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推し、したたむ。✿第4回|実咲

第5話、藤原行成ゆきなり、今回も登場しましたーーーーーー!!
しかも前回比で体感3倍は喋っていませんでしたか?
しかも歩くシーンまであり、一週間ぶりの素晴らしい推しの供給でした。

今回も道長、公任きんとう斉信ただのぶ、行成が同じ空間にいる、若手貴族の揃い踏み。
ちまたの大河視聴者には、この4人を指してF4と呼ぶ人もいるようです。
また、兼家かねいえと道長が会話をしているシーンでこの集まりは「四条宮しじょうのみや」で行っている勉強会だったことが明らかになりました。
「四条宮」とは公任及びその父頼忠よりただの屋敷のことで、現在の京都市四条通西洞院にありました。
今では京都の中心部でとてもにぎやかなエリアです。

この公任と斉信の間にはさまれ、行成は何ともかわいそうなポジション。
右と左とで政治情勢について語る若い二人。仲はきっと悪くはないのでしょうが、立場の違いもあって一触即発の気配。
特に花山天皇のおじである義懐よしちかの名前も出ますが、彼は行成にとっても近親者。変にかばうのも難しそうな立場で、気まずそうな顔をしています。
血の気の盛んな若者同士に口を出して割って入るには、一番年下で気がよくついてしまう、出世レースは出遅れ確定勢の行成にとってしてみれば、やりにくい場面だったことでしょう。

そして、行成役の渡辺大知さんのコメントが公開されました。
私がずっと思い描いてきた、行成の人物像にぴったりでスタンディングオベーションの心地でした。
ありがとうございます一年間大船に乗ったつもりでついていきます!!

行成が道長に気をつかって、主人公のまひろ(後の紫式部)へ送る恋文(?)の代筆を申し出るこのシーン。
ここで道長はあっさり断ってしまうのですが、思わず私は叫んでしまいました。
「もらっておけ!! 将来の国宝だぞ!!!!!」

連載の第2回でも触れましたが、行成は書の達人として名をせた人です。
後に和様書道の大成者と呼ばれ、三せき(平安時代三大美文字)の一人に数えられています。
その後子孫は書の家として続き、残念ながら現代まで家系は残ってはいませんが 、後々まで世尊寺流として受け継がれていました。
その行成の直筆とされる書の一つ「はくかん」は現在東京国立博物館に収蔵されている国宝です 。
これは、中国の唐の時代の文学者、はく居易きょいの詩文集「白氏文集」を編纂し書写されたものです。「白氏文集」は当時の貴族たちに大変流行していたテキストでした。

私が最初にこの「白氏詩巻」の筆跡を見ることができたのは、京都国立博物館で開催された特別展「宸翰 天皇の書 ―御手みてが織りなす至高の美―」でした。
ようやくお会いできた、推しが触れて生み出した美しい文字。
ど平日で誰もいないのをいいことに、ずっとそのガラスケースの前にたたずんでいました。
あの時の感動と、胸に迫りくる鼓動はなかなか忘れられるものではありません。
この美しい筆跡が受け継がれ、いま目の前にあるのだという興奮はたまらない瞬間でした。
2012年の開催ということに、いま軽くめまいがしましたが……。

他にも2016年に大阪市立美術館で開催された「王羲之から空海へ 日中の名筆 漢字とかなの競演」や、2017年に京都国立博物館で開催された「開館120周年記念 特別展覧会 国宝」などで公開されていたので、その筆跡を見た方がいるかもしれません。

行成は、今回の「光る君へ」の時代では揺るぎなきナンバーワン美文字の人です。
しかもこれが後の紫式部宛の道長からの文だったとしたら……。
ぜひ実際まひろに送らずとも、行成に一筆書いてもらって蔵にでも入れておくべきです。
むしろ書いてもらってくださいお願いします!!
行成とは違い、道長の血筋は現代まで受け継がれています。
きっとお家の家宝になっていたに違いありません。

この後の歴史では、道長はたびたび行成へ書家としての依頼をすることになります。
芸は身を助く、ではないですがそれが行成の出世の一つの武器になる場面もあるのですが、それはまたの機会に。

(続く)

書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。