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【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第5回|鳥になった庭師|石躍凌摩

庭師としての日々の実践と思索の只中から、この世界とそこで生きる人間への新しい視点を切り開いていくエッセイ。二十四節気に合わせて、月に2回更新します。

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第5回|鳥になった庭師


 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだと、ここに来るまでにいくつもの炎天下を庭で過ごしてきたその末の、秋の彼岸の風に吹かれながら、もうだいぶ涼しくなったな、と同じように炎天下の庭仕事をいくつも経てきたであろう庭師の西田(*1)がつぶやくのを聞いて、この身のほどける思いがした。帰阪の折り、明日は福岡へ戻るという旅の締めくくりに、来月開店予定のとある飲食店の庭の手入れに来ないか、と西田に呼ばれていて行ったこの日の、日ざしはつよいといっても彼岸なりで、風は吹くたびに涼しく、陰に佇めばなおさらに、喉の渇きも発汗もなだらかであった。これでもまだ、ひとによっては暑いのだろう。たとえば一日たいてい家の内にいるか、そこからまた気温調整の効いた屋内までの行き来を暮らすひとにとってみれば。あるいはもうじき三十路にかかる私よりも、ひと回りふた回り先を往くひとたちの、昔はこうまで暑くはなかったと、その生涯に照らして嘆息する姿なら一度ならず見てきたものだ。思えばこの夏は、身に覚えのない危機を感じるほどに暑かった。残暑はいまだ厳しく、昼間は三十度にもなりますので、お出かけには十分お気をつけください、とこの日の予報は告げていた。

 西田とは、以前に勤めていた大阪の造園会社でともに働いた庭師の先輩であり、元をたどれば微花(*2)の共同制作者でもある。微花を制作する以前は私と同様、植物を知らない二十数年を過ごした。それから季刊誌として春に微花を創刊し、夏を刊行した辺りでようやく植物に目ざめたかと思うと、にわかに取り憑かれでもしたように、秋にはヒメムカシヨモギとオオアレチノギクという一見同然の植物を、その毛の有無で見分けるようにまでなっていて、冬にはもう植物に触れる仕事がしたい、庭師がいいかもしれない、と語っていた。それから時を置いて大阪の造園会社に勤めはじめたところへ、数年後、私も入社することになった。そうして今年に入ってからともに庭師として独立し、大阪と福岡と所を離れて仕事をしてきた末に、このたび神戸の庭で相見えたというわけだ。

 神戸市会下えげやまの見晴らしのきく高台の、戦前に建てられた立派な古民家の周囲をぐるりと庭が囲んでいる。植わっている木の様相からして、庭も相応の年月を経てきたと思われる。その木のいくつかを午前に抜根し、昼からは二手に別れて剪定に入った。私は刈り込まれていた山茶さざんの枝葉をひらき、とめどなく増えて押し詰まるようだった南天を整えてから、庭の奥にあった大きな梅に手をかけた。これがその日、最も難儀であった。梅は奔放なあまりに自身の枝と枝をねじるようにして絡みついており、それを慎重にほどくように剪定した後、枝先には藪枯らしが鬱蒼と天蓋をなしていたのを、その根元まで辿ってから引き千切るということを何度も繰り返していたとき、ふいに耳元で轟音がして、見るとスズメバチだった。とっさにしゃがみ込んで様子をうかがうと、梅よりさらに上空に枝葉を茂らせる樫にまで絡みついていた藪枯らしの、花の蜜を吸いに来たらしい。そういえば、藪枯らしはスズメバチの蜜源となるから取った方がいい、とどこかで聞いたことがある。そのつもりはなかったものの、梅を思えば他に仕方もないか、と目を落とすと、そこにはフェンスがあって、その向こうに広がる敷地から生える藪枯らしに絡みつかれて草の壁をなしていた。いずれ豊かな庭であった。

 続きをしていた所に驚嘆の声がして、「これ、見てくれ!」と向こうで紅葉を剪定していた西田に呼ばれて行ってみると、ほらこれ、傷ついてるやろ、と枯れ枝を指して、多分セミが卵を産んだ跡ちゃうかな、セミは枯れ枝に産卵するからな、と枝先を詰めてから、偶にはこうして根元を残しておくのだと言って、また次の剪定にとりかかる。私はといえば、風が枯れ枝から吹き折るのにならって、いずれ落ちるような枝は先に取ってしまえばそれだけ光も風も抜けていいものとばかり思っていた。そもそもこのような傷はかつて見たこともなく、セミがどのようにして子孫を残すのかについては考えたこともなかった。

 またしばらくしてから、「これもや!」と声がしたので行ってみると、今度の枯れ枝にはさらにたくさんの傷がついていた。多分ツノゼミちゃうか、と言うので、てっきりそういうセミの産卵跡かと思って見ていると、黒いのおるやろ、二匹、と指を差す。そこでようやく、二匹の黒いカメムシのような虫が、意味深な間隔をとって枝にくっついているのが見えてくる。セミとカメムシは親戚やからな、だって顔似てるやろ、と聞かれて、セミはまだしもカメムシの顔をはっきりとは思い出せないそばから、これも切りたかったけど、しゃあないな、と置き去って、手早く次の枝を剪定しはじめる。その背中をつくづくと、庭師がここにいるという感慨をもって眺めたものだ。なにも肩書きの話ではない。知見と、その振る舞いによって、庭師が今に浮き彫りとなるのを、私はこのとき見たのだった。

 「わたしも自分のこと、庭師だと思います」と言ったひとがある。私がまだ大阪の造園会社に勤めていた頃、月白(*3)で珈琲について話す機会があった。それはもっと以前に、私が福岡に住んでいた頃には月毎の習慣としていたもので、その時々に考えていることを月白で話すという口語連載「月白にて」(*4)の、第十夜を数えたその夜の、会もお開きとなった席でのことだった。

 それまで珈琲についてはあまり深く意識することもなく、ただ気分のいい飲み物だと思って飲んでいたに過ぎなかったが、あるとき会社の同僚と、庭仕事の合間に庭で珈琲を飲めたらどれだけいいだろうという話になり、せっかくなら自分で珈琲を淹れたいと本に学んでみれば、これが実に面白く、中でも『珈琲屋』という、その界隈で知らないひとは居ないであろう珈琲美美びみの森光さんと、大坊珈琲店の大坊さんによる対談をおさめた一冊にはいたく惹きつけられ、その夜も様々に引用しながら、珈琲と庭との結節点について話をしたのだった。

森光「あのね、モノとコト、物事と言葉の関係性があるでしょう。モノを一生懸命見る人はたくさんいるんだよね、モノを見てその奥を探そう探そうとする。でもコトっていうのも非常に大切なんだよね。それはモノに対してのコトで、それはふたつでひとつの物事なんだ」

──大坊勝次、森光宗男『珈琲屋』(*5)

 と、それからすぐ後に、「今の珈琲屋さんって、モノでしか見ないんだよね」(*6)と続く。それは植木屋もまた同じことではないだろうか。たとえば庭を、植物というモノでしか見ないあまりに、それらを保護するという名目で撒かれる薬によって、庭はどれだけ汚されてきたことだろう。時期になれば植木屋は消毒といって、その実は毒薬を詰んだ軽トラックで町中を奔走する。しかし虫がいなくなればかえって植物も生きづらくなるということは、庭もまたモノとコト、ふたつでひとつの物事であるからだ。

 わたしも庭師だと思います、と言ったことの真意も、聞けばここに掛かっているようだった。

 「わたし、虫があまり好きではないんですけど、最近引越しをして、そこには庭があったので野菜を育てようと思って、土を掘ってみたんです。そしたらダンゴムシがいっぱいいて、そのとき、よっしゃ!って、思ったんです。今でも家の中で虫が出たりすると怖いんですけど、庭のダンゴムシはいい土をつくってくれる、それで野菜がよく育つと思うと、なんだか嬉しくなって」

 たとえ虫というものが苦手であったとしても、そこに庭があれば、庭という関係性、植物と虫との関係性ということが何となくでも分かれば、自分の好き嫌いについてはひとまず括弧に入れようと心がはたらく。これこそが庭師的な物の見方ではないか、とこの言葉を振り返ることから展開して、西田とともに不定期で配信している庭のポッドキャスト『庭声』(*7)において話したところでは、虫でも何でも好きになりましょうと啓蒙するのをよく見かけるが、それもまた違うのではないか、と続けた。たしかに好きなほうが良いような気もするが、好き嫌いはどこまでもいっても個性であって、それはバラバラでかつどうしようもないものだから。それに好きだから殺さないのと同じ理由で嫌いだから殺してもいいということになりかねない。似たようなもので可哀想も間違えやすい。とかく主観は間違えやすいと。

 身の危険を感じた場合はどうか。あのとき、防衛本能から、私はどうかするとスズメバチを殺していたかもしれない。するとどうなったか。物として見れば、一匹の蜂がそこで死んだということに他ならない。しかし事として見れば、その蜂が生きていれば運んだかもしれない花粉がそこで絶たれ、そのせいで実る筈だった果実が失われ、それを食べていた虫が絶え、その虫を食べていた鳥もいつしか消えて──と、こうした事々のつらなりによって、未来の庭がつくられていく。さわらぬ神に祟りなしか。いや、たかが一匹のスズメバチであれば、代わりはいくらでもきくだろう。あるいは複雑な生態系に対して、これはあまりにも単線的な物語かもしれない。だが、塵も積もれば山となりはしないか。咄嗟に手が出たというならまだしも、庭に薬を撒くということは、その見た目は穏当ながら、知らず死の山を積むことになりはしないか。そうした死の山のつらなりの末の、この今が、すでに失われた未来であったとすればどうか。

 近頃はスズメをめっきり見なくなった、とあるとき聞いた。それはとても意外に響いた。めずらしい鳥ならまだしも、スズメは最も見かける鳥のひとつであったから。そう尋ねると、どうやら見るというよりは、音がしなくなったのだという。日暮れになって帰る道で不意に轟音が鳴ったかと思うと、途端に黒い影が千々に舞って驚かされるのを、何事かと見れば大量のスズメであったということが、昔はよくあったそうだ。博多駅の筑紫野口の方などは本当に凄かったけど、いまは街路樹も減ったからね、と言う。

 気になって調べてみると、スズメはこの二十年の間に、八割方減ったと推定されているらしい。二十年前といえば、私はまだ小学生であり、鳥に特別の興味もなかったからは思い出せる筈もない。これを世代間の健忘と呼ぶらしい。減った原因としては、木造建築の減少によって巣作りが困難になったこと、巣材となる草の減少、種や虫などの食べものの減少、天敵から身を隠す樹木の減少等々、多岐に渡るそうだが──そうしていずれも庭の問題に他ならないとも思えるのだが──、現に減ってきているという事実にもまして、こうしたことを健やかに忘れていまを生きているということが、にわかに不気味に思えてくる。

 そのスズメを、庭師として生きていくための屋号に据えたのが、他でもない西田であった。彼がまだ造園会社に勤めていた頃に、個人でも仕事を受けることになった際に「suzume」という屋号をつけたとき、私はその含みに感動したのだった。普通、造園界隈の屋号といえば、自身の苗字にくわえて造園や庭園、gardenとつけるか、何かしらの植物の名前から取ってつけるか、植物から抽象して緑、greenとつけるのが、大方の名付けだろう。その虚をついて、鳥の名前、それも身近なスズメから取ってつけるということは、庭が植物だけの場所ではなく、あるいはひとだけでもなく、それは鳥の場所でもあること、ひいては生類の──という庭の根幹を、暗に示している。それがひと言で、suzumeと名乗るだけで伝わる可能性に惹かれたのだった。

 そのような感動をよそに、suzumeの評判としては、可愛いとか、どうしてよりによってスズメなのかといった反応がやはり大半ではあるそうだが、スズメにかぎらず、庭で働いていて度々感じるのは、鳥がやってくる庭はいい庭だということだ。そこでよく見かけるしょうの、そのほとんどは鳥の仕業であり、鳥は虫を食べることで生態系をつくり、枝に飛び乗ることで剪定もしてくれる。そのように生きながらにして庭師である鳥たちに、いつからか自分の仕事をかさねて見るようになっていたこともあり、私も庭師として独立するなら鳥の名前をつけようと考えていた。沈黙の春に応えて、ということもあった。

 そうしたときに、偶然庭で出合ったのがジョウビタキだった。庭仕事をしていると、ごく近くにやってくる。うつくしく、それでいて見なれない鳥だと思って調べてみれば、秋にかいから飛来して、春に飛去する渡り鳥らしく、その名の由来は、「ヒッヒッ、カッカッ」という地鳴きが、火打石を打ちつける音にきこえることからタキ、ジョウは銀髪を意味するじょうからきているという。このことを知ってから、ジョウビタキが鳴くのをきくたび、生きるために、一所懸命に、彼は火を焚こうとしているのだと思って、益々惹かれていったのだった。

 そうしてその姿に、昔から折に触れ読んできたある詩のかさなったときが、これが私の「ヒタキ」と名乗る決め手であった。それは、河井寛次郎の『いのちの窓』という詩の前編「火の誓い」におさめられている「焚いている人が 燃えている火」(*8)という一文。この詩を読んだときに思い浮かべたのは、冷え切った身体をみずから温めるために、黙々と火を焚く人の姿であった。それを遠くから見ていると、彼自身が火のように映る瞬間があったのではないか。あるいはそこに火を求めにやってきた人が、焚いているその人に火を見たのかもしれない。「人が焚いている火に、ひとりで燃えている火があるであろうか」(*9)とは、寛次郎によるこの詩の自解である。いずれにせよ、最初は自分が温まるために焚いた火かもしれないが、それはときに他の存在をも温めることもあるのだと私はとった。これがまた、庭をつくることで人間が恢復かいふくしていくことが、そのまま環境の恢復へとつながっていくような庭をつくるという、私の庭師としての主題ともかさなって、ジョウビタキの古名にあたるヒタキと名乗るに至ったのだった。
 それはもうすぐやって来て、淋しく澄んだ声音で鳴くだろう。するともう、秋も本番である。

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*1 suzumeの西田
https://twitter.com/yuki_nsd?s=21

*2 微花
https://kasukamagazine.stores.jp/

*3 福岡にある、喫茶室と展示室(ときに本屋)からなるお店。https://tsukishiro-ametsuchi.com/

*4 「月白にて」
https://note.com/ryomaishiyaku/m/m269bd3c0e3a1

*5 『珈琲屋』(大坊勝次、森光宗男、新潮社、2018)87頁

*6 『珈琲屋』(大坊勝次、森光宗男、新潮社、2018)88頁

*7
きっと耳を澄ますにつれ
庭がどこまでも広がってスウスウ
流れこんでくること請けあいのラジオ
『庭声』の第四回——「虫のことは嫌いでも庭のことは嫌いにならないでください」より
https://note.com/1489/n/n163354ec07d5

*8 『火の誓い』(河井寛次郎、講談社文芸文庫、1996)192頁

*9 『火の誓い』(河井寛次郎、講談社文芸文庫、1996) 230頁

*写真© suzume 西田

◎プロフィール
石躍凌摩(いしやく・りょうま)
1993年、大阪生まれ。
2022年、福岡に移り住み、庭師として独立。
共著に『微花』(私家版)。

Instagram: @ryomaishiyaku
Twitter: @rm1489
note: https://note.com/ryomaishiyaku

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第1回 はじめに
第2回 私という庭師のつくりかた
第3回 うつわのような庭
第4回 胡桃の中の世界