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「ただそこにある」ということ:理性と感情のバランス

おはようございます。
先日、カナダで脳科学の学会がありまして参加してきました。

カナダは行ったことのある方もいらっしゃると思いますが、歴史的な観光名所というようなものはあまりありません。しかしそれでも人々が惹きつけられるのはその美しい自然ですね。学会の会場がちょうど海に面していてその向こうには雄大な山々がそびえているという場所でしたので、私も何を思うともなく、その景色に包まれてとても良い気持ちでした。思えば私たちは普段から物事を何か「意味」のあるものとして捉えがちで、意味のないものは無視するような暮らしをしていますが、カナダのような雄大な自然を前にすると、「ただそこにある」ものの存在感に圧倒されます。

さて、この「ただそこにある」ということは瞑想においても重要なことです。マインドフルネス瞑想では、呼吸や身体の各部位へ意識を向けさせることで、身体感覚に気づかせます。私たちは普段の生活ではあまり身体に意識を向けないので、その存在に気づかずにいますが、マインドフルネス瞑想を行うことによってそれに気づくことができます。身体も、何か意味があってあるというよりは、「ただそこにある」ものです。この身体に気づくことによって、意味ばかりを追い求める頭を少し休ませてあげることができます。

私たちの脳は、動物にも備わっているような感情を司る比較的古い部分と、それを制御するために進化してきた理性を司る新しい部分があります。つまり本能による暴走を食い止めるために理性が生まれてきたと考えられます。ところが現在は、むしろこの理性、つまり意味を追い求める脳のほうが大きくなってしまって、感情が置いてけぼりになるという状況が出始めています。その結果、人生の意味を感じられなくなったり、ときにはそのことに押しつぶされそうになったりするわけです。あるいは逆に、何らかの反動で些細なことに感情を爆発させてしまうというようなこともあるかもしれません。もちろん、どちらも良くないわけです。理性で感情を押さえつけるばかりでもいけないですし、感情にまかせて理性を失ってもいけません。

大切なことは、私たちは人間なのですから、理性と感情のバランスを取ることです。理性が大きくなりがちな現代の私たちにとっては、少し感情を大切にしてあげるくらいがちょうど良いかもしれません。

マインドフルネス瞑想で身体に注意を向けることによって、「理性」や「感情」から少し距離を取ることができます。これらの存在に気づくことが自分を制御する手助けになります。

意味を追い求めるのではなく、ただ自分の身体に「気づいて」あげること。それ以上、深追いはしないこと。考えすぎるとまた理性が暴走してしまいます。「ただそこにある」ことを感じてあげれば十分です。このことは心にある不安や悩みを根源から断ち切るわけではありません。でも「それはそれ」として一歩距離を取り、そこからまた目の前の生活に向かっていくきっかけにはなります。これによって理性と感情のバランスを取り戻せるのです。人間には困難に突き当たっても自分で前に進んでいこうというレジリエンス(回復力、耐性力)が備わっています。その力が働きやすくなるように、瞑想によって心の中を整えてあげてください。自分の身体の存在に気づいてあげてください。一日10分でもだいぶ違うと思います。

本日は最後までお聞きいただき、どうもありがとうございました。


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