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海と山のオムレツ | 読書メモ

概要

カルミネ・アバーテ著、関口英子訳『海と山のオムレツ』新潮社、2020

「南イタリア、カラブリア州出身の作家が、固有の言語と食文化を守ってきた郷土の絶品料理と、人生の節目ごとに刻まれた家族の記憶とを綴る、自伝的短編小説集。」
『海と山のオムレツ』扉より


古今東西変わらない人間の生を描き、肯定する小説

家族や仲間と食卓を囲むシーンがたくさんある。テーブルに並ぶたくさんの料理の彩りや良い香り、賑やかなおしゃべりを思い浮かべると、心がぱっと温かくなる。そしてお腹も空いてくる。

祖母はいちばん大きなフライパンと、自身の創作料理である〈海と山のオムレツ〉に入り用な食材を取り出した。ピガードで採れたオリーヴオイルに、うちの雌鶏の卵を五、六個、腸詰めの大きな塊、あまり辛すぎないサルデッラを大さじ二杯、オイル漬けのマグロを一切れ、赤玉葱一個、パセリ、それに胡椒と塩を少々。
p12
フランコ・モッチャは冷蔵庫からブグヴァッリァを二枚取り出した。イタリア語でいうところの、オリーヴオイルのフォカッチャ(ピッツァの原形と言われている平たいパン)だ。それをオーブンで温めるあいだ、彼は赤ワイン一本と、ビール瓶二本の栓を抜いた。ブグヴァッリァは皮の部分がパリッとしていて、唐辛子とオレガノの香ばしさが引き立っていた。
p99

この小説には異質なものが何もない。海外の小説なのでもちろん知らない固有名詞もたくさん登場するが、そこに描かれる人々の生き様は自分たちと全く同じだ。おいしいごはんを作って食べて、家族や仲間と楽しい時間を過ごして、あるいは一緒に過ごせないことに苦しんで…。どんな国の人もこうして生きてるんだと気づかされる。人生を肯定する、明るく温かい小説だった。

よし、私も料理をしてちゃんと食べて、自分の生活に戻ろうーーという気持ちになれる。小説というものは得てして読者をその世界観に引き込み現実世界に戻れなくさせるものだが、『海と山のオムレツ』は違う。読むと地に足がつく、変わった小説だ。

どれも本当の話ばかりだから

一、二回出てくる「本当の話」というワードが気になった。

きっと夢中になると思う。どれも本当の話ばかりだから
p80 (教養豊かな年上の学生・ミケーレの本棚を見せてもらうシーンで、ミケーレの台詞)


ここでの「本当の話」とは何を意味するのか。ノンフィクションという意味ではないだろう。ミケーレから借りた本のタイトルが列挙されている箇所を読めば、それは明らかだ。

私は「何か切実な思いがあって真剣に書かれた本」のことを言っているのかなと、感覚的に思った。私が『海と山のオムレツ』に抱いた印象がまさにそれだった。

食べものがたくさん出てくる小説は、正直キャッチーで商業的なだけのものも多い。かなり意地悪な見方をすれば、「さらっと器用に書かれた、よく売れる本」とでも言うような。

けれども『海と山のオムレツ』には、そういった小説とは一線を画すシリアスさがあると思う。民族の文化やアイデンティティの危機、郷愁の辛さが垣間見える。

そういった意味で、ミケーレの「きっと夢中になると思う。どれも本当の話ばかりだから」という台詞は、まさにこの短編小説集を表していると感じた。

なめらかで美しい翻訳

翻訳もとても好きだと思った。流麗で、引っかかるところが全くない。

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