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オダサク探訪①「それでも私は行く」の先斗町と四条大橋

創元社創業130周年記念朗読劇の開催を記念して、創元社初版『夫婦善哉』簡易復刻と、『織田作之助新聞小説セレクション』の特別編集書籍を発行することになりました。
2つの書籍に収められているのはいずれも、織田作之助(オダサク)が暮らした大阪・京都の街を舞台にした作品です。70年以上経った今でも、街を歩けば、作品に描かれた当時の面影を読み取ることができます。
あのシーンで登場したあの場所は、今はどうなっているのでしょう?
小説を読みながら、じっさいに街を歩いてみました。

 「それでも私は行く」は、終戦の翌年、1946年4月~7月にかけて、日刊紙「京都日日新聞」に連載された新聞小説です。
 主人公は、先斗町のお茶屋の息子であることをコンプレックスに思っている三高生・梶鶴雄。「女たちにぞっと寒気を覚えさせるほどの美少年」なのですが、ちょっと優柔不断で中二病っぽいところがあって、その日の行動をサイコロの目で決めるという、変わった習慣の持ち主でもあります。
 「それでも私は行く」は、戦火をまぬがれた終戦直後の京都の街を舞台に、この鶴雄くんがサイコロの目にしたがって行く先々で出会うクセの強い人物たちが織りなす群像劇です。
 小説内には実在した建物や店舗が頻出し、当時から大きな話題を呼んでいました。こうした描写から、三高生として学生時代を過ごしたオダサクにとって、京都がなじみ深い町だったことがうかがえます。

 今回は、その「それでも私は行く」のオープニングでもあり、その後も何度も登場する四条~先斗町周辺を歩いてみました。

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 京阪祇園四条駅から地上に出るとすぐに、鴨川にかかる四条大橋が目に入ります。作品中でしょっちゅうでてくる場所のひとつです。
 川を挟んで向こう側には、中華料理店「東華菜館」の側面が見えています。夏らしく納涼床が出ていますね。

 四条大橋の上から、京阪・祇園四条駅を振り返ったところ。右手に見えるのは南座、そのお向かいはレストラン菊水です。この通りを正面へまっすぐ進むと八坂神社。そして鶴雄くんがとある人物に誘われていながら、サイコロの目のお告げ(?)によって行くのをやめた円山公園があります。

 ちなみに物語の中盤、この四条京阪前で、芸者の君勇はかつての旦那・三好と思いがけぬ再会をします。そのシーンで「三好はぼそんと言ったが、その時、京阪電車が眼の前をよぎって言ったので、三好の声は電車の音に消されて聴えなかった。」というくだりを読んだ時、「当時はまだ京阪電車は地下にもぐってなかったんだ!」と、よく考えれば当たり前なんだけど新鮮な驚きがありました。

 四条大橋のたもとに建つ北京料理店「東華菜館」。1926年に竣工したヴォーリズ建築で、日本最古級の手動式エレベータが今でも使われています。
作品内では、冒頭にこんな感じで登場しています。

 そのすきに、鶴雄は足早に路地を出て行った。そして、四条の電車通を横切って、もとの矢尾政、今は中華料理店になっている洋風の建物の前まで来ると、急に立ち停った。

 作品にある通り、この建物は当初は「矢尾政」という西洋料理のレストランの店舗として建てられ、1945年から「東華菜館」に変わったのだそう。
 小説の舞台は当時のリアルタイムである1946年に設定されていると考えられるので、中華料理店になったのはごく最近のことだったのでしょう。鶴雄くんはこの建物の傍で、作中最初のサイコロ占い(?)をするのです。
 ちなみに「東華菜館」は炸春巻がおいしいです。

 小説内の鶴雄くんの行動を逆再生して、東華菜館前から、今はもう市電の走っていない四条通を渡ると(もちろん、少し先の横断歩道を渡りましたよ~)、いよいよ鶴雄君の実家にして本作のメイン舞台ともいえる「先斗町」です。写真は、先斗町の路地の入口にある看板。鶴雄くんもここを通って四条通に出たのです。

 先斗町の路地の様子。本当はもっと暗くなってからのほうが雰囲気が伝わるかもしれません。
 物語の冒頭、京都を代表する物語の冒頭、君勇は演舞場へ稽古に出かけようと屋形を出たところで、思いを寄せている鶴雄が偶然通りがかり、このチャンスを逃すものかと声をかけます。花街に生まれ育ち、芸者としてのキャリアも積んでいるけれど、こと恋にかんしては純情でけなげな君勇姐さん。作中で一、二を争う魅力的でかっこいい女性です。

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 まだ先斗町、入り口やん! …というところですが、取材の都合上、探訪第一回はここまで。
 今後も京都・大阪と、いろいろなオダサク&作品ゆかりの場所を紹介していきたいと思います!(編集O)

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