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3│ラテとソフトクリーム

寿ジュから如翺ジョコウ先生へ

◇    スタバで「お茶」


「お茶にしましょう」

 先生がスタバのドリップコーヒーで「お茶して」いらっしゃる姿を思い浮かべた私は、つい最近、私も同じように言って娘とスタバに入った時のことを思い出していました。
 
抹茶まっちゃラテ、ふたつ」
 娘がカウンターでそう言うと、お店の方に、
「抹茶ティーラテ、ふたつですね」
と言い直されたそうなのです。
 テーブルに戻ってそう報告する娘に、私は思わず反論していました。
「抹茶ラテ、でしょ。抹茶ティーラテじゃ、まるで、頭痛が痛いとか、馬から落馬とか、アメリカに渡米とか、サハラ砂漠とか、チゲ鍋とかと同じじゃない」
 まぁ、娘を責めても詮無せんないことで、あらためてメニューを見ましたら、堂々と、
 
「抹茶ティーラテ」
 
とあります。ちなみに、ほうじ茶のほうも「ほうじ茶ラテ」ではなく「ほうじ茶ティーラテ」。
 
 そもそもスターバックスは、アメリカ合衆国の喫茶店チェーンでした。そんなことも忘れるくらい、私たちの日常生活に溶け込んでいるスタバですが、アメリカの店だったと思い出したとたん、「謎」も解けました。念のため、手元のスマホで本国のサイトのメニューを確認しますと、ありました。
 
 Matcha Tea Latte
 
 日本のメニューは本家の直訳というわけです。
 
 ちなみに、同じくスタバのメニューにある「チャイティー」ですが、おそらく、インドやトルコの方なら、私が感じたのと同じ「違和感」を覚えるのではないでしょうか。
 日本の本格カレー店のメニューでは、「チャイ」はあっても「チャイティー」は見たためしがありません。
 しかしスタバでは「チャイティー」「チャイティーラテ」。あくまでもアメリカ標準です。
 
 ともあれ、スタバの「抹茶ティー」は、どうやら、金閣寺きんかくじをKinkakuji templeと呼ぶのと同じく、英語感覚では安定の表現であって、ツッコミどころではなかったようです。
 なるほど、いくらchaとteaが同義だからと言ってMat Teaではすわりが悪すぎます。
 すでにMatchaは分解しがたい一つの言葉だったのです。
 
 そこで、理屈っぽい母娘は、音無しく、美味しく「抹茶ティーラテ」をいただいたのでした。
 

◇  宇治でソフトクリーム

 抹茶とほうじ茶ラテからの連想で、次に思い起しましたのが数年前の宇治での体験です。
 宇治出身の地元愛あふれる友人が、香港人の友人と東京人の私に、ぜひ「ほんまもんの宇治」を体験させたい、と言って、強く推したのが、「ほうじ茶ソフトクリーム」でした。
 いわく、
「抹茶ソフトクリームは、日本中の観光地、どこにでもある。
でも、本当に美味しいほうじ茶ソフトは宇治にしかない。
ぜひ、抹茶じゃなく、ほうじ茶のほうを!」
と。
 彼女の勧めにしたがい、私は、ほうじ茶ソフトを選んで大満足だったのですが、香港人の彼女の方は、
「NO!」
絶対に抹茶にすると言ってゆずりませんでした。
 宇治の人は落胆しつつも「次回は絶対ほうじ茶にして」と、なおも念を押していましたが、確かに、周りを見ますと、外国人観光客のほとんどは、緑色のソフトクリームを手にした記念のbig smile をスマホ画像におさめています。
 どうも、彼らにとって「京都の宇治で抹茶ソフトクリームを食べる」ことは、日本人が「天橋立でまたのぞきをする」ことと、ほぼ同じ、「お約束」であるらしいのです。
 
 そういうわけで、如翺先生の《「純日本」イメージ》ワークショップに、もし彼女たちを招くとしたら、まず、Matchaの画像が上位ランクインすることは確実かと思われます。
 それが果たして「和装の麗人のてる茶」なのか、宇治橋を背景にした「ソフトクリーム」なのかは、さておき、ですが、少なくとも、ほうじ茶ではNGらしいのです。


◇「丁寧ていねいな暮らし」

 私たち日本人にとって、抹茶が茶道という神聖な「非日常」の茶であるのに対し、煎茶せんちゃは「日常茶飯」の茶であり、茶の間に、急須と湯呑茶碗はつきもの
……でした。
 が、それも、もはや遠い昭和の頃のこと。
 日本人が急須で茶葉をれることがめっきり少なくなったことは、残念ながら、私たち自身がよく知っていることです。
 
 令和5年12月の農林水産省『茶をめぐる情勢』(*1)によれば、煎茶むけのリーフ茶の国内生産は減少しているのに対し、抹茶むけの碾茶てんちゃの生産量は逆に増加しています。
 茶道人口は減少し続けておりますので、この増加は明らかに外需によるものです。
 おそらく、そのMatchaは、必ずしも丁寧に「点てる」ものではなく、「混ぜる」ものであったり「食べる」ものであったりもするのでしょう。
 
 国際舞台で活躍中のMatchaに対し、いささか旗色の悪い煎茶ですが、近年「丁寧な暮らし」というコンセプトの中で、急須で茶葉からお茶を淹れ、お気に入りの茶碗で飲む、といった、いわば「てま・ひま」そのものを重視するライフスタイルが登場したことは、興味深い現象ではないかと思っています。
「丁寧な暮らし」は、一時期アンチも多数登場するほどのブームとなりましたが、昨今それもやや落ち着き、一つの価値観として定着したように見受けられます。
 
 さらに面白いことには、中国人の友人の一人が、「丁寧な暮らし」こそが、とても「日本的」だと言っていることです。
 急須で茶葉を淹れる喫茶様式は、そもそも江戸時代に中国から入ったスタイルですが、本家本元の中国の方からの「日本的」という指摘はとても気になるところです。
 彼女にも《日本イメージ》ワークショップに、ぜひ参加していただかねば、と思うのですが、いかがでしょうか?

寿 拝

如翺 先生

追伸:《日本イメージ》ワークショップの画像集の中には、ぜひ、伊藤いとう若冲じゃくちゅうの「月夜芭蕉図」(*2)も入れて頂きたいと思います。
 
 


■注
*1 この『茶をめぐる情勢』によれば、健康志向や日本食への関心の高まりを背景に、海外での抹茶を含む粉末茶の需要が拡大し、令和4年の緑茶の輸出額は219億円で過去最高額となった。
*2 江戸中期の画家・伊藤若冲(1716-1800)の手になる鹿苑寺大書院旧障壁画。重要文化財。宝暦9(1759)年 紙本墨画。相国寺承天閣美術館に常設展示されている。


《筆者》
如翺(ジョコウ) 先生
中の人:一茶庵嫡承 佃 梓央(つくだ・しおう)。
父である一茶庵宗家、佃一輝に師事。号、如翺。
江戸後期以来、文人趣味の煎茶の世界を伝える一茶庵の若き嫡承。
文人茶の伝統を継承しつつ、意欲的に新たなアートとしての文会を創造中。
関西大学非常勤講師、朝日カルチャーセンター講師。

寿(ジュ)
中の人:佐藤 八寿子 (さとう・やすこ)。
万里の道をめざせども、足遅く腰痛く妄想多く迷走中。
寿は『荘子』「寿則多辱 いのちひさしければすなわちはじおおし」の寿。
単著『ミッションスクール』中公新書、共著『ひとびとの精神史1』岩波書店、共訳書『ナショナリズムとセクシュアリティ』ちくま学芸文庫、等。

《イラストレーター》
久保沙絵子(くぼ・さえこ)
大阪在住の画家・イラストレーター。
主に風景の線画を制作している。 制作においてモットーにしていることは、下描きしない事とフリーハンドで描く事。 日々の肩凝り改善のために、ぶら下がり健康器の購入を長年検討している。
【Instagram】 @saeco2525
【X】@ k_saeko__