【随筆】秩序
上手く言葉に出来ているか良く分からないけれど、「俯瞰的社会像に対する秩序の乱れ」が苦手だ。
俯瞰的社会像というのは、自分の中で意識している自分を取り巻く人間関係のネットワークの意識のようなものだ。それはネットワークそのものでもあるし、その個々人のネットワークの文脈でもある。
例えば、「友達の友達」というのが友達である場合(共通のネットワーク)と、他人である場合(個別のネットワーク)がある。そういう、自分の知る範囲での人と人の繋がりを意識した時に想像できるモノを俯瞰的社会像と呼ぶこととする。俯瞰的と表現したがもちろん個人の主観的な意識の裡にあるものである。
先のケースには、友達Aと友達Bが犬猿の仲である場合がある。自身は板挟みになることもあれば、上手く両方と付き合うことも可能である。それは人それぞれの相性というモノだろう。
で、肝心の「俯瞰的社会像に対する秩序の乱れ」についてだけれど、それってつまり、変化を伴うイベントが発生したってことなんだ。
仲の良かった友達同士が仲違いをしたとか、友達が恋人同士になったとか、逆に恋人同士が分かれたとか、そういうのは言ってしまえば当事者でない自分には関係ないイベントでありながら、ネットワークのカタチを変えてしまう。
1つのネットワークのカタチが変わるとそれは巡り巡って全体に影響を及ぼすモノだろう。新しいネットワークを形成することもネットワークのカタチが変わることだ。だから新学期とか色々大変なんだ。
「秩序の乱れ」ってのはそういう表現が自分は一番しっくり来るってことだ。何を持って秩序と呼ぶのか、逆に無秩序とは何なのか、正直自分でも良く分からない。そもそも「秩序」というのは何だろうか。ググってみる。
ちつ‐じょ【秩序】
1 物事を行う場合の正しい順序・筋道。「—を立てて考える」
2 その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり。「学校の—を乱す」
らしい。まあ大体そういうイメージというかそういうニュアンスであっているのだけれども。一つ引っ掛かることとしては自身の裡に主観的に存在する俯瞰的社会というのは、あくまで自然発生的なものだ。そして実社会における秩序というものとは違う”秩序”が働いている。それはつまり、人の手によってつくられた秩序ではなく、自然発生的な秩序だ。
つまりそれは無秩序だ。無秩序でありながら秩序と感じている何か。その心地よさを勝手に大切に思っている。
裏返すとそれは、秩序の心地よさ。変化したその先にも秩序は秩序として存在するのだろうけれど、その変化そのものが苦手なのだ。
とかなんとか考えていた。
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