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どんなフィルターで見ようとするか/岸田奈美「もうあかんわ日記」

これだから読書はやめられない。

久しぶりにそう思わせてもらえた1冊でした。


ニヤリとしたり、うるうる目尻に涙を滲ませたり、声をあげて笑ったり。
そして何より、最後のページを読み切るまでずっと心の奥底がやさしく震え続けました。 

「弟はダウン症。母は車イスユーザー。父は突然死で他界。祖母は認知症がはじまって、、」

その家族構成だけで早々に度肝を抜かれましたが、それより度肝を抜かれたのは、著者・奈美さんの生き様と笑いのセンスでした。



そして、読んでいる間じゅう、私の頭の中をぐるぐると呪文のようにうごめいていた言葉があります。

それは「大切なのは、目の前に存在するその人、その物事を、どんなフィルターで見ようとするか」という思いでした。


私たちはきっと無意識のうちに、自分が整理しやすいよう、誰かに伝えやすいよう、人や物事を区別をしています。

私が今住んでいるバンコクでもきっとそう。いろんな国籍をもった人達が一緒に暮らしていて、見た目もそれぞれです。

真っ黒に日焼けしてヨレヨレのTシャツを着てニコニコしてる人、全身をブランド品で着飾ってレストランで楽しそうに食事をしている人、バイクの後ろに山のように荷物を積んでノンヘルで運転してる人、歩道橋の下で地べたに座り物乞いをする人、そのすぐ隣にある煌びやかな高層ビルでマッサージをしてもらっている人、、

これは日常の一部です。ここに登場した人々の誰が幸せで、誰が不幸せか。誰が良い人で、誰がそうではないか。そんなこと、たった数秒見ただけでわかるはずもないのに、私たちはきっと勝手にその情報を都合よく整理して、人をそれぞれ区別している。私もきっとそうしてしまっているかもしれません。

でも、あかんわ日記と出会ってから、この日常の見方が少し変わったような気がしています。

見た目や肩書きなどの一般的な括られ方では測れない。そんなありきたりな物差しで測るには、あまりにも勿体なさすぎる。みんながみんな、そんな魅力を持ち合わせているんだなあと。

そして、それに気づけるかどうかは、自分がどんなフィルターを通して見ようとするかにかかっているんだなあと、気づかせてもらえました。

岸田さんファミリーに大感謝です。

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