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星の味 │ 徳井いつこ

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日常のふとした隙間、 ほっとため息をつくとき、 眠る前のぼんやりするひととき。 ひと粒、ふた粒、 コンペイトウみたいにいただく。 それは、星の味。 惑星的な視座、 宇宙感覚を…
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#詩集

星の味 ☆14 “世界という魔法”|徳井いつこ

 エミリー・ディキンソンの詩を読むたびに、“エミリー・ディキンソン”だけでできている、という当たり前のことに驚く。  当たり前、ではないはずだ。言葉は私たちの共有財産で、より一般的なものを多く伝達するようにできているのだから。  彼女の詩はすみからすみまで、どこを切っても“彼女”だけでしかできてない。「純正」という言葉が、これほどぴったりな詩人もいないだろう。   自分自身という所有品のなんと   適切にみごとなこと。自分が   自分自身への発見に向かう   他の誰も見出せ

星の味 ☆12 “向こうから来るもの”|徳井いつこ

 人の記憶は、何でできているのだろう?  いつまでも消えない思い出がある。  瑣末な、どうでもいいような記憶がありありと残る。ある種の石ころが、引いていく波に連れ去られることなく、波打ち際に点々と残っていくように。  金沢の旅といえば、浮かんでくるのは、中華料理屋のテーブルだ。  町家を改造したそのお店はずいぶん繁盛していて、コップの水が置かれたきり、注文の皿はなかなか現れなかった。2時半を過ぎた遅い時間だったから、入れただけで安堵したのが、空腹も加勢してだんだん不安になって

星の味 ☆10 “見えないもの”|徳井いつこ

 地上には、星の味のするものがいっぱいある。  子どものころ、チャイコフスキーのバレエ曲「くるみ割り人形」のなかの“金平糖の精の踊り”が好きだった。  チェレスタのあの不思議な音色が鳴り始めると、からだが勝手に動きだし、ころころころがる砂糖菓子になっているのだった。  いっぱいの、色とりどりの小さな球体が、それぞれに均一な突起を持ち、半透明に輝いている。星空を独り占めしてるみたいなわくわくと、口に入れたい誘惑の板挟みに陥るのが金平糖だった。   金平糖は   夢みてた。

星の味 ☆8 “闇から始まる”|徳井いつこ

 夜、部屋を真っ暗にして眠ると、いいことがある。  窓近くの床に、光の線がひとすじ落ちている。  カーテンの隙間からさしこむ月の光は、満月に近づいてくると、いよいよくっきり輝いて、こんなに白かったかと驚かされる。  光の線を、素足で触る。右から左、左から右に。  指先で拭う。拭ったところで落ちるわけではない。  落ちない光の、なんとたのもしい……。  ずっと昔から好きだった詩に、ハンス・カロッサの「古い泉」がある。暗闇から始まる十数行の文章が、果てしない生命の旅を続けている

星の味 ☆7 “夕暮れをめぐる”|徳井いつこ

 本に没頭しているうち、すっかり暗くなってしまった。  明かりをつけようとして、思いなおす。  外の世界が青く染まりはじめ、部屋に薄闇がしのび込んでくる夕暮れどきは、いつもためらわれる。  読み続けるには、いささか暗いが……明かりを点けてしまうと、何かを閉めだしてしまう気がする。  ハンス・カロッサの『指導と信従』を読んでいた。  風変わりな題のこの本をときどき開きたくなるのは、リルケとの最初の出会いが書かれているからだった。  カロッサが「嘆きの調子を含んでいる頌歌」と呼

星の味 ☆2 ”人ではない”|徳井いつこ

 詩集は不思議だ。  ひらくたび、違う詩が目にとまる。  初めて読んだように沁みてくる。  ひらくそのときどきが、毎回、新しい出会いなのだ。  昔、クルド系イラン人の友人宅を訪ねたとき、詩集占いをしてくれたことがあった。羊や豆を煮込んだ夕ごはんを食べ、小さなグラスに何杯もお茶を飲んで、もうお腹いっぱい……とみんなが暖炉の周りに腰を下ろしたとき、友人は待ってましたとばかり分厚い詩集を取りだしてきた。  それはスーフィーの偉大なる詩人ルーミーのもので、ひとりずつ順番に本を手にと