星の味 ☆2 ”人ではない”|徳井いつこ
詩集は不思議だ。
ひらくたび、違う詩が目にとまる。
初めて読んだように沁みてくる。
ひらくそのときどきが、毎回、新しい出会いなのだ。
昔、クルド系イラン人の友人宅を訪ねたとき、詩集占いをしてくれたことがあった。羊や豆を煮込んだ夕ごはんを食べ、小さなグラスに何杯もお茶を飲んで、もうお腹いっぱい……とみんなが暖炉の周りに腰を下ろしたとき、友人は待ってましたとばかり分厚い詩集を取りだしてきた。
それはスーフィーの偉大なる詩人ルーミーのもので、ひとりずつ順番に本を手にとって黒表紙を撫で、好きな箇所をひらいてみよ、というのである。
私の番が来て、あてずっぽうにひらいた本を手渡すと、友人ははっは〜っと笑い、流麗なペルシャ語の詩を読みあげた。音楽のような響きをひとしきり聞かされたあと、ようやく友人の通訳と相なる。
あのときの詩がどんなだったか、さだかには覚えていない。
しかし秘められた何かを開封するようなわくわくする感覚は、いまもときどき思いだす。
ひとりで過ごす時間。沈黙のなかで詩集をひらくときも、ある意味、占いをしているようなものではないだろうか? その日そのときの自分にぴったりの詩が、つまるところやってくるのだ。
今日、掃除を終えて、お茶を淹れ、ぼんやり本棚を眺めていたとき。
まど・みちおさんの詩集が目にとまった。
手にとってひらく。こんな詩が飛びこんでくる。
持っている手をはなすと コップは落ちる
そうして教えてくれるのは 人ではない
落ちたコップは いくつかに割れる
そうして教えてくれるのは 人ではない
コップの中の水は とびちる
そうして教えてくれるのは 人ではない
とびちった水は やがて蒸発する
そうして教えてくれるのは 人ではない
この世のはじめから 手をとるようにして
教え続けてくれているのは 人ではない
つきない不思議を これからさきも
えいえんに 教え続けてくれるのは
ああ 人ではない!
ふふ、と笑いたくなる。
人ではないことの、なんと清々しく、痛快なことだろう。
まどさんの詩に滅多に登場しないエクスクラメーションマークをしみじみ眺める。
この世のはじめから手をとるようにして教え続けてくれているのは、人でなくて、なんだろう……?
また本をひらく。頁を繰る。
ビーズつなぎの 手から おちた
赤い ビーズ
指さきから ひざへ
ひざから ざぶとんへ
ざぶとんから たたみへ
ひくい ほうへ
ひくい ほうへと
かけて いって
たたみの すみの こげあなに
はいって とまった
いわれた とおりの 道を
ちゃんと かけて
いわれた とおりの ところへ
ちゃんと 来ました
と いうように
いま あんしんした 顔で
光って いる
ああ こんなに 小さな
ちびちゃんを
ここまで 走らせた
地球の 用事は
なんだったのだろう
ひと粒の赤いビーズを「ちびちゃん」と呼び、小さな光に安心を感じる。
まどさんの目は、大きな窓のようだ。
あるインタビューで、まどさんは語っている。
「すべてのものが読んでもらいたがってるようにも見えます。そして、ほんとの声を読みとることができた、と感じることができたとき、それはほんとにうれしいです。なかなかそこまでいかないんですけど」
そして、こんなふうにも語る。
「わたしが宇宙で生まれたんだったら、生まれたとこと死ぬところはおんなじなんですよ。わたしたちを宇宙から動かすことはできない。だからわたしは、大げさなようで恥ずかしいんだけれども、“宇宙人”というのがいちばん真実だと思うんです。“日本人”というよりも“地球人”、“地球人”というよりも“宇宙人”のほうがより真実……。わたしはそう思っています」
詩を書くこと。
それは、まどさんにとって、日常の呪縛、忘却から立ち返り、絶え間なく宇宙に帰還し続けることだったのかもしれない。