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大切な人の自死とグリーフをめぐる語り合い――wish you were hereの対話を通して|第2回 墓参りで母に語りかける習慣

0歳のときに自死で母親を亡くした筆者が、小学生のときに母を自死で亡くした友人とともに、自死遺族や大切な存在を自死で失った人たちとSNS等で繋がって対話をする活動と、それぞれの率直な思いを話し、受け止め合う音声配信を、約2年間続けてきました。10人のゲストの人たちとの、自死にまつわるテーマでの話しあいや、聞いてくれた方からのメッセージからの気づきと、筆者自身の身近な人の自死の捉え方や心境の変化、グリーフについての学び、大切な人を亡くした人たちへのメッセージを綴ります。

※この連載では、遺族の立場から、自死・自殺についての話をします。それに関連するトラウマ的な体験をしたことがある人や、死にまつわる話が苦手な方などは、読んで辛くなることもあるかもしれませんので、お気をつけください。
※月1回更新

母の自殺のことを家族から聞かされてから長い間、そのことをほとんど家族以外の人には話せなかった。自殺というできごとは、当時の記憶が残っていなくても重く苦しいものだった。

日々の生活のなかで、辛い出来事が起きて気分が落ち込んだときに、母の自殺のことを連想する癖がついていた。頻繁に落ち込んでしまい、気分が不安定なのは遺伝なのだろうと思っていたし、苦しいときに支えてほしい存在が、ずっと昔に自分を置いてこの世を去ってしまっていて、しかもその理由が自分自身のせいだったと思うと憂鬱だった。自殺の話はあまり人に言ってはいけないと思っていたから、そんな気持ちを誰かに話す気にもなれなかった。だからその思考パターンはしばらく変わることなく、辛いことがあるたびに、似た思いが何度も頭に浮かんだ。

それでも、生きていると、少しずつ考え方が変わっていった。

1つめの転機は、2010年、高校3年生のときの倫理の授業で書いた作文だった。僕が授業を受けていた倫理の先生は、定期テストの一部を作文課題にしていた。毎回変わる多様なテーマについて、事前に配布資料を読んで、正解のない問いに対する意見を論じるというものだ。再生医療とか、着床前診断とか、環境問題についてどう考えるかなど、難しいテーマが出されて、高校生が自分の意見を書いていた。
あるとき、「自殺」が作文のテーマになった。僧侶の方が書かれた、少年と老師が生や死について夜に対話を重ねる本『老師と少年』(南直哉著、新潮社)のなかの自殺に関する章を読み、自殺について論じなさいという課題だった。「母が過去に自殺をしているからこのテーマで冷静に作文を書くのは自分には難しい」と正直に書いたら、それを読んだ先生が後日話を聞きに来てくれてじっくり自分の気持ちを聞いてくれたあと、匿名で公表してもいいかと尋ねた。倫理のテストで生徒が書いた作文のうちいくつかが他の生徒にも公開されるのが通例だった。先生に受け止めてもらったことで少し心が軽くなったのと同時に、語ることで、他の人がこの問題を考える材料にもなりうるのだと思えた。

2つめの転機は、高校卒業後に、浪人をしていたときのことだった。高校時代のクラスメイトが亡くなったと聞いて、お通夜に行った。就職をして数か月で亡くなったらしい。仕事が辛かったようだ。彼のお母さんは、自ら命を絶つことを決めた経緯が書かれた遺書を読んだあと、「この子の意思を尊重しないといけない」と、涙をこらえながら話していた。
自殺をした人の意思を尊重する…。その言葉に僕ははっとした。それまで、自殺に対して悪いイメージしか持っていなかった僕は、自分の母が選んだ道を尊重しようだなんて、一度たりとも思ったことがなかった。なのに、友人のお母さんは、その死に直面してまだ間もないうちから、息子の選択を尊重することを自分に言い聞かせていた。僕はその姿に心を動かされていた。実際には、自分で選んだ行為ではなく、追い込まれた末の死かもしれない。本人のなかに、もし違う選択肢があったなら、違う環境に逃れて生きのびたかったのかもしれない。だけど、たとえそうだとしても、自死という行為をその人のものとして尊重しようとする姿勢に、その人の人生を、その人のものとして捉えようとする、敬意のようなものを感じた。それがたとえ、自分が生み育てた息子だとしても。

その翌年、僕は臨床心理学が学べる大学に入学した。自死をした母以外にも精神疾患を患う家族がいたから、心を病む人の話を聞いて助けられるような仕事をしたいと思い、カウンセリングを学ぼうとしていた。その学部で偶然、対話の活動につながる出会いがあるのだけれど、その話は次回書こうと思う。

まだ臨床心理学の専門の授業が始まっていない一回生の頃、二十歳の誕生日を迎えた秋に思い立って、自分の誕生月に墓参りをした。「誕生日は、自分を生んでくれた人に感謝の思いを届けよう」というフレーズをどこかで目にしたのがきっかけだった。母の日もそうだけど、「母親に感謝しよう」というメッセージを見るたびに、僕はいつも心が少し荒んでいた。母親がいない人のことを無視している気がして、暴力的なメッセージにさえ思えた。“母の日”の起源が実は、アンナ・ジャービスというアメリカ人女性が、亡くなった自分の母親や、その他のすべての母親をたたえるために開いた式典で、カーネーションを参列者に配ったことだったと知ったのは、ずっとあとのことだった。
当時の僕は、なかばやけになって「自分の母は死んで墓にいるんだから、感謝を伝えたいなら墓参りでもすればいいんだろう」と、休みの日に電車で一人お墓に向かった。一人で墓参りをするのはそれが初めてだった。

その日お墓の掃除をしてから母に伝えたのは、お母さんが死んだあとで家族が大変だったということ、生きていてほしかったという恨み、そして、「大学に入ってようやくこの世界が、生きるに値するものだと思えるようになった」という心境の報告だった。大学入学とともに一人暮らしをするようになり、いろいろと大変だった家族と物理的に少し距離をとれたことで、それまでより気持ちが少し楽になっていたのだ。そして最後に、申し訳程度に「生んでくれてありがとう」と心のなかで伝えた。
感謝というよりも、恨みつらみを吐き出しに来たような墓参りではあったけれど、手を合わせて母に向かって何かを伝えるのは、生後半年以降、母とコミュニケーションをとったことのなかった自分にとって、大事な時間だった。空想上の母親を頭に思い浮かべて、言いたいことを言って、勝手に受け止めてもらった気分になる。今思えば、ずいぶん自分勝手な墓参りだ。

手を合わせて目をつむり、死者を包容力のある存在だと勝手にみなして、頭のなかで話を聞いてもらう、脳内セルフカウンセリングのような墓参りは、妙に心地よくて癖になった。なぜか心が整うのだ。それ以降、母が亡くなった春と、自分の誕生日のある秋の年二回、一人で墓参りをするようになった。
行くたびに、家族や自分の近況報告をしてから、素直な思いを心のなかで伝えた。なんで死んだのかと怒りを向けた日もあった。そういった感情もすべて、グリーフと呼ばれる自然なもので、一人で行くお墓参りをすることが自分にとって、大切なグリーフワークになっていたのだと、数年後に、グリーフケアを学ぶようになってから気付いた。

大学時代、「コウノドリ」という漫画に夢中になっていた時期があった。テレビドラマ化もされていて、ジャズピアニストでもある産科医が、出産や周産期医療の現場で起きる様々な困難な状況に対応していくストーリーだ。この漫画を読んでいてふと気付いたことがあった。たとえ生まれたあとで母親にあまり育てられていないとしても、自分を置いて逝かれたとしても、母親のおなかの中で、生まれるまでは守ってもらっていたということだ。そのことに気づいてから、墓参りの最後に伝える感謝の言葉、「生んでくれてありがとう」は、実感のこもったものになっていった。しんどいことが多い10代を過ごしていたけれど、年を重ねるごとに少しずつ、楽しいことや、生きていて良かったと思えることも増えていった。
生きていないと体験できなかった喜びが1つでもあるのなら、生まれたことはたぶんラッキーなんだと思う。ありがたいことに、辛い記憶もたいてい時間が経てば薄れていくし、何年たっても忘れられないトラウマになるようなできごとさえも、解釈の仕方を変えていけることもある。何も経験しないより、何か1つでも喜びを感じられる人生なら、人生があった方がいいと僕は思っている。たとえその数倍、しんどい経験をしたとしても。年を重ねるうちに、そう思うようになった。そしてそれは、終わり方が自殺の場合だって同じだ。自殺で亡くなった人の人生だって、不幸とは限らない。死ぬ前に強い苦しみを感じていたとしても、それ以前に楽しい時間もたくさんあったのだ。

自殺のような重いテーマであっても、誰かと語ることは、過去を捉え直すうえでとても役立った。大学を卒業して数年がたったあと、wish you were hereという活動を通して、いろいろな人と自死・自殺についての話をするようになって、母の自死についての考え方が変化していった。

次回からはその活動について書いていこうと思う。

【著者プロフィール】
森本康平
1992年生まれ。0歳のときに母親を自殺で亡くす。京都大学で臨床心理学を専攻後、デンマークに留学し社会福祉を学んだのち、帰国後は奈良県内の社会福祉法人で障害のある人の生活支援に従事。その傍ら、2021年の冬、自死遺族の友人が始めた、大切な人を自死で亡くした人とSNS等で繋がって話をする活動に参加し、自死やグリーフにまつわる話題を扱う番組“wish you were hereの対話”をstand.fmで始める。これまでに家族や親友の自死を経験した人、僧侶の方、精神障害を抱える方の支援者など、約10名のゲストとの対話を配信。一般社団法人リヴオンにて、”大切な人を亡くした若者のつどいば”のスタッフとしても活動。趣味はウクレレと図書館めぐり。
“wish you were hereの対話”
https://lit.link/wishyouwerehere