見出し画像

星の味 ☆12 “向こうから来るもの”|徳井いつこ

 人の記憶は、何でできているのだろう?
 いつまでも消えない思い出がある。
 瑣末さまつな、どうでもいいような記憶がありありと残る。ある種の石ころが、引いていく波に連れ去られることなく、波打ち際に点々と残っていくように。
 金沢の旅といえば、浮かんでくるのは、中華料理屋のテーブルだ。
 町家を改造したそのお店はずいぶん繁盛していて、コップの水が置かれたきり、注文の皿はなかなか現れなかった。2時半を過ぎた遅い時間だったから、入れただけで安堵したのが、空腹も加勢してだんだん不安になっていた。
 ほど近くを、さいかわが流れているはずだった。
 犀川といえば、むろさいせい。犀星といえば……と、夫と私は顔を見合わせ、うなぎの寝床のような町家の奥まった小さな庭を眺めた。
「ふるさとは遠きにありて思うもの」
「そして悲しくうたうもの……」
 なんという詩だったか。冒頭が浮かんだきり、それ以上続かなかった。
 われわれはため息をつき、夫は駅でもらった地図を広げ、私は出がけに投げ入れてきた文庫をかばんから取りだし、開いたページに目を落とした。
 と、そこに書かれていたのだ。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」
 それは犀星の詩集でも金沢の本でもない、だれかのエッセイ集だったが、いま口にした言葉が文字になって書かれていた。
 いったいどうして? わかるわけがない。
 引用は続いていた。
「よしや うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても 帰るところにあるまじや」
 地図に見入っていた夫が顔を上げ、笑っている私にげんな調子で言った。
 「犀川のそばに、室生犀星記念館があるよ……?」

 犀星といえば、中学生のころ『杏っ子』を読んだぐらいだった。名前に「星」が付いているのを不思議に思った記憶がある。犀川の西で育ったから「犀西」とつけたのが、「西」を「星」に改めたと知ったのは、あのあと訪ねた室生犀星記念館だったろうか。
 犀星は『あにいもうと』や『蜜のあはれ』などの小説で知られるが、小説を書き始めるより前、先の詩「小景異情」をおさめた『じょじょう小曲集』、『愛の詩集』で登場して以来ずっと詩人であり、それは終生変わらなかった。
 犀星は星が好きだったようだ。生涯に出版した24冊の詩集のなかには、星の詩がいくつも散りばめられている。
 詩集『星より来れる者』のなかの「夜」という詩。

  空はふかく
  星がいちめんにある
  いくら見てゐても飽きない
  みればみるほど何かを発見するやうに思ふ
  あたらしいものが心に乗りうつることをかんじる

  かたまつて光つてゐるのや
  一つきり非常に地上に近いところに
  はすかいに光を投げて
  澄みかがやいてゐるのがある
  群星をはなれてゐるので寂しい
  妙になにかを話しかけられてゐるやうな気がしてくる
  見れば見るほどなにか話したくなる

 話しかける、話しかけられる。犀星の詩のなかで、星と人は対等のようだ。そんなふうに夜空を眺めていたとき、ふと湧いてきた幻影だったろうか。「星」と題された短い詩がある。

  わたしは微笑つてみた
  何気なくふいに
  静かに
  その女もさうしてみせた
  そのあひだに三百年も経つてしまつた

 はてしなさと、おそろしさと。
 『星よりきたれる者』には、「恐怖」と題された詩がおさめられている。

  道をたづねてきたひとが
  ひと晩に三度もやつてきた
  三度ともわたしはそれを教へた
  暗い晩で
  雲がさかんに寒ぞらに走つて
  砥ぎ出された星がいくつも輝いてゐた

  その人はその晩はさすがにう来なくなつた
  しかし私はどうしても来るやうな気がした
  暗い星ぞらをみてゐると
  ぬかつてゐる道をあるいてゐるその人が見えるやうな気がした

  わたしは机にもたれては
  ききみみを立ててからだを凝らしてゐた
  もしやその人がふいに来はしないかと
  胸がどきつくほど落ちつかなかつた
  窓はいくども開けてみた
  暗さが、暗さを折りかさね窓につづいてゐた
  たうとうその人は来なかつた

 いったい何者だろう。あるいは詩集の題名そのものだったとか? もしかすると、自分自身だったり? どこかドッペルゲンガーの匂いを感じるのは、私だけだろうか。
星簇せいぞく」という詩。

  雲と雲との間に
  ずつと遠く一つきりに光る星、
  その星はきえたり
  またあらはれたりする不思議な星、
  ちぢんだり伸びたりする光、

  雲と雲との間にそれがちらつく

  毎晩こちらから覗いてゐると
  あちらでも毎晩覗いてゐる
  ながく覗いてゐると
  ますます親切に鋭どくなる星、

  電話のやうなものが星と星との間に
  いくすぢも架けられ
  糸をひいて
  下界のわたしの方まで
  寂しい声をおとしてくる

 こちらとあちらが、繋がり合い、響き合っている。あたかも星と人が糸電話をとおして語り合っているような……。

 生きていることは、世界との応答だ。
 話しかけ、応えられる。問われ、答える。
 あるとき、はたと気がついた。
 自分の記憶のなかで、いつまでも消えないのは、世界のほうから投げられてきたボールなのだと。
 自分が意図したこと、行動したことを忘れても、向こうからやって来るものを忘れることはない。
 出会い、偶然、巡り合わせ、シンクロニシティー……。
 さまざまな名前で呼ばれるそれは、夜空のように無数の星々を隠している。

星の味|ブックリスト☆12
●『室生犀星全集 第二巻』 室生犀星著 新潮社
●『室生犀星詩集』 室生犀星自選 岩波文庫
(*引用文には一部、原文にない読みがなを追加しています)

星の味|登場した人☆12
●室生犀星

1889(明治22)年、石川県金沢市出身。詩人、小説家。私生児として生まれ、僧侶の養子となるが、貧窮のため高等小学校を中退、12歳で裁判所の給仕となり、働きながら文学を志す。萩原朔太郎らの知遇を得、1918(大正7)年に処女詩集『愛の詩集』、第二詩集『抒情小曲集』を刊行、詩壇の地位を確立する。翌年には小説『性に眼覚める頃』を発表し、小説家としても一家を成した。主な作品に『あにいもうと』『杏っ子』などがある。随筆、童話、俳句にも優れた作品を残した。72歳で逝去。


〈文〉
徳井いつこ Itsuko Tokui
神戸市出身。同志社大学文学部卒業。編集者をへて執筆活動に入る。アメリカ、イギリスに7年暮らす。手仕事や暮らしの美、異なる文化の人々の物語など、エッセイ、紀行文の分野で活躍。自然を愛し、旅することを喜びとする。著書に『スピリットの器――プエブロ・インディアンの大地から』(地湧社)、『ミステリーストーン』(筑摩書房)、『インディアンの夢のあと――北米大陸に神話と遺跡を訪ねて』(平凡社新書)、『アメリカのおいしい食卓』(平凡社)、『この世あそび――紅茶一杯ぶんの言葉』(平凡社)がある。
2024年6月、『夢みる石――石と人のふしぎな物語』(『ミステリーストーン』の新装復刊)を創元社から上梓。
【X (Twitter)】 @tea_itsuko

〈画〉
オバタクミ Kumi Obata
神奈川県出身/東京都在住。2000年より銅版画を始める。 東京を中心に個展を開催。アメリカ、デンマーク、イラン他、海外展覧会にも参加。2017年スペインにて個展を開催。カタルーニャ国立図書館に作品収蔵。
・2006年~2010年 ボローニャ国際絵本原画展入選(イタリア)
・2013、2014、2017、2019、2023年 CWAJ現代版画展入選
・2016年 カダケス国際ミニプリント展 グランプリ受賞(スペイン)
【オバタクミの銅版画】 http://kumiobata.com/
【X (Twitter)】@kumiobata
【Instagram】@kumio_works