エンパシーは愛に通じる
エンパシーという言葉ご存知ですか?
シンパシーの間違いでは?
いいえ、エンパシーです。
エンパシー【empathy】
感情移入。人の気持ちを思いやること。
[補説]シンパシー(sympathy)は他人と感情を共有することをいい、エンパシーは、他人と自分を同一視することなく、他人の心情をくむことをさす。
(『デジタル大辞泉』小学館)
「シンパシー」は「同情、共感」という意味です。一方「エンパシー」は「共感、感情移入」という意味です。
これら2つの言葉は、共感に至るまでの流れに違いがあります。
「シンパシー」は他人と気持ちを共有する「自然な感情の動き」を表す言葉です。
(ネットの次の記事より引用)
なぜ、エンパシーのことを取り上げたかというと、Kindle作家でnoteでもおつきあいさせていただいている奈星さんの記事を読んだからです。
エンパシーは努力が必要な知的作業
奈星さんは、記事の中で、中田敦彦さんのYouTubeの発言を引用し、
エンパシーに努力が必要と述べています。
中田敦彦さん(もしくは著者)が、言っていました。
「シンパシーには努力はいらないが、エンパシーには努力が必要なのだ」と。
そりゃあそうですよね。
シンパシーは、”感じる”ことですから、努力ではありません。
「同じ~~~!!!」「分かる~~~!!!」と、自然に感じちゃっています。シンパシーは、感情なのです。
対してエンパシーは、能力なんだそうです。
知的作業、とも言われています。
教員の仕事をしていると、生徒の悩みや保護者の悩み、クレームなどさまざまな話を聞く機会があります。
そんな時に、先入観を持たず、心をフラットにして相手の話に心から耳を傾ける傾聴を心がけてきました。
傾聴をしていると、ただ聞いているだけなのに、悩める相手は悩みを解決し、腹を立てている相手は、自然と怒りを収める方向に進むことが多いことを経験的に知っていました。
まさに、この傾聴を心がけていたことこそ、エンパシーであり、知的作業だったのだと合点がいきました。
エンパシーは愛の視点で相手を見る作業
エンパシーについての私見を述べさせていただくと、
自分とは違う視点を持った相手の感情に思いを馳せる作業とは、
言い換えると「愛の視点」から相手を思いやる作業ではないか。
そんなことをふと感じました。
なぜなら、異なる意見の相手に対して、
「その考えには賛成ではない。でも、そのように考えたあなたの意見は尊重する」
という態度自体が愛のある態度だと思うからです。
私たちはどうしても「自分が正しい」という視点から相手をジャッジしがちです。
しかし、そもそも一人一人の見えている世界が違います。
人それぞれが、誕生以来それぞれの世界観を育てて現在に至っています。
同じものを見ているようで、誰一人として同じように物事を見ているわけではない。
その前提を心に留めて、相手の考える背景にまで思いを馳せる。
これこそ、愛と言わずになんという。
私はそう感じます。
「考え方はあなたとは違う。でも、あなたがそう考えることはわかる」
そう返答したことで、怒り狂っていた相手の怒りがスッと引くのを何度も経験しています。
難しいトラブルで対応する時こそ、心をフラットにして、相手の思いに心を開く。
そうすると、自然と話は収まるところに収まります。
これぞ、愛のなせるわざと言えるのではないでしょうか。
終わりに
意見の違いを論破しようとしても、そこに解決の糸口はありません。
論破された怒りや不満が相手の腹の底に溜まっているからです。
しかし、「なぜそう考えるのか?」という相手の思考の背景に思いをやれば、どんなに激しい議論となっても、不思議と後腐れなく、よい着地点が見つかるものです。
難しい会議や、クレーム対応の際には、エンパシーの視点を持つことをおすすめします!
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※新米教師が子供たちや保護者、地域の方々に揉まれながら成長していく物語。主人公のエンパシーも共に育っていったのだと思います。
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