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すべてのひとに庭がひつよう|石躍凌摩

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庭師としての日々の実践と思索の只中から、この世界とそこで生きる人間への新しい視点を切り開いていくエッセイ。
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#庭師

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第13回|この道|石躍凌摩

*** 第13回 この道1 子どもの頃から今も変わらず、夏には負けてばかりいて、庭の仕事でもなければ、終日寝てやり過ごすのが関の山である。ひきこもりの性質ではない。むしろ私には、その才能があまりにとぼしく、一日家を出ないだけで簡単に鬱になってしまう。そのようなわけで、夏を通して、深くはないが果てしもないような軽鬱に見舞われることになる。家で倒れているほかなくなる。冬眠よろしく、夏眠である。 とはいえ熊のように覚悟を決めて眠り込むこともならない。三日も経てばさすがに毒が回っ

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第12回|雨庭|石躍凌摩

*** 第12回雨庭 梅雨の晴れ間を盗むようにして伺った月白を、掠めるようにして雨がざっと降りつけたかと思うと、すぐにまた静かになった空へふっと溜め息をもらした客人の様子を見て、雨はおきらいですか、と店主が尋ねる。それはきらいですよ。服は濡れるし、地面は|泥濘むし、外に出るのがおっくうになります、と客人は答えた。 「僕はあんまりそれがなくて、雨でも関係なく出かけますね」 「本当ですか、珍しいですね」 「雨はどこも人が少ないので、むしろラッキーだって思うこともある」

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第11回|猫の消息|石躍凌摩

*** 第11回猫の消息1  暦に春ときこえても、春色はまだととのわず、鳥のさえずりばかりの春か——立春にはきまって、そんな心持になる。そうしてこの春は鳥ばかりでなく、猫も鳴いた。  この二月まで住んでいた家の辺りには、見覚えのあるかぎりで五、六匹の猫がいて、色も柄も様々に、おそらくはみな野良であった。そのうちのどれかは分からないが、春の立つか立たないかに、夜になるとしきりに鳴くようになった。にゃあにゃあやるうちはまだ可愛いものだが、夜にきこえてくるのは咽喉を震わせて唸る

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第10回|こころ|石躍凌摩

*** 第10回こころ1  思えば私は生まれてこのかた、ひとの心に関心を寄せたことがあまりなかったと、漱石の『こころ』を読んで感動し、それからまた辟易するようにして、そう気付いた。そこが自分の倫理的な弱点であったのだと。そうして、おそらくは心と関わることの不得手なために、そこから逃れるようにして、私は庭に行き着いたのではないだろうか。  ところがここまで庭のことを書き連ねてきて、ようやく私は、そこからひとの心を考えてみたいという気になった。心を避けるようにして至り着いた

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第9回|イッテで、ゴドーを待ちながら|石躍凌摩

*** 第9回イッテで、ゴドーを待ちながら1.庭師性  窓の向こうには灰色のテラスが広がっていて、さらに向こうに見える無機質な建物群に四方をすっかり囲まれている。いかにも殺風景な眺めだが、窓辺から店内に張り出した土壁のソファに腰掛けてみれば、四方の建物が途端に額縁のようにはたらいて、そこにくっきりと空が映えている。  いま店に来て、土壁のソファに腰掛けて、ゆっくりとお茶をする客人の心になってみれば、この殺風景な眺めはどうにも頂けないが、空ならずっと見ていられる、とそう感じ

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第8回|場踊り|石躍凌摩

*** 第8回場踊り  日暮れも随分と早くなったものだと、すっかり暮れ果てた家路を辿っていると、何の変哲もない普段はひと気もない公園にひと集りができていて、何事かと見れば皆一様に、夜空に視線を注いでいる。どうやら月が、そうさせているらしかった。さっき月白(*1)から出たときに見た月が、果たして皆既月食のどの段階にあたるのか、月白へと向かう道にはすでに、赤々とした満月が夕空に浮かんでいるのを目にしていたが、ひとしきり話をしてから外へ出て見ると三日月のようになっていて、それが

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第7回|目ざましいものではなくてかすかなものを|石躍凌摩

*** 第7回目ざましいものではなくてかすかなものを  冷蔵庫から|甕を取り出して中を覗くと、その時々で違った香りが鼻腔をくすぐる。きょうのは美味しく漬かっていそうだと右手をさしいれて、そのしっとりとした糠の中から、一週間ほど前に仕込んでおいた人参を取り出してみれば、もとの色からすこし糠色に熟れて、きょうのは色味からしてもいい塩梅に思われた。糠を水で洗い流し、水気を切ってからまな板で切り分けてうつわに盛る、その手つきの二回に一回はつまんでいると、たまらなくなってきて冷酒に

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第5回|鳥になった庭師|石躍凌摩

*** 第5回鳥になった庭師  暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだと、ここに来るまでにいくつもの炎天下を庭で過ごしてきたその末の、秋の彼岸の風に吹かれながら、もうだいぶ涼しくなったな、と同じように炎天下の庭仕事をいくつも経てきたであろう庭師の西田(*1)がつぶやくのを聞いて、この身のほどける思いがした。帰阪の折り、明日は福岡へ戻るという旅の締めくくりに、来月開店予定のとある飲食店の庭の手入れに来ないか、と西田に呼ばれて|随いて行ったこの日の、日ざしはつよいといっても彼

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第4回|胡桃の中の世界|石躍凌摩

*** 第4回胡桃の中の世界  中秋の名月の翌日に、染めもの屋ふく(*1)主催の「草紐の会」に参加してきた。気づくとどこにでも生えている苧麻(チョマ、カラムシ、ラミー)は、明治に入って綿が広く普及する以前には、これが衣服の素材の主流をなしており、かつては広く栽培され、工夫の末に糸が|績まれて、布が織られてきたという。それは今でも使われており、私がいつも被っている、作家・花月日(*2)の手になる種蒔帽と名付けられた帽子にも、亜麻と苧麻が経緯に織られた不均一さのうつくしい布が

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第3回|うつわのような庭|石躍凌摩

*** 第3回うつわのような庭 「庭があって、そこに森があるんです」 「森、ですか」 「そう、来たらわかると思います。そろそろ手を入れないといけないかな、とちょうど思っていたので、アトリエに来られることがあれば、それも見てほしいんです」  陶藝家・|金澤尚宜と、その妻さちによるユニット「あよお」(*1)の、かれらが独立してからは初となる個展が月白(*2)であって、うつわを見ながらそれらひとつひとつの奥にある話を聴いているうちに、かれらが窯を据える天草に行ってみたくなった

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第2回|私という庭師のつくりかた|石躍凌摩

*** 第2回私という庭師のつくりかた(一)  かねてから、私はずっと何者でもなく、また何者にもなりたくはなかった。そのような私にとって、自己紹介というものは長らく、そうして今でも、至難の業である。いったい、何を語ればよいというのか。知らずに生まれて、気づけば生きていたというのに、この生のどこに、ひとは掴みどころを見出すのか──このような気分は、今となっては随分と鳴りをひそめているが、なおも私が何者でもないということは、この生の根本的な気分をなしている。  そうしてこれ

【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第1回|はじめに|石躍凌摩

*** 第1回 はじめに 「この帽子、自分でつくったの」  それは世にも素敵な帽子だった。それがひとの手と、庭に生えているものだけでつくられたとは、とうてい思いもよらなかった。事もなげに、といった様子で、彼女は話を続けた。  「アトリエの庭に、あるときからチカラシバが生えてきたのを、株が大きく広がるからどうしたものかと、なかば困って、けれどなかばは好きでとっておいたその葉を、いつかふいにさわってみたら、イネ科にしてはやわらかい──これは、紐になると思った。かねてから、ラ