信じたことが事実です。
突然ですが、皆さんの食べるお米には、何名の神様がいらっしゃいますか?
なんか仰々しいタイトルだけど急に何の話?って感じだよね。
まあちょっとお付き合い給う。
聞いたことあるのは3人、もしくは7人。
調べてみると、88人という人もいるらしい。
人数はともかく、米粒を残さないために親が子に言う迷信である。
ご飯茶碗に米粒は残りがちなので、神様がいることにすれば
綺麗に食べてくれるだろうと。
お米は貴重だったし、
米粒の残ったご飯茶碗てのは洗いづらいしね。
私は無神論者である。
いや、都合の悪い時だけ神頼み人間である。
特に信仰している神様はいないから、
普段から神社に行ったり感謝したりはしない。
都合が悪い時だけ「神様ぁ~~~」
まるでドラ〇もんである。
私とドラ様との関係はこれくらい希薄である。
というか最近まで特に気にしたことはなかった。
研修中に一人でご飯を食べていた時に何故だかふと思い出した。
私は普段から神様を大切にしているような気がする。
米粒一粒の中には千人の神様がいる。
私は幼い時におばあちゃんにそう教わった。
ご飯を綺麗に食べるように、という婆心だろう。
父も母も忙しく、幼少の頃の記憶におばあちゃんは多い。
具体的にいつどんな感じで言われたのかは全然覚えていないけれど、
おばあちゃんが、米粒には千人の神様がいるって言ってた
そう私に染みついている。
神様は信じていないけれど、私は米を残すのが嫌いだ。
こんなところに神様なんていないと分かっているけれど、
子供の頃に刷り込まれたイメージはもう消えることはない。
茶碗にくっついている最後の一粒を残して手を合わせることは、
この上なく罪悪感を感じさせる。
今思えば、3人を聞き間違えて千人だと思っている説がだいぶ濃厚だ。
けれど私は千人だと信じている。
お米の神様3人派の人の333倍、7人派の人の143倍
私は多く神様を取り込んでいる。
ガッハッハ。すごいだろ。
千人神の米を食べている私。すごい。
その分、茶碗に残った米粒にはシビアだ。
だから神様に泣きついたっていいだろう。
私の米には千人の神様がいるんだぞ、と
ちょっと大きい顔をしてみてもいいだろう。
千人神のお米を食べている私、
そんな私だけの事実が、ちょっとだけ私を強くしている。
この先はお米には関係ないちょっとした思い出話。
おばあちゃんで思い出すのは卵焼き。
無性におばあちゃんの卵焼きが食べたくなる時がある。
だし巻きじゃなくて卵焼き。
あまあまのやつ。
お弁当の時にしか食べなかったけれど、
ソーセージと一緒に食べるのが好きだった。
あれがみりんの甘さだったのか砂糖の甘さだったのか、
今となっては確かめる術はない。
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