星の味 ☆14 “世界という魔法”|徳井いつこ
エミリー・ディキンソンの詩を読むたびに、“エミリー・ディキンソン”だけでできている、という当たり前のことに驚く。
当たり前、ではないはずだ。言葉は私たちの共有財産で、より一般的なものを多く伝達するようにできているのだから。
彼女の詩はすみからすみまで、どこを切っても“彼女”だけでしかできてない。「純正」という言葉が、これほどぴったりな詩人もいないだろう。
自分自身という所有品のなんと
適切にみごとなこと。自分が
自分自身への発見に向かう
他の誰も見出せないものだもの
魂は宿命づけられているようなの
自分へ向かう冒険をするように
本性という猟犬を 一頭従えて
自分の中の世界へ わたしは旅をする
文字どおりその冒険を一生賭けてやりおおせたのだということは、彼女の詩という詩が証している。
あのひとは珠玉のことばを咀嚼しました
その心はたくましく育ちました
あのひとはもはや自分が貧しいことも
からだが塵であることも忘れていました
あのひとは薄汚れた日々を踊りつづけました
そしてこの天使の翼のかたみが
たった一冊の本でした なんという自由を
心の飛翔がもたらすことでしょうか
「あのひと」とは詩人その人、「天使の翼のかたみ」は詩のように感じられる。
エミリーは詩を書くことを “sing” と呼んでいたが、さまざまに「心の飛翔」が歌われた。
歓喜とは出て行くこと
内陸の魂が大海へと、
家々を過ぎ――岬を過ぎ――
永遠の中へと深く――
わたしたちのように、山に囲まれて育ったなら、
舟乗りにも分かるでしょうか、
陸地から一里沖へ出た時の
この世ならぬ恍惚が?
「出て行く」とは、外界に赴くことではない。内界の海に乗り出して行くことだった。そのとき、自然界の小さなものたちは、無限の可能性を秘めた存在になる。
やわらかに 海が家の周囲を洗っている
夏の風の波の海が――
風の波頭に 魔法の木の舟が
乗って 沈んで
気ままな進みようの舟の
船長は蝶々で
舵手はミツバチで
喜ぶ乗組員は
この宇宙の全員!
魔法の舟には、人間も乗り合わせているだろう。エミリーはもちろん、喜ぶ乗組員のひとりになる。
分かっている、あの方がちゃんといらっしゃることは。
どこかに――息をひそめて――
あの方はたぐい稀ないのちをかくしたの
わたしたちの下卑た眼から。
つかの間の遊びなのよね。
たわいない待ち伏せごっこね――
ただ至福の喜びに
驚きを加えるための!
エミリーの言葉がかるがると羽が生えたようになるのは、至福の喜びに驚きが加わるせいだ。
金色に燃え上がり紫に沈み
豹のように空に跳び
それから昔ながらの地平線の足もとに
斑点のついた顔を横たえて死に備え
かわうその家の窓まで低く身をかがめ
屋根に手をのばし納屋を色に染め
牧場に向けて帽子で投げキスをし
一日の魔術師は行ってしまった
夕焼けを「魔術師」と呼ぶエミリーは、「魔法」についてこんな言葉を書きつける。
魔法は 歴史的に決着していないけれど
歴史もわたしも
必要な魔法ならすべて見つけている
身のまわりに 毎日でも
エミリー・ディキンソンは1830年、マサチューセッツ州アマストに生まれた。いまではアメリカ最高の女性詩人として広く認められている彼女だが、生前に発表されたのは10篇だけ、それも匿名で本人の納得する形ではなかった。
55歳で病死した後、いっしょに暮らしていた妹が、箪笥の抽き出しから40個の小さな手縫いの袋にしまわれた900篇余りの詩と、包装紙の裏や新聞の欄外に走り書きされた詩片の束を発見し、初めて詩集として出版したのだった。
エミリーの祖父はアマスト・カレッジの創立者で、父は州議員や国会議員も務めた地元の名士。堂々とした煉瓦造りの館の主であり、弁護士の兄が暮らす隣地の家“エヴァーグリーンズ”には、エマーソンはじめ名だたる文化人が訪れた。
家の栄光と対照をなすように、エミリーは社会から隠遁して暮らした。終生独身で、30代になったころから、いつも白いドレスに身を包み、実家の館に引きこもったまま一歩も外出せず、親しい人にさえ会おうとしなかった。町の人々は、たまに庭を横切る姿を見かけるだけの彼女を、「謎の女性」「伝説の人」と呼んでいたらしい。
エミリーは生涯に1800篇近い詩を書いたが、公表しようとした形跡はほぼない。唯一の例外は、編集者で文芸批評家のヒギンソン氏だった。詩4篇を同封した手紙を書き、「私の詩が生きているかどうかお教え願えないでしょうか」と問いかけたのだ。
長い文通のあと、アマストの家を訪ねたヒギンソン氏は、初めて会ったエミリーをこんなふうに描写している。
「滑るようにほとんど音も立てずに、飾り気のない、はにかんだような小柄な人物が入ってきた。その顔立ちは何ひとつ人目を引きはしなかったが、目だけは彼女自身の言葉に従えば“お客がグラスに飲み残したシェリー酒のよう”であり、赤みがかった栗色の髪はすんなりと二つに束ねられていた。(中略)二本の甘草を手にして私に近づき、子供のようにあどけない仕草で私に手渡しながら、彼女はやさしく小さな声で“これは私の自己紹介です”とささやいた。」
ヒギンソン氏は彼女の詩の独自性に驚きつつ、正確でない韻律やダッシュの多用、句読点の不統一など風変わりな表記法に肯定的な評価を与えなかった。彼が出版について難色を示したことは、エミリーの心に深い断念を植えつけたという。
すべてを失ったことが
小さなものを失わないようにさせてくれた
たとえば世界がひとつ
ヒンジから外れたり
太陽が消えうせる
ほどの出来事でないかぎり
好奇心から私が仕事をやめて
頭を上げるほど大きくはない
詩を書くことは、社会的に「誰でもない人」として生きたエミリーの、ひそかな大事な「仕事」であり続けた。
鉱物のような硬質と透明。具象と抽象、ミクロコスモスとマクロコスモスの素早い転換。大胆な自己表明とスタイルの実験。
エミリー的なるものはこうして、外から手を加えられることなく、そっくりそのまま、私たちに届けられることになったのだ。
これは一度も手紙をくれたことのない
世間のひとびとに送るわたしの手紙です
優しくおごそかに
自然が語った素朴な便りです
わたしが見ることのできない手に
自然の言葉を委ねます
なつかしい国の皆さん――自然のためにも
わたしをやさしく裁いて下さい
1886年5月、エミリー・ディキンソンは、持病の腎臓疾患の悪化により意識を失い、息を引き取った。
葬儀にはヒギンソン氏が出席し、彼女の愛誦していたエミリー・ブロンテの詩「わたしの魂は怯懦ではない」*を朗読したという。
エミリーが普段着ていた白いドレスは注文仕立てで、大きなポケットがついていた。パンを焼いたり、家事の合間に、包み紙や封筒の蓋に走り書きをしたのだろう。ポケットはいつも紙片でいっぱいだった。
のちに詩集におさめられたこの6行も、小さな三角形(封筒の蓋)に書きつけられていた。
この短い人生
たったひとときにすぎぬもの
どれほど多くのものが、どれほど
ささやかなものが、託されているのか
わたしたちの内なる
力に
*印の詩は、第13回「星の味」エミリー・ブロンテに登場します。
よかったらご覧ください。