間っていうのおは、Denis MpungaMarc Dixonとか、Jean-Claude Charlier et Son Orchestreとか。
全部自分たちで録音して、1から10まで全部やった。考えてもすごいね。
いま、CDやレコードを作ろうとしたら、SABAM(*6)に届出しないといけない。会員の許可をもらいに行くんだ。本当に煩わしいよ。
会員登録したら最後、自分の仕事ができなくなるんだ。時代遅れだよ。
変わる時だよね。クリエイティブコモンズみたいに、新しいものが生まれつつあるんだ。
ま、とにかく当時は違った。"レコードを五百枚刷る"ってのは大きな投資だった。
でもカセットなら、50個とか100個作ってみて、売れればもっと作れた。
シンプルなことなんだけど、事実だった。
みんな20分ずつ時間をとって録音した。”20分”がいい、録音に十分だし、次待ってる人がイライラしない長さだった。作業は順調にとりかかって、僕たちは録音を終わらせた。

*5:どこの2階か不明。仏語文字起こしでは、教会の2階となってしまった。
*6:ベルギーの著作権保護団体JASRACみたいなものらしい

4)Albert et Guido ~デザイナーのアルベルト~

AlbertとGuidoっていうグラフィック・デザイナーの友達がいた。
たぶんもう2人は今は一緒には活動してないんじゃないかな。2人ともバラバラで活動を続けていると思う。で、当時は2人で活動してて彼らの展覧会に行ったんだ。
面白い内容だったよ。アグレッシブで、でも良いんだ。ユーモアも溢れてて。
で、彼らは展覧会用にテープを作ってたんだけど、B面を僕に作って欲しいとお願いしてきたんだ。
彼らはB面裏側だけ作りたかったんだね。裏返せば表側(A面)になるから。
で、僕がB面を担当したわけだ。
彼らはいつも美しいものばかり作ってた。一緒に演奏もしたし、テープも作った。
彼らはいつも、普通じゃないものを目指していた。
いつもアイデアは、プレゼントみたいなもので、なにか仕掛けが準備されてた。
このカセットは、シルクスクリーンで擦った森の風景に、糸を巻き付けた木の枝がつけてあった。それが最高だった。これが僕たちが最初の制作だった。
音楽的にもいいものになったし、楽しかった。
Albertがビューグルを吹いてるんだけど、それがね(笑)

5)Brabançonnes ~日本との交流~

ある時、ベルギー国営放送ラジオを聴いてたら、リアレンジされたBrabançonne(国歌:ブラバントの歌)が流れたんだけど・・
みんな、「ぼくたちが何とかしなきゃ」って。で、コンピを発売した。
全世界から音源が届いて、終いには33曲もの国歌が集まってた。
もちろん、Albertたちも参加したし、まあ、Discogsで確認して。
ベルギー地図をシルクスクリーンで刷って、国土の形に切り取った。
シルクスクリーンの技術が身についたね。3回かけて刷ってカラープリントみたいにみえた。
一枚たりとも同じ地図はなくて、全部違う配色で仕上がった。写真みたいだった。
このコンピは、カセットケースまでも洗練されていた。妻が参加者全員のことが載った小さな四角い黒い形ブックレットを作った。(*7)
全部家で自分の手でやった。こういう作業が好きだった。
150ものセットを作り終えて、テーブルの上に並べた時はやばかったね・・・。
僕は、Der Planと彼らのレーベルAta Takは大ファンだったけど、Ata TakからPicky Picnicの何かを発売して知った。僕は彼らのテープを手に入れた。
それで、轟カオルに連絡を取った(たぶん、と・ど・ろ・きって発音だと思うよ)
彼の"カルビンおじさん"のカセットは最高なんだ。
彼の作品を何か出したいと思ったんだ。それでこの国歌コンピから既に参加し始めているね。江口昌記氏も参加しているね。(*8)
日本とコンタクトをし始めた。そのなかで、The pocketsからカセットテープを送ってもらったんだ 。僕たちみんな立ちすくんだ。
驚異的な美しさで、もうシングルを作るしかないと思って。


売れないだろうなって思ったよ、でも関係なかったんだよ。
簡単なことなんだよね、レーベルに必要なものって・・・。
レコードの場合、投資のようで正直怖い。でもレコードは、まじめに管理して売れば、250枚で元は取れるんだ。だから出来ないことじゃないんだよ。
このThe Pocketsのシングルのデザインにはすごい時間がかかった。
Albertも僕もアイデアを使い果たしてたんだ。
しばらくして、Albertが僕のうちに来て、「できた・・」って。
今回のは、雲と火山を切り取った型紙だった。7インチのラベル面は赤。
取り出した時には富士山の型紙も一緒に出てくる。出し入れする時にこの赤のラベルがご来光みたいに見えるんだ、最高だよね。日本語の文字も入ってる。

*7:どうやらブックレットもしまう真っ黒いケースがあった。その真っ黒いケースに、型紙の国土がハミでるように挟んで収納。
*8:江口氏のStratosphere Musicから"カルビンおじさんの私生活"をリリースしたため、コンタクトを取ったのかと思われる

6)An Der Schönen Blauen Donau 

アメリカ人の男が"An Der Schönen Blauen Donau"(美しき青きドナウ)を巨大なホールで演奏したいって話がある。
この話にはいろんな説があるけど、重要なのは、アメリカ、すべて巨大ってこと。
で、彼はすごい数の合唱隊も学隊も準備できて、並んだらすごい大行列になった。
彼は指揮を執るため小さな演壇に立った。これほどの大行列になると、端っこの演奏者まであまりに遠すぎて、開始の合図を伝えるのに大砲を使った。
さあ始まる!と、彼が号砲を撃ち鳴らしたんだけど、演奏者はみんな聞こえるタイミングは違う。だからみんな演奏するにも、頭がズレるんだ。ひどい騒音だった。
タイミングが合わないし、それぞれ距離も離れていたからミスだらけだったんだ。
この話が本当に好きで、よし、これでコンピレーションを作ろうってなった。
30にも及ぶ美しき青きドナウの音源が集まった。
このレコードは、塗工紙で包んで、半透明なスリーブには波線が入っていた。
これはarbertの使ってたキャノンのタイプライターに小さな波線があったんだ。
で、これを青色のインクで波線を打ち込んで、ドナウ川の青い波に見たてたんだ。
作品にはいつもおまけが必要だから、切り取った鱒の型紙も入れておいたよ。
すごい時間を奪われたよ。頭おかしいことしてたな。ほんと死ぬほど大変だった。
シルクスクリーンの作業中ですら、僕は煙突みたいにプカプカたばこ吸ってたから、Arbertは嫌がってた。彼はビビってたよ。僕はぼんやりしてるし、吸い殻を落としかねないから。

7)HomeProduktその後

山あり谷ありだったけど、いつも満足して終わってた。
全部自分たちでやってたからね。全部みんなで一緒に作り上げた。そして案外売れたんだ。二つのコンピ(国歌とドナウ)は売れたと思う。その後のHarald Sack Zieglerの作品も、持っている分全部売れた。
在庫を全部手放したら、重版して刷ってたけど、やめたから在庫は空になった。
息子が生まれて、僕のなかで優先順位が変わってしまった。
必ずしも「なんとしても何か始めなきゃ」という気にはならなくなった。
そのあとも義兄(Gheneral Thi et Les Fourmisのベース)と、TU_liPsって名義で2回くらいライブしたかな。
コンサートって柄では無くなったのかな。僕らのサイトで音源を聞けるよ。
いつまで続けていくか、自分でもわかんないな・・・。前とは何もかも違うから。
当時は、なんていうか"欠乏"してた、今時だれも欠乏なんかしてないけど。
僕の耳だって、音楽的に歳を取ったかも。まあ十分だけど。
エレクトロミュージックや、トランスやらその後のすごい音楽が生まれてきて、
聴いたことのないような驚くものが出てきたよね。
たくさんではないよ、でも確かに存在する。衝撃を受ける時があるんだ、ジミヘン聞いた時みたいにね。それまであんましっかり聴いてこなかったんだけど、二年前に久しぶりにBand of Gypsysを聞いたけど、立ちすくんだな。付け加えるものなんてない、全てが完璧。
でも、今や「自力で」「自宅で」やることの可能性が、テクノロジーで広がった。コンピューターにしろ海賊版ソフトウェアにしろそれさえあればシンセが手にはいる。15万ユーロのシンセから、150ユーロのモーグまで。
それがタダ。すごい話だよ。楽器表現の可能性が広がってるんだ。
iPadなんかもそうだろうね、ぼくもなんでもかんでもiPad に入れているよ。
持ち運べて便利で、何もかもがこの中で起きて、完結する。次なにか音源を販売するとしたら、iPad からリリースするだろうね。
僕が使っていた4トラックのPortastudioが、今のテクノロジーなら同じ値段で24トラックレコーダーとSDカードが買えちゃうんだから。

あとがき

補足すると、2017年には、Denis Mpungaの音源がMusic From Memoryから再発したりもしています。
英語力の乏しいうえに、現物も持っていない人間が出しゃばった気もしますが、HomeProduktに興味を持つ人が増えることも望んでいますし、
日本語でも情報がまとまっているサイトが増えたり、
当時の参加者の方々がで話してくれるような場が生まれたら嬉しいなあ、と。
ただそう思いました。

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