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『凍りのくじら』の読書感想文

色々な場所でおすすめの本として取り上げられていて、ドラえもんの秘密道具がでてくるお話。

この本を手に取る前の情報はそれくらいで、

「いつか読みたいな〜」くらいのテンションだった本。読む前のモチベーションが高かったか?と聞かれたらyesとは言えない。たまたま書店で「凍りのくじら」その文字が書かれた背表紙を見かけた。読んでみるか、いつか読まなきゃと思ってたし
(今思えばこれだけ面白いと言われているのだから読んどかなきゃみたいな変な気持ちに囚われていたかも…(._.) )


他の本に比べると少しだけ分厚くて、重たい本を持ってレジに並んだ。



2005年に初版が発売されたこの本は、実に発刊から19年。この本を読み終えて、1番はじめに思ったことは



「もっと早くこの本に出会いたかった」

「可能なら記憶を消した状態でもう一度読みたい」


本を読んでいると、面白いの一言では足りずにどうにかしてこの感動を伝える術がないか必死に探すことがある。「記憶を消してもう一度みたい」それは私の中で最上級の"面白かった"

そう、面白かったんです。とっても‼︎

2005年というと、私は5歳。
5歳の頃から、この物語はずっと存在していたのにこうして出会わずに今までの時間が経ってしまったことが私は今とても悔しい…私の今までに、この本に隣にいてほしかったと瞬間がフラッシュバックした。


ドラえもんの道具が出てくる本。

藤子・F・不二雄が唱えたSF

「すこし・ふしぎ」

その言葉が核となり物語が進んでいく。

でもはじめ想像していたような、ほのぼの物語が始まるかと思ったらそうではなかった。

この物語に出てくる人たちは、それぞれにそれぞれの葛藤があって、その痛みをどうしたらいいか分からず足掻いている人たちばかりだった。

この本を今まで何故手にとらなかったのか、
多分理由は2つで。

一つは題名

私は無限とか、永遠とか、広くて大きすぎるものが怖い。神秘とかいう言葉が持ち寄られる宇宙や海が余り好きではない。
クジラもどこかそうだった。神秘的で、存在している生き物のはずなのに、龍とかペガサスみたいな架空の生き物のようだと、いつからか思っていたから。

クジラがタイトルにあると、私はいつも躊躇してしまう。このお話もそうなんだろう。広くて大きい話なんだろうと。

でもそうでは無かった。寧ろ、序盤のシーンや登場人物が発する言葉・心情は広く受け入れられるものではないだろう。

でもきっとそれは同時に数少ない誰かが、ずっと探していた言葉でもある気がした。そのたった一節が刺さり、そっと寄り添ってくれる。


もう一つはドラえもんって単語を聞くと、
「夢」とか「希望」とか、そういう言葉ばかりが多様されるのではないかと不安だった。


この本に希望はある。きっと夢もある。 
けど、使い回されてはいない。ドラえもんを大義名分とは捉えずに、ドラえもんが好きな人たちによって、ドラえもんは大切に本の中で愛されていた。

私の不安は、検討違いの心配だった。



この本を読めてよかった、出会えてよかった。


本当はこのシーンのこの台詞が好き。私は登場人物の中でこの人が好き!でも共感できるのはこの人。この台詞は忘れたくなくてメモしてしまった…とか


そういう本の中身の話をしたくて堪らないけど、きっとこの本は前情報が無いほうがいい。


自分で出会って、自分であの台詞を読んだほうがきっと楽しい。 


ページ数は普通の文庫本に比べると少し多いかもしれないけど、どうか最後までページを捲り続けてください。


これからこの本に初めて出会えるみなさんが私は羨ましくてたまりません。

 

本を読む時間が、素敵な一時になりますように💫





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