希望と幸福の微妙な関係

めっちゃ行きたい旅行とか、楽しみすぎるイベント(ライブとかスポーツの大会)の前って、仕事が手につかないくらいそのことばかり考えて、ワクワクしっぱなしになる。
けれど、いざ旅行やイベントが始まった途端、(楽しいは楽しいんだけど)妙に冷静になってしまったり、醒めてしまっている。あの高揚感はどこへやら…

こういう現象ってなんて表現すればいいんでしょう。

宗一郎は、行きの空港で興奮のピークを迎え、旅程が進むにつれてその熱はだんだん冷めていくという、旅行の時に、度々この現象に出くわします。

科学者の落合陽一さんが考える幸せな人は、
「ブータンの山奥で、いつか世界を変える(と自分では思っている)ビジネスモデルを作っている人。」
だそうです。これって、“未来への希望”が関係しているのかな。物質的な豊かさとかは関係なく、未来への希望を持っているかどうかが幸福になるポイントであると。

さらに、「その“いつか”が訪れた時点で最大の幸福感は消え去る。」とも言っています。

実現の可否は関係なくて、希望を想像できるだけで幸せになれる。むしろ実現してしまうと、希望そのものが失われて幸福度は下がる。

ギャンブルだとか、デートだとか、欲しい現実が手に入るかもしれないというドキドキ感が、人を最も幸福(生きてる!と思わせる状態)にしているってことなのかな。
だから、成功が手に入ったときには、もう気持ち的には落ち着いてしまったり、醒めた感覚になってしまう。

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別の視点から。
日本の若者は、昔に比べて幸福度が高いという研究結果があります。なぜなら、今の若者は日本という国を諦めていて、幸福のハードルが下がったから。経済発展が見込めないので、健康とか日々の充実とか、幸せのカタチが小さく身近なものに変化したと。

だとすると、必ずしも希望のイメージが大きければ大きいほど、幸福を得やすいというわけでもなさそうです。希望のハードルを下げる(諦める)ことで、幸福を得るという方法もある。

図にまとめてみると、こんな感じだろうか。

画像1

特殊なのは、売れる前のアイドルや発展途上国の若者。彼らは、人気ブレイクや経済的な豊かさといった希望を求めるが、それを追いかけている時が最も幸福度が高い。

そして、その後の彼らの人生は4パターンに分かれる。

①挫折(身の丈を知る)
希望のカタチを変化させたり、サイズを小さくすることで、幸福を得るという道。“アイドルにはなれなかったけど、その経験を活かしてメイド喫茶で人気がでました。私にとって、今がとても幸せです。”というパターン。

②希望が叶うまで追い続ける
あくまでもめざす希望が叶うまで追い続ける。けれど、年齢を重ねるごとに、夢の実現は遠のいてくことを自覚するようになり、楽しさよりも苦しさが勝ってくる。
来世の幸せをめざす修行僧のように、今(現世)の生活を犠牲にして、希望を追うこと自体が目的化する。(もちろんこれも尊重すべき生き方なので、否定するとかではないです。)

③希望が叶い、新たな目標を得る
念願の希望が叶うがそれに甘んじることなく、新たな目標を見つけ出して、追いかけ続ける。

④希望が叶うと同時に、目標を失う
新たな目標を見失い、エネルギーが枯渇してしまうパターン。燃え尽き症候群のような状況。

③④はともに求めていた希望を達成するけれど、③とは対照的に、④は幸福度も希望もなくしてしまう、最も不幸なケースとなってしまうのはなんとも皮肉です。

つまり、“なにかものごとを成功したり、なにかを達成する”そのことではなく、“自分にとってなにが幸せかを考えること”、そして“希望を持ち続けること”が、大事なんだってことです。

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みなさんは、『夜と霧』という本を読んだことがありますか?
著者のヴィクトール・E・フランクルが、ナチスの強制収容所での壮絶な経験を記録した書籍です。

その中で、彼は、
「自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」と語っています。

フランクルには、収容所の状況を心理学的、学術的に考察し、いつの日か必ず出版して世の中のために貢献したいという、強い使命感がありました。未来に対する希望を忘れなかった。だから90%以上が亡くなった極限の環境から生還することができた。

そういうことなんだと思います。

ゆるい笑顔の男の子


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