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【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第7回|目ざましいものではなくてかすかなものを|石躍凌摩

庭師としての日々の実践と思索の只中から、この世界とそこで生きる人間への新しい視点を切り開いていくエッセイ。二十四節気に合わせて、月に2回更新します。

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第7回|目ざましいものではなくてかすかなものを


 冷蔵庫からかめを取り出して中を覗くと、その時々で違った香りが鼻腔をくすぐる。きょうのは美味しく漬かっていそうだと右手をさしいれて、そのしっとりとしたぬかの中から、一週間ほど前に仕込んでおいた人参を取り出してみれば、もとの色からすこし糠色にれて、きょうのは色味からしてもいい塩梅に思われた。糠を水で洗い流し、水気を切ってからまな板で切り分けてうつわに盛る、その手つきの二回に一回はつまんでいると、たまらなくなってきて冷酒に手が伸びる。卓についての食事よりも、台所に立っての食べたり飲んだりがこうも美味しいのはどういうわけだろう、と盃を干してから、つぎは蕪を仕込もうと適当に切り分けたのへ塩をまぶして、菌たちの呼吸いきづくよう満遍なくかきまぜた糠床に仕込んでから、また冷蔵庫へと甕を仕舞う。邪道だと、つど思う。本当なら常温に置いて、日に一度はかきまぜる方が菌たちにとってはいいのだろう。今となり、糠漬けは時折りの愉しみというところに落ち着いているが、当時は毎日これをかきまぜるということが、私にとっての新しい生活様式に他ならなかった。

 不意の疫病の襲来に際して、厚生労働省が新しい生活様式を公表した当時──日附を調べてみれば、2020年5月4日とある──、世界には張り詰めた空気が漂っていた。そうした中で、未知とは言っても、ウイルスが原因なのはすでに明らかなのだから、それと接触しないよう人との距離を取り、マスクで防いで、手洗いないし消毒で排除してしまえばいいという単純明快な対策ないし規則が、社会に広く実装されていった。その傍らで私はひとり、消毒によって排除されていくウイルスにもまして、それに巻き添えをくって失われていく常在菌のほうに惹きつけられていった。そのはじまりは、自分の手に、はじめてあの冷たい液体を振りかけたときの戦慄──なにかとんでもない間違いを犯しているような気がした。ひとは皆、生まれてくるときに母親から腸内細菌を受け継ぎ、そうして終生、菌にまみれていなければ片時も生きられないとも聞いていた。そうであれば、消毒によってウイルスをある程度排除することができるのだとしても、それは同時にみずからの免疫を危機に晒すことにもつながる諸刃の剣ではないか、なにも疫病だけが病気ではないのだ、と理に付いて、それでも先も今も分からない以上は賭けであったが、いずれも賭けであるならば、いつまで続くとも知れない日々を、この外から押し付けられた新しい様式に則って過ごすというのはとても耐えられそうにない、端的に私の身体には合わない、と最後は内なる声の方に付いて、消毒からは早々に手を引いた。私にとっては何事も、身体に合うかどうかということが大事だった。

 おびただしい数の菌たちが失われていく一方の世界で、いつからか私は、菌を育てたいとさえ思うようになっていた。またさいわいにも、こうした違和感を抱きはじめていたのは私ひとりだけではなかった。そこで有志をつのり、糠漬けに先立ってはじめたのが味噌づくりであった。ひとつには、当時も今も、味噌がなければ生きてはいけない身体であったということがある。一日二日でも味噌を欠かすと、どうも調子が狂うようで、お米に具だくさんの味噌汁を基本に据えて、納豆やお漬け物、そこに気分が乗れば一品添えるというような食生活を長らく続けていたことから、その生活の要となる味噌が、菌のはたらき、発酵による産物であるならば、これに手をつけないわけにはいかなかった。もうひとつには、菌や発酵について調べていたときに、手前味噌といえば昔はどの家庭でもつくったものだと話に聞いて、その頃のひとが今の状況を見たらどのように思うだろう、と気になった。おそらくは私と同じような違和感を、知識というよりは生活という足場から、もっと繊細に感じとったのではないか。たとえどのような事が起こったとしても、それに対峙しうる足場が彼らにはあって、私にはないのだとそこで思わされ、生活の変更を迫られる今だからこそ、せめて味噌くらいは自分でつくろうと思ったのだった。

 2020年4月22日、ちょうど初めて全国的に緊急事態宣言が発布された最中ではあったが、緊急といえばこちらこそ緊急であると、当時は田島にあった月白(*1)に、年齢も性別も様々なひとが集った。中でも、味噌をつくるうえで欠かせない常在菌にも優劣があり、とくに子どもの身体に棲む常在菌は味噌にとってはよくはたらくと聞いていたことから、店主の月さんに掛け合ってもらい、その頃月白でよく会っていた方と、その息子さんの、小学校にあがるかあがらないかの少年二人が来てくれたことはとてもありがたかった。

 まずは前日からたっぷりの水に浸しておいた大豆を茹ではじめる。その傍らで、麹は米と麦とを両方買ってきたものを塩と混ぜ合わせる。合わせ味噌にしたのは、味噌汁はもちろんのこと、そのまま食べてもディップのようにつけても美味しい味噌にしたいと思ったからだった。そうしてしばらくすると、大豆のぐつぐつとたぎる鍋から、豊穣な香りが店内に立ち込める。これほどまでにかんばしい香りを、私はついぞ嗅いだことがなかった。皆にも嗅ぐようすすめては、つど幸せそうにほころぶ顔を眺めた。ふと、これは出汁も美味しいのではないか、と灰汁あく取りついでにすすってみれば、これがまたたまらなく美味しかった。味噌にかぎらず、納豆も豆腐も醤油もすべてこれから成るというのに、私はだから大豆の子と言っても過言ではないのに、親知らずもこのうえなかった。

 茹であがりを見てから、出汁を切り、もちろん捨てずにすべて分け合って、大豆を袋にまとめたものから手分けして満遍なくつぶしていく。手がいいか、足で踏むか、とそれぞれの仕方を試すうちに、これがまた暖かいの柔らかいのでこちらのほうがほぐされて、この世の緊張に思いのほか固くなっていた自分にもそこではじめて気が付くようで、味噌づくりというのは、出来上がったものもさることながら、つくる過程から養生そのもののようだった。むらなくつぶせたところで袋から桶に大豆をうつして、手を洗い、といっても、せっかくの菌が死んでしまっては元も子もないからと、かるく水にゆすぐにとどめて、別で混ぜ合わせておいた麹と塩とをさらに混ぜ合わせる。いくつもの手が、その目には見えない常在菌をも含めて、大豆と塩と麹と一緒くたになっていく。つくづく味噌というのはよくできている、共同体の中では手のかかる一方に見える幼子の手が、その共同体の食の要となる味噌をつくることにおいては最も必要とされる、それは共同体の存続を願われた申し子の醸す、予祝のような時間ではなかったか。共同体と言うも虚しい今の世で、ここにいくつもの分断をつないで、味噌は仕舞いに団子となり、子がはしゃいでおもいきり甕に投げ入れるのへ、大人も子の面相となってそれに続く。そうして仕上げに、味噌が満たされた甕から順に、腐敗を防ぐための酒粕を味噌表面に隈なく塗り込み、重石をして、蓋をする。今日から数えて三ヶ月間、それぞれの生活の中で発酵を待ってみて、三ヶ月後にどうなったか、ここにまた持ち寄って品評会をしよう、と約束を交わしてその日は別れた。三ヶ月後はおろか、明日明後日も知れない世の中であった。

 こんなご時世ですけど、実はあまり、手も洗っていなくて、けど糠漬けが大丈夫なので、多分大丈夫なんだと思います、とためらいがちに語ったあるひとの、その実直さに胸をつかれた。味噌づくりの時に聞いたのか、あるいはもっと後のことだったか、今となってはもう思い出せないが、彼にとっては外から聞こえてくる情報よりも、毎日その手に触れる糠床こそが、自分の状態を量るなによりのものさしであって、もはや彼にとっては自分そのものでもあったのかも知れないその糠床の中から、彼は世間をも見据えていたのではなかったか。そのまなざしは、目には見えない小さなものにまでひらかれた、懐の深いまなざしだった。

阿部さんが庭へ向けた視線は、世界の調和を感じとる全体的な「注意」であって、 「集中」 ではない。 おそらくキャンバスに向かうときの視線も。集中は除外であるが、 注意は全的な自覚であって何ものをも除外しない。画家は、調和の感覚や、世界を「注意して」見る方法を、私たちに教えてくれる存在なのではと思う。それは「何ものをも除外しない」 ので、傲慢さ、無思慮、理不尽さなどと対極にあると思う。 そういったものの見方を示してくれる存在が、ますます必要な空気を感じます。(*2)

 と、味噌づくりがひと段落して、糠漬けにも手をかけはじめたちょうどその頃に、Twitterのタイムラインに流れてきたのは、2018年の4月に創元社から出版された『はじまりが見える世界の神話』という絵本に寄せて、その絵を描かれた画家の阿部海太さんが書かれたエッセイ(*3)についての、この絵本の編集を担当された内貴麻美さんによる紹介文であった。そのわずか二百数十文字の、一言一句が切に響いた。私が味噌づくりから糠漬けに至った過程はまさに、ある特定のウイルスへの集中から除外に至るのではなく、そのウイルスをも含めた目には見えない小さなものたちへと注意を惹かれていった末に、それらの存在なくしては片時も生きられない自分という自覚に至る過程であったから。

 そうして、当の内貴さんが先の紹介文を、具体的に除菌という菌の除外について、その傲慢さ、無思慮、理不尽さを思って書かれたのかどうかはわからないが、私はこの春からの一連のこころみにくわえてもうひとつの、さらにいくつもの春をつないでこころみ続けてきたことまでも、先の一言一句に呼びさまされるようだった。それは、「目ざましいものではなくてかすかなものを、他をしのぐものではなくて他がこぼすものを、あらしめるもの、またあらしめようと目ざすこころみ」(*4)を本懐に据えて、「雑草という名の草はない」という言葉からはじまる、『微花』という本のかたちをとったこころみであった。

 微花とは、はじめは自分なりの雑草の言い変えであった。雑草と呼ばれるものたちの多くは微かに咲いているか、もしくは見過ごしてしまうほどに微かであることからの、単純な造語だった。言い変えたいと思ったのは、昔から雑草という言葉がどうも苦手で、ざっ、という音が聞くに堪えなかったからだが、これは私ひとりにかぎったことなのだろうか。またその音の奥に、これらの種々の名など知らなくてよいという差別感情が含まれてはいないだろうか、あるいはこの音が言霊となって、ひとと草とを隔ててやまないのではないか、とある春の日に、ついに思い余って、それから雑草と呼ばれてひさしい植物をひとつひとつ名ざしては、つど写真に撮り、そうして本におさめるということを繰り返してきたものが『微花』であった。

 こうしたこころみの末に庭師となった今でも、草について知れば知るほどに、世界は草の存在なくしては成り立たないということが骨身に沁みて感じられ、庭師とは、ひとから庭と呼ばれて囲いをされた一帯のみを相手にする仕事ではなく、そうした世界全体の成り立ちにも関わる仕事であり、その目にうつる草たちが根を生やしている土の中──目には見えない、隠された自然の半分(*5)──に夥しく棲む小さなものたちのはたらきなくしては、草も世界も成り立たないという現実に立って見れば、除草も除菌もあらかたは、人間がその対象を知らないゆえに不安に恐れて、知らないままに殺してしまうという点で、同根ではないだろうか。糠漬けもまた、雑菌と呼ばれるものたちがいなければ、乳酸菌がつよくはたらいて酸っぱくなるばかりだと、ひとつ知るだけでも、雑草と呼ばれるものたちがそうであるように、雑菌もまたこの世界にはひつようなのだと分かる。否、雑草という名の草がないように、雑菌という名の菌もないと取るほうが、理に適っているのではないか。その理に付いて眺めれば、除草も除菌も、それらが環境破壊であるという仕方で人間破壊でもあるという点で、やはり同じ出来事ではないだろうか。簡単に何でも除くと言う、そのひとは一体、どこに立っているのか。

 糠床をこうしてかきまぜていると、床の奥の静まりから、目には見えない小さなものたちの呼吸づきが、香りとなって鼻腔をくすぐる。その香りに包まれながら、さらに呼吸づくようにと満遍なくかきまぜていると、このしっとりとした糠の感触が、どうかすると雨あがりの土に通じる。土の場と書いて土場にはというのが、庭の語源の諸説あるうちのひとつとされているようだが、糠床はそうすると、微生物を育てる庭のようにも思えてくる。それに触れるたびに体表の常在菌は育まれ、糠に漬かった美味しいものを食べるたびに、腸内細菌もまた育まれる。そうした小さなものたちからすれば、私たちもまた庭である。

 最近になって、パンデミック(pandemic)の語源が、pan(すべての)+demos(人々)というギリシャ語に由来するということを聞いたとき、この度のパンデミックは、文字通りすべての人々に脅威をもたらす感染症であったということもさることながら、またすべての人々が微視的なまなざしを持つようになった──見えるはずのないものを、拡大し、着色して、標的にする──、そうしたまなざしの、世界的な感染でもあったのではないか、ともうすぐこれも三年になろうとする今になって、その間にも言葉が発酵していたかのように感じられた。しかしそのまなざしは、阿部さんが庭に向けたまなざしに感じて内貴さんの書かれたこととは対極にある、傲慢で、無思慮で、理不尽な排除をともなう近視眼的な、あまりに近視眼的なまなざしでもあった。この度のパンデミックで、そうしたまなざしによる災いを、嫌というほどたくさん見てきた。社会は自然と対立してばかりであった。

 そうして、こうしたことが自然と人間の関係の現実であるならば、庭師の仕事もまたここを置いて他にはないのだと、見るに耐えない現実を、それでもしかと見つめていくと、あるいはここにこそ、すべてのひとが庭をつくりはじめる契機があるのではないか、と見えてくる。このパンデミックに際して、あらたにひらかれたと思われる微視的なまなざしが、集中に閉じるか注意に開かれるかはさだかでなくても、ふっと何かの拍子にでも、ウイルスひとつから微生物全体に目がうつり、そこから微生物をも含めた生物多様性の中に自分がいるということに目ざめることがあったとしても、驚くことではない。むしろ今だからこそ、それは大いにありうるのではないか。何も特別なことではない、日々の台所にも、その扉は開かれている。とそんなことを考えながら、私は今日も彼らを育み、また彼らに育まれている。こうして糠床に触れていると、それがわかる。

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*1 福岡にある、喫茶室と展示室(ときに本屋)からなるお店。https://tsukishiro-ametsuchi.com/

*2 編集者・内貴麻美さんのTweet
https://twitter.com/sogensha_n/status/1264178440204251136?s=21

*3 画家の阿部海太さんのエッセイ
https://t.co/jwLPLGYZnW

*4 黒田夏子の小説『感受体のおどり』の、つぎの一節を読んだとき、これから私はこういうことをして生きていくのだとさとって、一見植物の写真集のような微花(https://kasukamagazine.stores.jp/)のコンセプトにもこれを据えた。
「夏の休みのおわりの日,伸びた脚にうながされて川を越えた.道はくねり,のぼりおりし,せまいほうさびしいほうをついえらぶせいか行きどまっては引きかえすようなこともくりかえした.そんなあげくの目路のかぎりの草のそよぎを,ひらめく葉うらのほの白さのようなものを,まだ書いたことがなかったとかんがえた.目ざましいものではなくてかすかなものを,他をしのぐものではなくて他がこぼすものを,あらしめること,あらしめようと目ざすことが,私のおぼろな手さぐりの遠いこたえになりそうだとふいにさとった.」
——『感受体のおどり』(黒田夏子、文藝春秋、2013)87頁

*5 今回を書く上で参考にした『土と内臓』(デイビッド・モントゴメリー+アン・ビクレー、片岡夏実訳、築地書館、2016)の原題、「The Hidden Half of Nature」の和訳。この本を読めば、人間の健康と土壌の健康は、ともに微生物によって成り立っていることがよく分かる。来るべき庭師にとって必読の書。

◎プロフィール
石躍凌摩(いしやく・りょうま)
1993年、大阪生まれ。
2022年、福岡に移り住み、庭師として独立。
共著に『微花』(私家版)。

Instagram: @ryomaishiyaku
Twitter: @rm1489
note: https://note.com/ryomaishiyaku

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第1回 はじめに
第2回 私という庭師のつくりかた
第3回 うつわのような庭
第4回 胡桃の中の世界
第5回 鳥になった庭師
第6回 健康の企て