見出し画像

(小説)池畔のダーザイン⑩

 後で知ることになったが、俳優の三浦春馬が三十歳で自殺した日、わたしは大山へ向かった。夕方マンションに到着すると、周囲の赤松林から大音量で響き渡る蜩の声に迎えられた。六月より明らかに生命力も透明感もいや増したその声に圧倒され、同時に何かほっとした。
 今回も一週間しか滞在できないが、短い時間を十二分に楽しもうと思っていた。
 持参した荷物を部屋へ運び、一息つくと、昨日娘からの電話で話した内容を思い出した。

 お母さん、また大山に行くの? それはいいけど、お父さんをほったらかしにして、熟年離婚なんてことにならないようにね。コロナのこともあって、お盆は帰省しないことにしたよ。いつになったら収束するのやら……。

 多分そうなるだろうと思っていたので、驚きはしなかった。三歳の孫に会えないのは残念だが、仕方ない。わたしには持病はないが、五十代後半は「感染したら重症化しやすい高齢者」の範疇に入るようなので。
 高齢者という自覚もなく、一方的な範疇に困惑するばかりでも、それとは無関係に感染者は増え続けている。わたしが大山にいる間に、瀬戸内の県では複数のクラスターが発生し、感染者は六月末から倍増し、五十人近い数字になろうとしていた。
 このまま増え続けたら、また県をまたぐ移動が自粛となり、大山に来られなくなってしまうのだろうか?
 この先のことは誰にもわからない。二0二0年の春以降、誰もが経験したことのない日常を生きているのだから。
 わたしはシャワーを浴び、麦茶かサイダーですませようと思っていたのに、冷蔵庫の奥の缶チューハイに手が伸びた。アルコール度七パーセント未満のものに切り替えるつもりが、冷蔵庫に鎮座しているのは、なぜか九パーセントの缶ばかりだった。
 ストロングゼロというネーミングは、失敗していない。むしろなにがしかの魔力を秘めている。プルタブを開ける瞬間の音は、つるりするりと部屋を突き抜けていかない。猛々しいのに清々しくもあり、物悲しさを溶かしていく寛容さを含むカナカナの余韻のある響きとは別物だった。

 短い一週間の滞在の後半は、連日雨だった。それでも一度も池や森への散歩をせずに帰るわけにはいかないと、わたしは傘をさして散歩に出た。
 池への道を直行するのではなく、いつもと違う道を歩いてみた。別荘地へ続くやや急な坂道を上っていくと、途中にある小振りな別荘から香ばしい匂いが漂ってきた。別荘らしい特徴の薄い、ごく一般的な小住宅といった印象の家には、町田ナンバーの小豆色の軽四が窮屈そうに停められていた。
 わたしは足を止め、息を吸い込んだ。
 天ぷらの匂いだ。夕食には随分早い、こんな雨の昼下がりに、天ぷらパーティーでもしているのか?
 我ながら突拍子もない想像だが、なぜか楽しくなってきた。雨の日だろうが、昼下がりだろうが、食べたい時に、好きな時に天ぷらを揚げればいい。車で一時間ほどの境港へ行けば、いくらでも新鮮で美味しい魚が待っている。あの軽四の持ち主は、この日のために遠路わざわざ駆けつけてきたに違いない。
 少し雨が強くなってきたけれど、天ぷらの香ばしい匂いは濃くなる一方で、食欲をそそる。
 わたしは匂いを振り切り、坂を上った。やがて疎に別荘が建つ一帯で、不思議な看板が目についた。
 白地の看板に浮き上がるカリグラフィーの文字は、マナーハウスと読めた。金、土、日曜オープンと書いてある。何かの店だろうか? 別荘地内に店舗等を建ててはいけないという規約があったような気もするが……?
 天ぷらの家より大きく、外観も別荘らしく見える。陰影の濃い木々に囲まれた建物は、ヨーロッパの森の中の古いお家といった感じだった。
 マナーって、テーブルマナーでも教えるんだろうか? 社交ダンスの教室か何かだろうか? 良からぬことを指南する秘密結社のような場所かもしれない……。
 雨はさらに激しくなり、バタバタと傘を打ちつける。このままここに立ち止まっていても、真面な想像は出てきそうになかった。足元で跳ね飛ぶ雨がスニーカーをずぶ濡れにし、坂道を滑り落ちていく。
 雨は降り始めはおとなしくても、あっという間に激しくなり、大量の水蒸気が辺りを真っ白な別世界へと変えていく。それが大山の雨だった。何度経験しても、その度に初めて見るような気がするのは、どうしてだろう。
                             (続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?