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身体知と生活の再構築は侘び寂びの追究

リハビリテーション業で高齢者とお付き合いさせてもらってると、品格があり、ことばや所作に重みのある方に多く出逢えます。これは、例えば革製品のように、時間の経過が滲み出て趣や魅力を感じることに似ています。

身体や生活の再設計に挑戦してる方と一緒に身体の知を掘り下げていると、それが「侘び寂び(美意識)の追究」である気がしてきます。

ここでは、侘び寂びと、生活の再構築についての自分なりの考察を整理しておきたいと思います。


わび(侘び)

本来は「心細くもの静か、寂しいこと、佗しい」の意味合いであるが、不完全なものは粗末であるという単に悲観的な捉え方ではなく、それを楽しもうとする心。思い通りにならない状態を容認し、敬い、不十分なあり方に美が見出されるという精神性の表現。


さび(寂び)

内部的本質が表面に現れていく変化のさま。本来は時間が経過し劣化した様子を意味しているが、その古さや静寂さ、枯れたものから、奥深さや豊さ、趣を感じる美しさ。


リハビリと侘び寂びの追究

侘び寂びは、世の無情を美しいと捉える価値観で、日本の茶道や俳諧の世界で発展してきたようです。この「侘び」や「寂び」を美しいと認識できる世界観は、

ものの本質は時間の経過とともに変化するもの

という前提があることで、成立する気がします。

人生のある期間において、住まい環境に適応し生活に戻るために新しい価値観を設計する時間が、たとえ機能訓練の時間よりも多く費やされることがあっても、それは身体機能への諦めでも居直りでもありません。物事は変化する前提における「その瞬間」は、機能訓練の価値よりも生活設計をしていることが尊いことになるかもしれません。(本質的にはどちらかに優劣があるわけではない)

リハビリテーションが必要になる時期とは、自己の内部における本質の絶好の転換期でもあるとも言えます。


栄養は美意識形成にどう絡むか

身体つくりや食育としての面、調理や料理法の観点、病院食・治療食、機能性栄養、栄養補助食品、楽しみとして食べる行為、食卓を囲む時間、おふくろの味、アスリートの栄養、人生最後の晩餐…

栄養に関して取り巻く要因は、多数あります。

リハビリテーション分野では、摂食嚥下能や胃瘻などの経管栄養の機会に栄養が重要視されるだけでなく、リハビリ栄養(病態は医科・薬科・リハビリ科だけでなく栄養科が入り協業で管理すべきという考え)では直面せざるを得なくなります。

ここでは語り尽くせるはずもないので、少しずつその都度その時期の最適解を探していきたいと思います。現時点で明言できる発想としては、

“栄養”を体内へ摂り入れる行為の意味を考え続けることは、美意識を改変する機会になりうる

ということです。


Masafumi



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