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精神疾患×LGBTQ×あいりき 〜自分の歴史を音楽と振り返る(15)2022

私はゲイであり、気分変調症と診断されて20年ほど経っている。そんな私も、恋愛にハマったり、傷付いたり、もがいたりしてきた。そんな私もさまざまな経験、特に「あいりき」に携わることで変化した今の視点で、「精神疾患×LGBTQ×愛」との重なりに思うところを記しておきたいと思う。また、音楽の付け合わせとして「老い」をテーマにした曲を挙げてみる。


ゲイの世界とルッキズム

若い頃、自分にとって出会いのきっかけになったのは、ダイヤルQ2やゲイ情報誌の掲示板や文通で、それはやがてインターネットでの掲示板に変わった。それらに共通するのは、必要以上にお互いの素性を知らせずにリアルするということ。自分の写真をネットで相手に送るなんて技術はない時代だった。

今はおそらくマッチングアプリがメインだろう。他にはゲイバーやクルージングスポット、趣味サークルなどがあるだろうか。私も今はマッチングアプリで出会うことが圧倒的に多い。出会いといっても、友達募集、恋人募集、身体目的など様々ある。なので、顔、身体、風景など、みなそれぞれの出会いの目的に応じた画像を掲載している。

ゲイの業界では、短髪で筋肉に脂肪が適度に乗っているガチムチ体型が大人気で、それを目指すべく「ジム週⚪︎⚪︎で通っています」という文言を載せている人や、その身体を堂々と掲載している人も多い。他にもデブ専と呼ばれる、手足も含め丸々と太った人が人気であったり、老け専、ジャニ専、というように実にいろいろな好みが存在する。

ということで、画像の情報が強い出会い系アプリの比率が高いこの業界がルッキズム(外見至上主義)と親和性が高くなってしまうのは仕方ないのかも知れない。私自身も、相手の外見を優先に判断してしまうことがある。また、相手からも外見で判断されることも多い。待ち合わせ場所に時間通りに着いたら、タイプじゃないとメッセージで一方的に断られ会うことも叶わなかったことも幾度も経験してきた。

となると、実体験を通して、以下の2つのことが起きやすいのかなと感じる。

(1)自分の好みの顔や身体であると、性欲が刺激されやすくなり、互いにコミュニケーションを取るとき性行動の優先順位が上がる

ゲイに限らない話かも知れないが、自分も含め、この業界では顕著なように感じている。それは、個々の男性性によるものなのか、性行動による妊娠の可能性が無いからなのか、同じマイノリティ同士の孤独を分かち合える存在でありそれを確認する行為になりえるからなのか。様々な要素が絡み合っているようにも思える。
この辺りは「パートナーがいるけれど他の人と性行動をする」という概念にも通じるのかも知れない。(オープンリレーションシップなど)

(2)自分が相手の好みの顔や身体になるよう努力する(要はモテるよう努力する)

例えば、ガチムチ体型になるべく筋肉を作るためジムで鍛え、プロテインを欠かさず飲む。理想の身体に近づこうと努力することは悪いことでは無いだろう。一方で、生まれつき筋肉がつきにくい人もいる。健康上の理由でプロテインを飲めない人もいる。彼らの中に「理想の体型になれない自分はモテないしダメなやつだ」と思う人がいても不思議ではない。体型至上主義な価値観は、この業界にはどうしても多いと思う。

愛するということ〜あいりきと出会って

さて、私は2022年から「あいりき」というプログラムにファシリテーターとして携わっている。「あいりき」とは精神障がいのある人が、恋愛や結婚という「人を愛するということを通して、リカバリーを促進しうるプログラムのことだ(プログラムは精神障がいのない人でも参加できる)。HPにはこう記載してある。

「あいりき」とは、愛する力を磨くピア学習プログラムのことです。「人を愛する」ことを考え、語ることを通して気づきを得るプログラムです。
「あいりき」の目標は、より良く生きること、恋愛や生きることに前向きになること、人として成長すること、リカバリーが促進されることです。恋人を見つけることや知識を得ることを目的としていません。

あいりきホームページより

さて、愛するとはどういうことだろう。そのヒントがこの「あいりき」には散りばめられている。少なくとも「愛する=恋愛する」ではない。

精神障がいを抱える人なら、

  • 好きな人に嫌われた

  • 周りに結婚を反対された

  • 恋愛はメンタルの調子を悪くさせるからダメだと主治医に言われた

  • 子どもを作ることを反対された

  • 差別や否定が怖くて、好きなものを好きだと言えなくなった

  • 否定されるのが嫌だから、自分の恋愛観を周りに言いづらい

というような場面を経験したことがあるのではないだろうか。正直に言って「あいりき」はこれらの場面に真っ向から立ち向かう強い武器のようなものではないだろう。

「あいりき」は、安全に安心できる場であり、愛するということを語り、聴く。そのことを通して、自分の「好きだなあ」と思う気持ちを大切にすることができる。そして周りの人から応援してもらうことで新しい自分を見つけ、自分をいたわることができる。

自分にとって良かったのは、「あいりき」は愛することを強制しないところだ。愛することを語り聴くということには、愛さないということも含む。また自分のような性的マイノリティでも語ることができる配慮(やがてこんな言葉がなくなる社会になればいいなあ)がある。愛することには色々な価値観や想いがある。それを否定しないのがとてもありがたいと感じた。

私は「あいりき」と出会ってから、自分の中にあるルッキズム的価値観に対しこのように思うようになった。

見た目が全てだとは思わない。でも、見た目は相手のことを知る一つの要素でもある。

これはバランスが難しいんだけど、いつも自分の心に留めている言葉になっている。

老いを歌う
松任谷由実「ダンスのように抱き寄せたい」「シャンソン」
B'z「トワニワカク」

2022年は松任谷由実のベスト盤「ユーミン万歳!」が大ヒット。そこにも収録されている「ダンスのように抱き寄せたい」は、映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」の主題歌。ダンスのように踊れなくなっても、みじめに見えても、あなたとならそれでいい、という内容の歌詞。TV番組でユーミンがこの曲を歌っているのを見たことがある。歌う見た目は年相応の、はっきり言って若くないユーミン。しかし歌うさまに少女を見た。それがまた切なくて。

もう1曲「シャンソン」も紹介したい。AL「POP CLASSICO」に収録。「限りある日々を生きてること 分かち合おう」「苦しみさえも美しく やがて藻くずに還るとも」という歌詞たちに、等身大のユーミンを感じる。そして「忘れない」「覚えてる」の連呼が、記憶力の衰え=老い に対する温かな抗いなのだろう。この曲もTVで歌唱しているのを見た。かつての曲たちを歌う際にはいくつもキーを落としているユーミンが、この曲は明らかに苦しそうなのに、その様をこちらに見せつけてくるようだった。まさに「苦しみさえも美しく」見えた瞬間だった。

1988年にデビューしてことして36年のB'z。周りから若いとか年取らないとか言われていたが、老いは彼らにもやってきた。特に稲葉さんはストイックに体や喉を管理していることで有名だが、2004年頃には喉の手術を受け、2018年のライブでは途中で声が出なくなるアクシデントが発生するも、小休憩の後不死鳥のように復活してその日のライブをやり遂げたこともある。そしてコロナ禍で外出がままらない時に配信ライブを年代別に5日間行った時ぐらいからは、髪の毛にメッシュのような白髪のようなものが。以前は老いに徹底的に抗っていたのが、ここ数年で、それにうまく適応しつつ変化しようとしている、そのように感じた。

そう考えた根拠とも言えるのが、2019年に発売されたAL「NEW LOVE」のラストを飾るこの曲。枯れていくカッコよさもあると認めつつも、ずっと若くいたいという矛盾めいた願いを後押しするような歌詞。矛盾を持つ人間臭さを隠さず歌詞に載せるのが、B'zのすごいところで、親しみの持てるところだ。何よりB'zのおかげで、私自身も老いを必要以上に怖がらなくなってきたように思う。


という感じ。
いろいろと熱く語ってしまいましたが、平たく言うと、いつか自分にもパートナーができたらいいなと思うわけです!

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