千日「かいほう」行 159日目

昨年11月に東京都立大教授の社会学者・宮台真司氏が切りつけられて重傷を負った事件の容疑者が昨年12月に自殺していました。容疑者は無職で引きこもりがちだった、とマスコミが「回報」していました。

それを受けて宮台氏はネットメディアの動画で「容疑者が私や家族、関係者に危害を加える可能性がなくなってほっとした」「動機がわからず、気持ちの踏ん切りはつきにくい」などと「回報」されています。確かにそう「解法」されます。

私自身、約30年前の大学在学中から『朝まで生テレビ』や新聞などで宮台氏の発言に関心をもってきました。容疑者もそうだったものと「解法」されます。その中で「何」が容疑者の気に障ったのでしょうか。男の子が女の子の気を引くために逆にイジメたりするがごとく、容疑者は宮台氏の関心を持ってもらいたい「何」かを訴えるために事件を起こした可能性もあるものと「解法」されます。

引きこもりだったからこそ「何」かがあるものと「解法」されます。しかし「死人に口なし」です。その「何」が「解法」できないモヤモヤした思いから「解放」されません。とりあえず今後、宮台氏自身が今回の事件を受けて、この社会をどう「解法」していくのか注視されるところです。それが私自身の「かいほう」になります。

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