成長してから、どうするの?

就職活動の企業選びの指標として、最近よく“成長できる会社”というセリフをよく耳にします。転職支援企業の広告とかでも、やたら“成長できる企業”特集なんかを組んで、“成長”って素晴らしい!ってな感じで、転職希望者を盛りたてています。

一見もっともらしい印象を受ける言葉ですが、
「みんなほんとに成長さえすれば、人生がうまくいくと思ってるの?」
“成長”という言葉を聞くたび、宗一郎はそんなことを感じます。

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この違和感の正体ってなんなんだろう。宗一郎は、その言葉の使い方にあるんじゃないかと思います。

例えば下記2人の就活生がいるとして、企業選びの軸として“成長”はキーワードになりえるでしょうか。

Aさん:仕事はほどほどに、趣味のヨガの時間を充実させたい。お金も生活できる分あればよく、平穏無事に暮らせればそれでいい。結婚や出産を経たあとも仕事は続けたいと考えているが、その時の状況によっては、退職もやむなしと思っている。

Bさん:バリバリの上昇志向で、仕事を通じてさまざまなことを学び、人間としても尊敬される存在になりたい。将来出世もしていきたいし、そのためなら残業も厭わない。将来は海外勤務を希望しているため、現在英語を勉強している。

Aさんの企業の選び方は、
①そもそも仕事において、成長は求めていない。(趣味である“ヨガのスキル”の成長は望んでいるでしょうけど。)
②なので、成長したことで得たいゴールのイメージといったものも当然ない。

Bさんが企業に求める条件としては、一見“成長できる企業”が条件に入りそうです。
けれど、より深堀すれば、
①具体的には、“人間力(コミュニケーションや信頼関係構築力など)”や“英語力”といった部分での成長がしたい。
②成長することによって、“尊敬される”とか、“海外勤務”というゴールを達成したい。

つまり、“成長”という言葉って、
①「〇〇の成長ができた。その結果、△△という目的を達成した」というように、
①成長の具体的な中身(〇〇)と、②成長したことで得られるゴール(△△)があってはじめて成立する単語なんじゃないかと。

[Aというスキル・能力]→【成長】→[A’というスキル・能力]→[Bという結果]
※成長という単語は、あくまでAというスキル・能力がA‘にレベルアップしたという様子を表す言葉でしかない。ってことです。

なので、Aさんのように“成長”が必ずしも必要なではない人もいる。あくまで自分の幸せな生き方を達成するためのツールに過ぎないので、そもそも成長って必要なの?と考えるのも必要なんでしょう。

それに、「成長できる企業で働きたい!」という人に対して、具体的にどんな成長がしたいの? 成長してどういうゴールを描いているの? と問いたくなる。

成長ありきで考えるより、自分は“どんな生き方をしたいのか”を先に考えた方がいい。“成長”という曖昧模糊とした言葉で濁してしまうと、具体的な行動に移せない。

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なぜこれほど“成長”という言葉が市民権を得ているのか。それは、国や企業、お金持ちにとって都合のいい言葉だから、でもあると思います。

成長って元来資本家のための言葉であって、成長が不可欠なのは、働く人個人ではなく、資本主義という制度です。借金&利子という仕組みがある以上、資本主義にとっては成長が大前提。

以前のブログ(『幸せな働き方の準備』)にも書きましたが、労働者は、基本的に“明日も元気に働くための必要経費”分の給与しかもらえません。なので、歯を食いしばって頑張って利益を出せば出すほどほど、得をするのは、労働者ではなく資本家です。

少子高齢化による働き手減少や、業務効率化の競争の流れから、より少ない人数でより効率的に業務を行っていく必要がある。だから、世の中に“成長”って言葉が溢れているんです。

かなり穿った言い方ですが、企業視点でいえば、文句も言わず勤勉でよく働き、安い給与で高い利益を出してくれる労働者になってくれよって、ことです。

同じような意味で、“キャリアアップ”という言葉にも違和感があります。企業が掲げるキャリアアップって、あくまでその企業内での仕事の範疇での話でしょう。
社外転身を希望する社員のキャリアを本気で考えてくれる企業は、まず存在しません。
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また、成長を仕事における能力・スキルの向上って捉えている人は多いでしょう。それは、[能力・スキルの向上]→[周りに評価される]→[給与アップ]→[幸せな生活]というプロセスのイメージです。

けれど、成長できたからって必ずしも給与が上がるとも限りません、厳しいけれど。昇格も、企業の業績による組織編成や同世代のライバルの人数、査定する上司との相性、そして運など、自分の成長だけではどうにもならない要素も多い。

蛇足ですが、仮に収入が増えたとしても、日本の税制上、年収1,000万円と年収500万円では、毎月の給与は、額面では32万円ほどの差ですが、手取りになると21万円ほどの差に縮まります。

また、高給取り世帯は、周囲に合わせていくことで、住居費や教育費のコストも上がる傾向があり、収入ほどの余裕は感じられないようです。

給与が増えるに従い増える税負担。給与が増えれば生活水準があがり、支出も当然増えていく…

給与アップのために成長を追い求めて、毎日必死にジャンプする人生って、成長っていう言葉だけでは続かないし、いつか身体を壊してしまいます。

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成長ができたとしても、長時間労働や人間関係の不和によって、結果として不幸では意味がありません。“成長”って、これさえ得られれば人生うまくまわりだす、ってことではなく、ましてやゴールでもないでしょう。

最後に、誤解のないように付け加えますが、宗一郎は決して“成長”が不要だとは思っていません。自分にとってのゴールに必要であれば、成長をめざすべきです。
けれど、やみくもに“成長”を鵜呑みにするのではなく、自分にとっての大事なものの優先順位をつけることだとか、成長の具体的な中身について、今一度考えてみる必要はあるんだと思います。

ゆるい笑顔の男の子


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