推しの、先行き。✿第13回|実咲
「光る君へ」第14話でついに道長の父兼家が亡くなりました。
最高の権力を手に入れてから、たった4年の出来事でした。
次に権力の頂点に立ったのは兼家の長男の道隆。
次男の道兼は次は自分がとの望みが思い通りにならなかったことから、参内をやめてしまいます。
つまり出勤をしていないということですが、それが許されるのは現代の社会人からすればなんとも羨ましい話です……。
時代がまた一つ変わる中、ドラマでは公任・斉信・行成がこれからの身の振り方を語り合います。
権力固めを推し進める道隆は、自分の長男伊周を蔵人頭に任じます。
蔵人頭は天皇の秘書官である蔵人の長で、要職のためまだ17歳の伊周が就けるような地位ではありません。
なお、蔵人頭の定員は2名。この時のもう一人の蔵人頭は公任です。
順序を飛び越えた出世の速度に、実資などは怒り心頭に発している様子です。
このシーンで実資は「日記を朝に書く」と妻と共に話をしています。
これは、当時の貴族の習慣として、日記は朝に昨日の出来事を書くものだったためです。
さて、一条天皇は11歳。入内した道隆の娘定子との間に将来の天皇になる皇子が産まれる見込みはまだありません。
定子との仲は良好ですが、まだまだ子供の年頃です。
しっかり権力の地盤を固めたい道隆は、定子を「中宮にしたい」と考えています。
この「中宮」とは元々「皇后の住居」という意味の言葉ですが、転じて当時は皇后を指す言葉として使われていました。
この段階では、あくまで皇后=中宮であり別個のものとしては扱われていませんでした。
そもそも天皇のキサキというものは、実はその父親の身分などから、皇后・女御・更衣というランクがあります。
更衣は元々天皇の着替えを司る役目のことですが、平安時代には転じてキサキの一人の名称でした。『源氏物語』で最初に登場する光源氏の母桐壺の更衣は、ランクの一番下になります。
連載第11回の中でもお話しした「臣籍降下」をする皇子や皇女の母の多くは更衣であることが多いのです。(もっと低い身分の母のこともあります。)
『源氏物語』の主人公光源氏も、皇太子やいずれ天皇になるには母方の身分や後ろ盾の面から困難が大きいと思われたことにより、源姓を賜り臣籍降下、つまり皇室を離脱しているわけです。
女御は主に大臣や親王(天皇の皇子)の娘が入内した際になるランクで、皇后に次ぐ高い身分のキサキです。
そして、皇后というのが、いわゆる天皇の正室であり正妃ともいえる存在です。
定子はこの段階では、まだ正室である皇后ではなくその一つ手前の女御というランクでした。
一条天皇と定子の間に未来の天皇である皇子が誕生する見込みはまだ薄いこともあり、道隆は今の段階から定子を正妃の地位に押し上げ、地位を固めようとしていたのです。
「天皇の正妃」と言える皇后ですが、当代の天皇以前の皇后が存命の場合の位がありました。太皇太后・皇太后・皇后という三つの身分のことで、これを三后・三宮と言います。
太皇太后は先々代の天皇の皇后、皇太后は先代の天皇の皇后、皇后は現在の天皇の后のことを指す場合が多いです。
令和の日本の場合、上皇后陛下が皇太后にあたりますが、未亡人(配偶者である夫と死別した女性)というイメージが非常に強い言葉であることから、新しく「上皇后」という称号がつくられました。
しかし、すんなり先の天皇の皇后=現在の天皇の母といえない場合もありました。
「光る君へ」第14話の時代も順当とは言えない状況になっており、当時三后の定員は下記のように埋まっていました。
太皇太后=昌子内親王(冷泉天皇皇后):冷泉天皇(円融天皇の兄)の皇后だが、皇子を産んでいない。
皇太后=藤原詮子(円融天皇女御・一条天皇母):円融天皇の皇后ではないが、一条天皇を産んだことにより皇太后になる。道長の姉。
中宮=藤原遵子(円融天皇中宮):円融天皇の中宮だが、皇子を産んでいない。公任の姉。
それでも定子を皇后、天皇の正妃にしたい道隆は奇策を思いつきます。
「遵子は皇后にして、定子を中宮にする」ということにしようと作中で道長に話すのです。
本来皇后=中宮であったというのに、それぞれ別の物であるとして同時に4人の天皇の后が並び立てるようにしてしまおうということです。
これには道長もあまりのトンデモ拡大解釈に「皇后と中宮が並び立つ前例はない」と反論します。
しかし道隆は「前例の一番最初には前例などない」と無理やりに推し進めるのです。
こんな前代未聞の言い分に、他の者も一様に「ありえない」と思い、議論は紛糾するのですが、道隆の権力の前にはどうにもなりません。
結局道隆に誰も逆らうことなどできず、一条天皇の口から「定子を中宮とする」と発することで無理難題を押し通してしまうのです。
11歳の一条天皇の意思というより、道隆がそう言わせているであろうことは想像に難くないはずです。
天皇に言わせてしまえば、既成事実のようにそうなるしかありません。
いささか道隆は、兼家より根回しが下手な印象を受けてしまいます……。
こうして定子は一条天皇の正妃たる中宮になりました。
まさに、道隆の独裁的な権力のなせる業ではありました。
しかしまさかこの「皇后と中宮は別」という拡大解釈が、後に道隆一家の最大の命取りになってしまうことは、この時はまだ誰にも分かっていないことなのでした。
「皇后と中宮は別」という解釈は、今後の道長にとっても大事なキーワードであり、「光る君へ」のターニングポイントに再び出てくるはずです。
そして、この「皇后と中宮は別」がもう一度物語に登場するとき、大きな動きを見せるのが行成なのです。
一体、それまでの物語が今後どの様に描かれるのか、今から楽しみで楽しみで仕方ありません!!
行成は未だ雌伏の時。政治の表舞台に登場し活躍するのは、もう少し後の事になります。