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心を動かすリーダーシップを耕しに、海士町で『島流し』にあってきた

「海が見える西の景色に出かけるようです。」海士町への往路の最中、3年前の占い師の言葉が突然、睡魔で呼び起こされる。

ご縁の島、海士町へ

2023年11月8日-10日の3日間で、日本海に浮かぶ島根県の隠岐諸島に位置する海士町で、(株)風と土と主催の"SHIMANAGASHI(島流し)"というリーダーシップ開発プログラムに参加してきた。海士町は日本で唯一の1島1町の自治体であり、有人離島の平均人口に当たる(らしい)2,000人が暮らしている。

羽田から米子空港、港から3時間弱のフェリーに揺られ辿り着く海士町は、決して日帰りで行けるような気楽さにない、まさに"流された"ような距離と時間を感じた。

船酔いを避けて風当たり

島のコンセプトは「ないものはない」。この言葉には「ないものはなくていい」と同時に「大切なものはすべてここにある」 という意味が込められているらしい。あくまで個人的解釈だが、このニュアンスには般若心経の「色即是空 空即是色」(この世のすべての事象は,永遠不変の本質をもつものではなく、すべて空であり、また空であることがこの世のすべての事象を成立させる)、またはそれが説く「空」、すなわち、この世界においては固定的に存在するものは何もなく、すべてはご縁によって全体が成り立っているということを教えるような標語のように思えてくる。

島の至る所に貼られているポスター

センスメイキング力は「自分の腹落ち感」から始まる

3日間を通しての研修プログラムの目的は、海士町という島の中での生活やワークを通し、センスメイキング力を育み「心を動かすリーダーシップ」を培うこと。センスメイキング力とは、組織や集団への納得感を生み出す、そのために、起きていることや想定外の出来事に意味を与えて好転・前進させるプロセスのことを指す。価値観が多様化し、複雑性が高まり、理路整然と集団を動かしていくことが難しくなる社会背景においてリーダーが必要とされるスキルの一つだと思う。

この力は、自分への腹落ち→ 私たちへの腹落ち→あなたへの腹落ち(場合において社会や未来の腹落ちも互換性が高そう)と順序立ててストーリー立てていく。以下のような問いに、必ずしも思考だけでなく、対話や自然の中に身を置き体感知を用いて順番に応答していく内容だった。

My Storyへの腹落ち

何があなたを突き動かすのか?自分に何を感じるのか?自分のビジョンは?

Our Storyへの腹落ち

どんな未来にワクワクするか?組織のビジョンは?どのようなインパクトがあるか?(ビジョンの先に)どのような社会が待っているか?何がここに我々を留まらせるのか?

Your Storyへの腹落ち

あなたと私の交差点は?何が私たちを出会わせたのか?1+1が2より3や4になるか?

繊細な感覚が視界を開く

「下は牛糞、目の前には油菊、遠くは海」。

西之島の摩天崖

研修初日。My Storyの腹落ち感を探っていく。

西之島の摩天崖と呼ばれる絶壁からおそらく数十分かけては下る。体感を使う時間からだ。西之島全体が広大な公共牧野らしく、道中には牛糞がわんさかと転がっており、決して歩き心地が良いものとは言えなかった。しばらく足元ばかりに囚われていると、左右の小道に菊が咲いているのが視界に入ってきた。さらに、ふと漣音に耳を傾け自然と顔をあげると、見晴らしの良い海景色が広がっていた。

隠岐では有名らしい黄色の油菊

よく考えてみると風化した牛糞は踏みつけてあげたほうが早く土に還るんじゃなかろうか。踏みたくないとは言っても、踏んだところで靴の裏じゃないか。決して臭いはなく、なんとなく踏みたくない、そんな気持ちだけだったんじゃなかろうか。と腹落ちしてからは、少し目線を上げて、遠く遠くを見るようになった。

牛糞と油菊と海。3つのどの視点に目を向けるかで現実は地獄にも天国にもなる。一見地獄のような場面でも、冷静になって視野を広げてみたり、繊細な感覚に頼ってみれば、状況は一転するかもしれない。

直感から導く

3−6万年前、生き抜くことすらままならぬ氷期時代に、人類が絵を描いた最古の痕跡があるらしい。なぜ先祖は絵を描いたのか、その原初的行為はきっと意味がある…という話に馳せつつ、初日の夜には自分の過去・現在・未来を「川」で描くワークをおこなった。抽象的で言葉にならないビジョンを絵に起こし、各小グループで人生紹介・絵の解説とオーディエンス側からの質問を行った。

過去から未来は循環するという絵

毎度描く系のワークをやって思うが、表現の幅が広がり、普通の自己紹介より深くグループで繋がることができる。あとは、自分の価値観を再認識でき、新しい発見があるとか。例えば、多くの口がない切り抜きを散りばめた私の絵を見て「心臓部に当たるこの男性だけ、口があるね・・」「(切り取ったと思っていた)たしかに・・!」という発言から、自分のサブパーソナリティの発見に至ったり。共通点や細かい点に「こういうこだわりがあるんだね」と気づいてもらえると、自分のことを知ろうとしてくれるんだなという温かさから関係性が芽生え始める。アート系ワークはあらゆる関係性のシーンの芽生えにとてもフィットしていると思う。

小さいかつ大胆なWANTから始める

2日目は海士町の副町長さんからのお話を伺った後、海士町にかつてヨソモン(島外からの移住者)だった方のお話に触れた時間があった。お二人、今では海士町の60%もの漁業を支える方と旦那様のご都合で引越し今では町役場で働かれる方の話の印象は移住して、海士町の振興や発展の中心に移っていったというもの。勝手な自身の田舎の排他的なイメージと異なり、プログラム運営の風と土との名前にある通り、風の人(移住者)が移住してから土の人(現住民の方)サポートや助けを通して移り変わっていく様が、数時間を通してリアルに感じられた。
人口減少社会で、2040年には全国の自治体の半数が消滅の危機にあると言われる中で、土の人たちの寛容さこそが、この海士町という町が、2022 年で出生数は約10人、高齢化率が40%超えの超少子高齢化の町から、地方創生のメッカと呼ばれるまでに変わってきたことに起因してるのは間違いはない。なぜここまで土の人たちが風の人たちをこよなく受け入れるようになっていったか?の変遷は探究が続く。

南部の漁港の景色

関係性から始める

関係の質から始める

その受け入れる気質というか風土は、一つは結果的に振興に関係性の質から始めようとする姿勢や態度があったからではないか?と考える。

今回の参加者の多くは、コロナ禍が落ち着いて違う会社の人と繋がる価値があると言っていたことが記憶にある。プログラムでは、海士町を舞台に、対話、体感地、内省が生み出す安心感を3日間で味わうものとなっていた。帰りの船で行った名刺交換の、いい意味の違和感と新鮮さがあり、3日間自然と社会的な服を脱いでいたような、そんな感じだった。
海士町は、平成の合併の提案に単独町制と決断し、行政と町が一丸となって危機を乗り越えなければいけなかった。そのプロセスの過程で一つの関係性やつながりのシステムは温故知新はもちろん、自然と外の、固有でない、異質な、新しい、知恵や人を受け入れる形式・暗黙的なグランドルールができていったのかもしれない、と感じた。

結果や歴史を重んじるばかり(もちろんそれも重要だが)変わることができない体質ではなく、ダニエルキムの成功循環モデルでいう関係性の質から向き合ってみる、という一つスタート地点を変えて、これからの来るべき未来に目を背けず、逆算思考的に今を考える、そんなことが、危機感というものから生まれていったんじゃなかろうか?という個人的結論に至った現在である。

自分を「ないものはない」「すべてある」と捉えてみると…

改めて町のコンセプト、「ないものはなくていい」「大切なものはすべてここにある」の2面に立ち戻ってみると、これをリーダー個人に適用することが心を動かすリーダーシップに不可欠ではなかろうか?
複雑的な問題解決や人間関係の問題に対し、新しい知恵やそれをなんとか解決しようと尽力すればするほど問題の紐は絡み合っていく・・・リーダー(マネージャーや経営者)の問題は山積されそれに頭を悩ませる。新しい技法や知恵を取り入れ、解決したと思いきや、新しい問題が発生するモグラ叩き状態である。
そこで、リーダー自身が成長を求められる時、それは新しい型を習得したりインプットに走る(=外のものに頼る)のではなく、むしろ逆に既存のやり方を手放し、余白を作り、空になってそこにある、リーダー自身が潜在的に備えている素質やリソースに気づき探究し浮かび上がらせる(内のものに頼る)、すべてすでに備わっている、ここにあるというスタンスが重要ではないか。海士町はもしかしたらシステムのコア(これが一体なんなのか、誰なのか、それはわからない)がとことん窮地に陥るところまで陥ったことを悟って、だからこそあるものに目を向けられるようになった、そう捉えることもできるのかもしれない。

3日目:個人の思いと願い、社会に実現したいこと

3日目、締めくくりに2つの問いに2時間で応えるワークがあった。それぞれにどんな言葉が出てきたか?を備忘録的にまとめて、noteを閉じていこうと思う。

ワーク中の目の前の景色

私が大事にしている想いや願いは?

自分を見て欲しい⇆その人をみたいという欲求。心や魂のコンタクト=証人であり続けること。そのためにはBeingな理想として素直であること、脱力していること、けどそれは難しい。なぜなら、人の人生には満ち引きがある、それはまるで地下断層のような社会から個人の影響があり、アンコントローラブルだから。その上でDoingは、琴線に触れるものに出会い続ける、生活のバランスをとる(進取、後退)そして孤独を気楽にする=余白をつくるこた。もっと突き動かされるものに出会いたい。

後はもっと、自分を信頼したい。人の心の優しさや暖かさや景色の綺麗さに心が動くときに、この心を褒めてあげたい。あったかいな、この暖かさあるんだなと心を褒めてあげること、自分にはそのセンサーがあると信じること。

会社や社会を通じてやりたいことは?

あとは頼んだと行って死ねる状態。200年後の生き証人であること。海士町は200年後を考える。インディアンには「7世代先を考えて、今生きる」話があるがそれは難しそう(笑)複雑に絡み合う社会で、人と人との健全な対立、組織や家族の衝突の炎から、新しい命の関係性が生まれることをしたい。そのための立ち会い方、対話の促し、知恵の経験を培っていきたい。

最後に:海士町は「普通」

海士町で出会った方は決して多くないが、出会った一人一人から、海士町全体に大きな関係性、つながりを感じる。3日間という短い時間だったが、振り返ると、海士町は全く新しい町のあり方というよりは、人間本来が根ざした(私が知らない)人たちや自然との共生だったと思う。それを「普通」と捉えるなら、大なり小なり覚えたこの町への憧れや癒しは、普段いかに自分が、普通でない暮らしか、大解釈をすると、資本主義の真っ只中、壊れていく人間の精神性というものに、慣れ親しんでしまっているか?という自分がいるということを否定するのは困難である。

またごらっしゃいや

またご縁があったら、海士町に行きたい。そのご縁は、きっとそんな遠くない未来に巡ってくる直感がしている。

風と土とのみんな

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