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エア・パワーの文法――ウクライナ戦争と『航空戦』

(編集者より)
ロシアの侵攻から8ヵ月。ウクライナでは戦闘が日常化し、現地の生々しい状況が報道やSNSを通じて間断なく伝えられています。

一方、ネット上には軍事の専門家たちによる戦況や戦術の考察が溢れ、書店でも軍事関連の書籍が目立つようになりました。この戦争を契機として、軍事学や戦争学に関心をもつようになった人が増えているようです。

こういう事態になるとは思いもしませんでしたが、弊社では2019年から〈シリーズ戦争学入門〉という叢書を刊行しています。「平和を欲すれば、戦争を研究せよ」を標語として、戦争をめぐる諸問題を多角的に考察する一助となることを願って企画された書物群です。

最新タイトルは今年9月に刊行された『航空戦』(フランク・レドウィッジ著/矢吹啓訳)です。ウクライナ戦争に関する直接的な記述はありませんが、航空戦の歴史的展開や戦略的効果、空軍の将来像や役割などについて体系的に論じられており、ウクライナ戦争の趨勢をよむうえで参考になるかもしれません。

本書を翻訳してくださった矢吹啓氏に、ウクライナ戦争を絡めつつ、『航空戦』の内容を紹介していただきます。

2022年2月24日、ウクライナ戦争が始まった。ちょうど『航空戦』の訳稿を一通り完成させて、出版社に提出する前の見直しを始めていた頃である。

事前の報道から緊張の高まりは認識していたし、国境付近でのあからさまな部隊展開は、ロシアが北欧周辺国を威圧する手段としてよく用いるものだということも知っていた。米国が矢継ぎ早に警告を発するなかでは、奇襲の効果も薄れる。

「いずれ何らかの合意が結ばれて、事態は収束に向かうだろう」という楽観的な観測にとどまっていたから、戦争の勃発に驚いたというのが本音であった。

戦争が始まると、Twitterなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)は、現地の人々や兵士たちが撮影したロシア軍の侵攻や交戦の動画で溢れ、専門家の分析が飛び交う場となった。

訳者の関心は自然とウクライナ戦争における航空戦に向かったが、息つく暇もなく流れてくる情報を整理する際には、『航空戦』の翻訳を通じて改めて学んだ諸概念が役に立った。またSNSや報道を通じて知る航空戦の実態は、本書で触れられる戦例と共鳴していると思われた。

「なぜロシア空軍の活動は低調なのか」「なぜロシア軍は航空優勢を確保できていないのか」――これは開戦直後から大きな話題となり、ウクライナ戦争の様相を規定する要因の一つとなっている。局地的な差異はあれども、開戦から8ヵ月経った今でも航空優勢をめぐる状況に全般的かつ決定的な変化はない。

その具体的な理由はすでに専門家によっていくつか指摘されているが、重要なのは、ウクライナ側の防空システムが現在にいたるまで機能しており、ロシア軍の航空機に脅威を及ぼし続けているということである。最近では、むしろウクライナ空軍の活動が局地的に活発化している傾向すらある。

フランク・レドウィッジの『航空戦』が示すように、航空機に対する地上からの脅威は、決して目新しいものではない。

ヴェトナム戦争で米軍は合計1万機近くの固定翼機とヘリコプター、無人航空機(UAV)を失ったが、戦闘中に失われた米航空機(ヘリコプターを含む)の97%は対空砲と地対空ミサイル(SAM)によって撃墜された。中東における諸戦争でも、SAMは大きな役割を果たしている。こうした統合防空システム(IADS)の発展は、第一次世界大戦中の「ロンドン防空管区」にまでさかのぼる。

一方で、SAMに対抗する技術も進化しており、いわば攻撃と防御のいたちごっこが続く。

レーダーに発見されにくくするステルス技術、レーダーを無効化する電子妨害(ECM)やサイバー戦、レーダーの位置を暴露させるためのおとりとなるUAVや航空機、敵レーダーから放射される電波を追跡して発信源を破壊する対レーダーミサイルなどである。『航空戦』で描かれる中東における諸戦争は、まさにこのSAMをめぐる攻防に関する格好の事例を提供する。

ウクライナ戦争では、ロシア軍の侵攻直後を除き、映画『トップガン』シリーズで描かれるような空中戦ドッグファイトはほとんど起きていないようである。また、第二次世界大戦で人々の記憶に刻み込まれた戦略爆撃、冷戦後の紛争介入の手段として多用されてきた精密爆撃も大規模には実施されていない。その一方で、将来の航空戦を予見させるようなドローンの活躍が大々的に報道されている。

とはいえ、従来のエア・パワーが将来の戦争ではあまり効力を発揮しなくなる、航空機がすぐにドローンに取って代わられるなどと考えるのは早計であろう。

もしウクライナにおける航空戦が低調に見えるとすれば、それはまさに著者のレドウィッジが指摘するとおり、エア・パワーの諸機能を発揮するための鍵となる「空の管制コントロール・オブ・ザ・エア」が十分に確保されていないがゆえである。防空能力における一種の均衡が崩れるとき、戦争の様相が大きく変化するであろうことは想像に難くない。

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今回創元社から刊行された『航空戦』は、航空戦の歴史をたどるエア・パワーの入門書である。

エア・パワーの四つの役割は、それぞれどのように発展してきたのか。エア・パワーをめぐる理論や各国のドクトリンはどのように進化してきたのか。エア・パワーは単独で安価に政治目標を達成しうると見なす風潮があるが、果たして実際に戦略的効果を発揮することができるのか。また空軍の将来の姿や役割はどのようなものになるのか。

これらの論点をめぐる議論を軸に、航空戦が重要な役割を果たした戦争の歴史を振り返る。

エア・パワーの四つの役割とは、①空の管制(制空)、②偵察、③攻撃、④機動力であり、このうち「空の管制」の確保はほかの三つの役割を可能にする鍵である。

エア・パワーの役割としては「偵察」が最も古く、飛行機が発明される前の一八世紀末には気球が担っていた。「攻撃」はエア・パワーを行使する主要な手段であり、大きく分けると戦場における近接航空支援、(敵部隊への増援や補給を断つ)阻止攻撃、産業基盤等に対する戦略爆撃の三つがある。「機動力」は比較的新しい役割で、地上戦の趨勢に影響を与えるだけでなく、ベルリン空輸のように戦略的効果を発揮することもある。

第一次世界大戦を経て確立されたエア・パワーは、戦間期にドゥーエ、ミッチェル、トレンチャードらによって理論化が進んだ。第二次世界大戦後の低迷を経て、ヴェトナム戦争後にはエア・パワー理論にルネサンスが訪れ、OODAループで知られるボイドの「機略戦」とウォーデンの新古典的エア・パワー理論というアプローチが登場する。

冷戦後の諸紛争や対テロ戦争は、エア・パワーの極致とともにその限界を示した。今後、ハイエンド技術をめぐる競争が激化し、ドローンやサイバー戦などの新しい能力が発展するにつれて、新たな理論やドクトリンが登場するかもしれない。

著者のフランク・レドウィッジは、ポーツマス大学ビジネススクールの法学・戦略上級講師を務めながら、クランウェルのイギリス空軍士官学校とハルトン空軍基地でも教鞭を執る、実務家出身の研究者である。

1996年から2012年にかけて、軍人や外交官、人権問題の専門家などさまざまな立場から、バルカン半島やイラク、アフガニスタン、リビアなど、イギリスの軍事的関与の多くに関わってきた多彩な経歴を持つ。軍事問題の専門家として、著者のウクライナ戦争に関する分析やコメントは各国メディアに採り上げられている。

訳者が大量の質問を送りつけても嫌がることなく丁寧かつ迅速に回答してくれるのが常だったが、ゲラ校正の段階になって一時的に返信が遅れたことがある。ウクライナのシンクタンク客員研究員としてキーウに滞在し、軍事能力と民間の強靱性レジリエンスに関する現地調査を行っていたためだという。

「ウクライナ戦争を受けて書き足したいことはあるか?」と尋ねると、現在起きているのはあくまで漸進的な変化であり、航空戦の本質は変わっていない、との答えだった。『航空戦』でも指摘しているとおり、まさに「エア・パワーの語彙は進化するが、エア・パワーの文法はほとんど変化しない」ということなのであろう。このほかにも興味深い洞察を伺うことができたが、具体的には著者が論文等で発表するのを待ちたい。

ウクライナ戦争は泥沼の消耗戦になるのか、それとも何らかの形で決着がつくのか。はたまた一部で恐れられているように、NATOを中心とする西側諸国とロシアの全面対決にまでエスカレートしてゆくのか。

いずれにせよ21世紀の戦争において、今後も航空戦が重要な側面の一つであることは間違いない。本書を通じて航空戦の理論と実践の歴史を振り返り、ウクライナ戦争にとどまらず過去から将来にいたる戦争を展望する一助としていただければ幸いである。

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最後に、訳語について若干の説明を加えたい。本書の著者はイギリス人であり、本書は基本的にイギリス空軍ドクトリンに基づいている。このため、日本で比較的知られていると思われる米空軍ドクトリンの用語やその定義とは若干の差異があることに注意が必要である。

また原書では、現代のドクトリン用語としてのcontrol of the airおよび歴史的用語としてのcommand of the airが別々に登場する。本訳書では、前者を「空の管制」、後者を「制空」と訳し分けている。

日本では両者ともに「制空権」と訳すことが一般的であり、さらに「航空優勢」も「制空権」と同義、言い換えであるという解釈が広まっているようであるが、英米両国の空軍ドクトリンの発展を踏まえるとドクトリン用語の翻訳としては不適切であろう。詳しい説明は「訳者解説」を参照していただきたいが、以下に「空の管制」の概念図を再掲しておく。

2022年10月26日
矢吹 啓

『航空戦』書影

【執筆者】矢吹 啓(やぶき ひらく)
東京大学大学院人文社会系研究科欧米文化研究専攻(西洋史学)博士課程単位取得満期退学。キングス・カレッジ・ロンドン社会科学公共政策学部戦争研究科博士課程留学。訳書:コーベット『コーベット海洋戦略の諸原則』、マハン『マハン海戦論』(以上、原書房)、ブラック『海戦の世界史』、シャーマン『〈弱者〉の帝国』(以上、中央公論新社)、ワインバーグ『第二次世界大戦』、イングリッシュ『近代戦争論』、レドウィッジ『航空戦』(以上、創元社)など。