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山本粧子の Hola! ジャガイモ人間~ペルーからコンニチワ~┃ 第18回

ブエノスディアス!山本粧子です。

じつは先日、ペルー滞在8ヶ月目にしてようやく、あの有名なマチュピチュへ行ってきました。
マチュピチュへの玄関口であるクスコでは、一年で一番日が短い冬至の日に、「Inti Raymi(インティ・ライミ)」というお祭りが開催されます。
インカ帝国時代から行われていた「太陽の祭」で、南米三大祭の中のひとつにも数えられています。
ペルーに住んでるからにはこのお祭りを体感してみたいなと思い、その時期にあわせてマチュピチュへ行くことにしたのです。

これから2回に分けて、「私のマチュピチュへの道」を書いていきたいと思います。

国内旅行はいつもリマから

まず、パラカスからリマへ向かいます。毎週リマへ行くために乗っているバスのはずなんですが、いつもより少しウキウキしていました。
車内では、私がリサーチしたクスコのレストランリストから、最終的にどのレストランへ行ってみることにするか、最終チェックをしました。私は、このチェック作業が割と好きです。たくさんの中から、少数に絞り込む作業が。そうこうしているうちに、あっという間に3時間半が過ぎ、リマに到着しました。
クスコへ出発するのは翌日なので、この日は特に当てもなく、リマ市内をブラブラ。「COSMOS」という不動産プロジェクトの一環として、取り壊される直前の家の中にXOMATOKというアーティストが展開した、没入体験型のアート作品「風景をめぐる旅」を見学したり、第17回で紹介した韓国料理を堪能したりして過ごしました。

XOMATOKの作品展示会場
XOMATOK「風景をめぐる旅」の一画


翌日は、午後の便の飛行機でリマからクスコへ向かいました。
クスコ空港に到着する直前、飛行機はしばらくの間、ひたすら茶色い山の上を低空飛行で飛んでいました。窓の外には、ここで人が生活できるのだろうか? と思うくらいゴツくてすごい角度の山々が広がっていたのですが、その谷間に家もちらほら見えました。

離陸してから1時間も経たないうちにクスコに着陸しました。早かったです。

 3399㍍の標高に、鉱山病に少しビビりながら、いつもより少しゆっくり目に歩こうと心がけつつ、Uberタクシーに乗ってクスコの市街地へ向かいます。その後、マチュピチュ村行きの鉄道の出発地点であるオリャンタイタンボまで乗り合いバスで移動しました。
とにかく、マチュピチュまで辿り着くまでは、移動の連続です。飛行機に乗り、タクシーに乗り、バスに乗り、電車に乗り。。。

オリャンタイタンボに到着! 乗り合いバスを降りたところ

このように、マチュピチュに到着するまでは本当に移動の連続なのですが、乗り物が次々変わるのがおもしろく、そんなにつらくはなかったです。
移動の中でも、特に印象的なのは、オリャンタイタンボからマチュピチュ村へ移動する鉄道ペルーレイルです。

鮮やかな群青色に黄色いラインが入ったかっこいい列車

これが、浪漫を感じずにはいられない! まさに、「世界の車窓から」の世界です。チャラッチャッチャッチャラ~ラ~ララ~ラ~ラ~。番組開始時にかかる音楽が脳内に自然と流れました。
ペルーでは初めて見る制服を着た鉄道職員さんや、車内販売のお姉さん。テーブルを挟んだ向かい合わせの大きめの座席。温かみのある電灯。何に当たっているのか分からないけど揺れまくる車内。鉄道の旅のグットポイントが詰め込まれていました。

乗客チェックをする駅員さん(?)車内販売のお姉さん、何か食べてる?
車内はわりとモダンで、きれいで快適です~
隣の列車もカッコイイ!

 ペルーの秘境に日本の温泉地あり⁉

さて、ペルーレイルに乗った瞬間から薄々、ペルーにいるのに何だかちょっと日本っぽさを感じるなと思っていましたが、いよいよマチュピチュ村に着いてびっくり! そこはなんと「日本の温泉地!?」と見まがうほどの風景だったのです。

デ、デジャビュ……!?

それもそのはず、マチュピチュ村の初代村長はまさかの日本人!
福島県出身の野内与吉さんが、当時まだ何もなかったマチュピチュ村に定住し、密林を開拓して道路を整備し、川から水を引いて畑をつくり、ダムをつくり、水力発電によって村に電気までもたらしたそうです。
さらに、40歳の時には自ら建設した「ホテル・ノウチ」を開業させ、ホテルの1階を郵便局と交番、2階を裁判所として提供。まさにマチュピチュ村を作った人、村を発展させた立役者だったのです。しかも、英語やスペイン語はもちろん、ケチュア語も堪能だったそうです。

世界的に有名なマチュピチュ村の発展に日本人が関わっていたなんて、ここへ来るまで知りませんでした。
現在、マチュピチュが全世界に知られている一方で、その発展にはひとりの日本人の計り知れない努力があったのです。彼のストーリーも世界中の人に知られるといいのになと、私自身もついさっき知ったばかりですが思いました。
しかも、海外で成功したいという夢を持って22歳の時にペルーへ渡ってきた、というところが最高です。リスペクトです。
こういう話を知ると、自分何やってんだか。努力が足りなすぎる。。と思います。気を引き締めて明日はスペイン語の勉強をしようと思います。

ホテルからの光景
川音で癒してくれたアグアス・カリエンテス川。
なんとなくこの川も、日本の山の中にありそうな…。

マチュピチュ村では、村のセンターポジションにあるアグアス・カリエンテス川沿いにあるホテルに宿泊しました。
そこではお部屋の中まで、川の水が流れる「ザーッ」という音が止まることなく聞こえてくるのですが、そういう音を久しく聞いていなかったからか、正直癒されました。

***

南米で最初に日本人が移住した国ペルー。まだまだ私の知らない日本の先人たちの痕跡がこの国にはたくさんありそうです。
今後は、そういう日本人のストーリーも開拓していきたいと思います。そのためにもスペイン語力を上げなければ!

そして次回はいよいよ、いざ! マチュピチュ遺跡へ。
今回はこのあたりでアディオ〜ス!

~編集Oの選ぶ今週の一枚~


〈プロフィール〉
山本粧子(やまもと・しょうこ)
神戸市生まれ。大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻芸術学コース卒業。卒業後、国境の街に興味があったことと、中学生の頃から目指していた宝塚歌劇団の演出家になる夢を叶える修行のため、フランスのストラスブールに2年ほど滞在しながら、ヨーロッパの美術館や劇場を巡る。残念ながら宝塚歌劇団の演出家試験には落ち、イベントデザイン会社で7年半、ディレクターとして国内外のイベントに携わる。また、大学時代より人の顔をモチーフに油絵を描いており「人間とはなんだ」というタイトルで兵庫県立美術館原田の森ギャラリーや神戸アートビレッジセンターにて個展を開催。趣味は、旅行の計画を立てること。2016年からは韓国ドラマも欠かさず見ている。2023年秋より南米ペルーのイカ州パラカスに海外協力隊として滞在し、ペルーとジャガイモと人間について発信していく予定。