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推し、出ずる頃。✿第12回|実咲

3月31日放送の「光る君へ」第13話では残念ながら、行成ゆきなりの出番はありませんでした。
この正暦しょうりゃく元年(990年)の時点での行成は19歳。前年に源泰清やすきよの娘と結婚をしています。
また20歳頃から行成の日記である『ごん』の写本が現存しており、そろそろ表舞台への登場の前段階といったところです。

第13話では、道長の父兼家かねいえの死期が迫っているようでした。
長男の道隆みちたかは、いよいよ自分へ権力が回ってくることを予感し、次男の道兼は自分こそ次の関白をと狙っています。
兼家の視界がぼやけるような演出がありましたが、これは糖尿病による網膜症の症状を表しているものだと思われます。
道長や道隆も後に糖尿病と思われる症状で亡くなっており、どうやら遺伝的な要因があった模様。
道長にいたってはしっかり自分の症状を『どう関白かんぱく』に記載していて糖尿病だとわかってしまうので、第15回国際糖尿病会議が日本で開催された際に記念切手になってしまいました。

没後千年近い1994年、第15回国際糖尿病会議記念切手と化した藤原道長
(「日本郵便趣味協会」ウェブサイトより引用)
http://www.yuubinsyumi.com/shop/image_view.html?image=000000001765.jpg

さて兼家は、「光る君へ」の物語中で、どこか政治や出世に他人事な少年時代の道長に対して、父親の自分も同じく三男だったのだからお前ももっと頑張るようにと、発破をかけています 。
兼家の父(道長の祖父)は藤原師輔もろすけという右大臣になった人。
そして、兼家の上に伊尹これただ兼通かねみちという兄がいました。
そして、兼通と兼家の間に安子という兄弟がいます。
伊尹は行成の祖父で、道長から見ると行成は従兄弟の子供にあたります。
また、今回は割愛しますがF4仲間の斉信も、師輔の九男為光(兼家達とは母親が違う)の息子なので、道長とは従兄弟です。

長男:伊尹これただ…行成の祖父
次男:兼通かねみち
長女:安子やすこ村上むらかみ天皇中宮、冷泉れいぜい天皇・花山天皇の母
三男:兼家…道長の父

この男三兄弟は長男伊尹と三男兼家が近しく、次兄兼通と兼家は確執がありました。
後に道長の妻となった源明子あきこの父、源高明たかあきらを左遷に追い込んだ安和あんなの変は、兼家が一枚嚙んでいるという説があります。
これは兼家が伊尹の引き立てにより兄である兼通より官位が上回っており、安和の変での働きによるものではないかと考えられてるためです。

伊尹の目が黒いうちであれば、その兄弟の争いが表面化することはなかったのかもしれません。
しかし、摂政である伊尹は重病になり辞表を提出して亡くなります(こちらも糖尿病の模様)。
さて、となれば次の後継を決めなくてはならなくなりました。
ちなみに、この祖父伊尹が亡くなった年に、誕生日は不明ですが行成が誕生しています。

そこで候補だった兼通と兼家という二人の兄弟は、なんと円融えんゆう天皇の目の前で大喧嘩。
最終的に兼通が、二人の兄弟である円融天皇の母安子やすこの遺言状を持ち出します。
すると、そこには「摂政関白は兄弟の順番に」と書いてあるではありませんか。
円融天皇の本心は別のところにあったようですが、亡き母の遺言なら仕方ないと兼通が関白になりました。
いや、そんな都合よく遺言状なんてあるものなのか、と思わないでもないですが、これは『おおかがみ』に書かれている出来事です。
そしてこの「兄弟の順に」という先例は後々また別の意味を持つようになります。
今後の「光る君へ」を見る際に、記憶の片隅にとどめておいてください!

そして、兄弟の確執はこの後も根深く続きます。
兼家の昇進を阻んだり、入内じゅだい(天皇と娘を結婚させること)をめぐり争ったり、「できることなら九州(大宰府)に左遷してやりたい」と兼通が言うほどでした。
兄弟間の争いは、時に他人よりも根が深く骨肉の争いになるというのは、昔も今も変わらないのかもしれません。

しかし、兼通の天下は長くは続きません。兼通は病に倒れ、先は長くないと悟ります。
そこへ、兼家の屋敷から牛車が向かってくるという一報を受けました。
「おっ、さすがの憎たらしい弟も危篤の兄の見舞いにはやって来るのだな」
と身の回りを片付け待っていた兼通。
しかし、なんと兼家の牛車は兼通の家の前を素通り!!
いよいよ兼通が死ぬならもう用済み、礼儀を尽くす必要はなしと言わんばかりです。
兼家は抜け目なく次の関白に自分を選ぶようにと円融天皇に頼むため、参内(宮中に参上すること)しようとしていたのです。

当然ながら、この無礼な振る舞いに激怒した兼通は、うかうか寝ている場合ではありません。
今にも死にそうだというのに、病身を引きずって他の人に脇を支えられながらこちらも参内。
円融天皇のところになんとかたどり着くと、兼家だけは絶対に後任にしないで欲しいとまさに死んでも死にきれない必死の嘆願。
さらには、最後の力を振り絞り、兼家の右近衛大将うこのえたいしょうの職を剥奪して治部卿じぶきょう(戸籍や僧尼・仏事、雅楽や山陵の管理などを司る役所の長官)へ降格までさせます。
円融天皇だけでなく、その場にいた他の貴族たちもあまりの剣幕に何も言えなかったのです。
死ぬ間際にやることが弟への復讐だなんて、なんともすさまじく恐ろしい兄弟喧嘩です。

兼家への復讐を果たしたその直後に兼通は亡くなり、後任の関白になったのは藤原頼忠よりただ
ある意味火中の栗を拾わされたというか、巻き込まれたとも言うべきか……。
頼忠は兼家にとっては従兄弟にあたり、公任の父でもあります。(道長と公任ははとこ)
そして頼忠は第11話で辞任するまで関白を勤めており、兼家がやっと摂政になるのはその後のことです。
「光る君へ」では第12話と第13話の間で亡くなっており、ついに公任は最大の後ろ盾を失ったことになります。
「光る君へ」では兼家は得体のしれない権力者のようですが、実は頂点にたどり着くまでにとっても遠回りをしていたことになります。
そしてなんとか摂政になったその頃には、いよいよ迫りくる寿命。
やはり、人の恨みはかいたくないものですね。
ここまで随分と苦難の道ではありましたが、もうきっと、これは第14話までの命でしょう……。

あっちが従兄弟であっちが甥で、と相変わらずややこしい血縁関係の多重事故はこれからも続いていきます。
登場人物がとにかくだいたい親戚なのは、平安時代の宿命です。
案外近い血縁である道長、行成、公任、斉信の運命の物語は、実は彼らが産まれるもっと前から続いていたのでした……。



(おまけ)
番外編で紹介させていただきました大和文華館で開催されている「文字を愛でる ―経典・文学・手紙から―」へ行ってきました!
お目当ての行成(かもしれない)書を一目見ようと足を運んだ次第ですが、まさかの全て撮影自由!!
三蹟と名高い行成(かもしれない)書は、やはりいつ見ても美しいものでした。
念入りに四方八方から眺め、写真に納めてきました!!
公任が選んだ三十六歌仙の屏風も展示されており、ご縁を感じてこちらもじっくり鑑賞してきました。

著者撮影

会期は間もなく終了ですが、週末のご予定をお考えの方はぜひご一考ください。
他にも戦国武将の手紙なども多数展示されており、大変興味深い展覧会でした。
個人的には、 安珍あんちん清姫きよひめ伝説を描いた『道成寺縁起どうじょうじえんぎ絵巻』が「龍っぽい蛇」というよりあからさまに龍だったことが気になっています……。

書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。