星の味 ☆3 ”自由の訓練”|徳井いつこ
自由とは何だろう?
そんなことを考えたのは、トーベ・ヤンソンの『島暮らしの記録』を読んだからだった。
カバーには簡素な島のモノクロ写真。ページを繰ると、最初にこんな文章があらわれる。
「わたしは石を愛する。海にまっすぐなだれこむ断崖、登れそうにない岩 山、ポケットの中の小石。いくつもの石を地中から剥ぎとってはえいやと放りなげ、大きすぎる丸石は岩場を転がし、海にまっすぐ落とす。石が轟音とともに消えたあとに、硫黄の酸っぱい臭いが漂う。」
なんと、やってることがスナフキンとおなじではないか?
『ムーミン谷の彗星』を読んだ人なら、スナフキンが唐突かつ盛大に繰りひろげる石転がしの場面を覚えているだろう。
すべての登場人物は作者の分身である?
とすれば、なんら驚くに値しない。
トーベ・ヤンソンは、子どものころから島の灯台守になろうと決めていたらしい。
灯台守にはならなかったが、生来のイスロマニア*(島偏愛狂)は拭いがたく、作家になったのち、ブレド岩礁を借り受けている。そして友人知人、ムーミンのファンで島が溢れかえるようになったのを避け、もっと遠い沖合のクルーヴ島にたどり着いた。1964年、50歳の年である。以来、およそ四半世紀にわたって、冬はヘルシンキ、夏は島という二拠点生活を続けた。
『島暮らしの記録』は、相棒の画家トゥーリッキ・ピエティラとともにクルーヴ島で過ごした日々を綴ったものだ。
離れ小島での暮らしが平易であるはずはなく、暴風、高波、竜巻、はたまた海鳥の襲撃、空き巣まで、各種困難が取り揃っていた。
天井まで薪でいっぱいにした薪小屋は、翌春来てみると、波によって一本残らず持ち去られ、空っぽになっていた。
岩だらけの島に木を植え、花を咲かせ、橋やら何やらで浜辺を手なずけようとしたが、試みは失敗に終わった。
トーベは書いている。
「まあ、人間には失策がつきものだ。だから、なんだというのか。ときには報われぬ恋をしているときのように感じ、万事がむやみに誇張される。度はずれに甘やかされ下手くそな扱いをされたこの島は生ける存在で、わたしたちを嫌っているか憐れんでいるかのどちらかである、と想像することもできよう。」
島に対するこんなもの言いは、いかにもトーベらしい。
ある日、大工が「氷解け」について語るのを聞いた。
「こいつを体験しなけりゃ物事のいろはもわかっちゃいないね」
三月、凍りついていた海に、突然それが起こる。
トーベは、本物の氷解けの現場に居合わせようと決意し、実行に移した。足を向けなかった冬に水上ヘリで上陸したのである。
「わたしたちは島の変貌に浮かれ、期待に胸を躍らせ、見境もなく雪の中を走りまわり、航路標識に雪玉をぶつけた。トゥーティは鼻づらを反らせた橇を薄い羽板で造り、わたしたちは岩山の頂上から凍った海をめがけて何度も滑りおりた。
はしゃぐのに飽きてしまい、腰をおろして感覚を研ぎすます。海は右も左も見渡すかぎり真っ白だ。そのときはじめて完璧な静寂に気づいたのである。
自分たちが声を低めて喋っていることにも。」
長い待機のあと、ある晩、それは起きた。沖合に響きわたる雷鳴、もしくは砲撃? 岩山に登って様子をうかがったが、何も見えない。小屋に戻り、横になった。
そこで突然、本の白眉と言いたいような言葉が書きつけられる。
「わたしはぜったいに赦さない。自分の究極の理想が問われているときに、待ちつづける根性のない人間を。」
激しい言葉だ。取りも直さず、自分に向けて放たれた……。
19歳の時、ヴィスヴィオ火山の噴火に出くわしながら、ホテルに戻り、紅茶を飲んで寝てしまった。そしていま、また、うかうかと眠り込んでしまった。
「眼がさめると、海一面が氷解けだった。信じがたい隊列が穏やかな南西風に運ばれて通りすぎていく。眩くきらめき、路面電車とも大聖堂とも太古の洞窟とも見紛うばかりの、そう、なんでもありの壮大さで。しかも気の向くままに、冷たい青、緑、――夕暮れには橙へと、色合いを変える。早朝には薔薇色に染まっていたのだろう。」
だれに見られることもなく、この上なく贅沢な祭典が粛々と繰り広げられていた。
トーベの言う「究極のイデー」とは、そこに「居合わせる」ことだったにちがいない。刻々に変化し、驚きに満ちた世界を目撃し、参加すること。
「リベラルアーツ」という言葉がある。
「一般教養」と訳されるが、私はこっそり「自由の技術」と訳している。
リベラルアーツは大学の科目ではない、人生の科目だ。いわばそれは、自由の技術を体得する訓練なのだ。
それなら、自由とは何だろう?
辞書に書かれているように、何の制約も束縛もないことだろうか?
もし制約や束縛を緩和し、障害を除去することによってしか自由が得られないとすれば、人間は永遠に不自由だろう。
自由とは、この世界を宝物、あるいは尽きせぬ源泉として体験していることではないだろうか?
障害がありつつも、その障害さえ宝物として、能動的に体験しているとき、人は自由なのではないだろうか?
そのとき人は、はかない仮りそめの肉体に、宇宙の眼を宿している。
石、波、風、氷、海鳥、猫、溜まり水……ときに島それ自体にもなるトーべの目は、宇宙の眼だ。
人間のなかの人間、と呟いてみる。
*注)イスロマニア
ロレンス・ダレルの定義によれば、「じぶんが島にいる、海に囲まれた小さな世界にいると思うだけで、何ともいえない満足感に満たされる」人々