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コロナを食生活で逆手に

#最近の学び

小学校から中学校までの義務教育の間、毎日何気なく当たり前のようにやっていたことの中で、今思い出すとあれはどう考えてもおかしいと思うことが最近頭の中をよぎる。

昼食時間のことだ。

小学校で言えば給食、中学校で言えば弁当の時間だ。

僕は第二次ベビーブームの生まれで、ひとクラス約40人。6つぐらいの班に分けて学活の時に担任の先生が毎回テーマを設けては、その班ごとの生徒の間柄だけで話し合いをしていた。

そのメンバーで給食や弁当の時間には、机を向かい合わせにあるいは横並びにくっつけて食べていた。まあ、どこの学校でもそうだと思うんだが。

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この状況の時、たいがいみんな会話を交わしながら食べているのがごくありふれた光景だが、僕は基本的に食事中の会話は嫌いで、黙々と食べるタイプだった。実際今家庭でもそうだ。

昼食の時間が過ぎれば20分の昼休みに入るんだから、その時にいくらでもおしゃべりできるじゃないか。向かい合わせの生徒が口にものを含んで咀嚼しながらこちらに話しかけてくると、口の中のぐちゃぐちゃになった食べ物がもろに目に飛び込んできて汚さ極まりない。

それでもどこの学校も班ごとに机をくっつけて食べることを規則として推進しているのなら、ちょっと疑問の余地がある。

特に話すことなどないのに、あえて向かい合わせで食べる必要はない。

給食や弁当がそれなりにおいしければ、そのおいしさに気が奪われて集中して味わうことになるので、自然と無言になる。となると、昼食の時にしゃべっている生徒は、あまりおいしいと感じていないということか。

給食はともかく弁当は各生徒の母親の手作りのはず。昼食の時、毎回決まっておしゃべりをしている生徒は、自分の母親が作った弁当がたいしておいしくないんだというふうにとらえられる。

僕の場合、幸いにも母が料理上手。おかずのバリエーションが豊富で和洋中全てにおいてある程度精通している。おいしいものを味わうと誰もがみな無言になる。だから僕は、昼食時間は班ごとに机をくっつけた状態でも始終無言だった。いや、母の料理の腕前が僕をそうさせていた。

妹もそんな母の影響を受けてか、料理の味付けは今では母を上回るほどの腕前を身につけている。

コロナの影響で最近の小学校の給食時間は、授業中と同じ、生徒全員机を黒板の方へ向けたまま一人一人が孤立して無言で食べさせる方針を取らざるを得ない状況になっている。でもそれが功を奏して食事への集中力が身につき、おのずと作り手への感謝の気持ちが養われるいい機会へときっとつながるだろう。「おいしい」、「まずい」、「ふつう」など、生徒それぞれ自分の舌で確かな味覚を感じながら、コロナへの憎さも一緒に噛みしめて。

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