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田舎の毒物、その存在価値

 サイゼリヤもない、IKEAもない。ドンキやウーバーイーツは辛うじて息をしているけど、タワーレコードもサブウェイもとっくの昔に撤退した。
 あるのは四方を囲む山々と煌めく満点の星空、無数の小島が浮かぶ海、あとチャイナハウスすけろく。
 そんな四国の片田舎の町を、私は今日も弩派手な金髪で、元気に平日昼間から独り闊歩している。

 生まれてこの方、瀬戸内海を越えた街で暮らしたことはない。三十年も四国に居座っていれば、この島国の嫌なところもいいところもひととおりは見えてくる。
 都心部への交通の便の悪さが致命的だとか、文化面での情報の伝達が年単位で遅いとか。
 いわゆるそんな様々な田舎のデメリットにおいて、私が特に不快だったのは「過剰なまでの他者からの視線」だった。

 誰と誰が付き合って別れて結婚して、誰が今どこでどんな仕事をしていてこんな理由があってあそこに引っ越して。知っていて別段得するでもない他人の情報を、どこまでも明け透けに共有し、無駄に目を引く個性的な出る杭を打つ。
 事実そんな空気が嫌で、私は地元を出て愛媛に来た。けれど正直同じ陸続きの場所では、結果としてそこまで大差はないと感じていた。
 自分に対しての他者の無関心さが心地よい。田舎から都心部へ行った人の多くは、その言葉をよく口にしていたイメージだったから。

そんな四国の片田舎で、私は数年前にフリーランスのライターとなった。
 決まった時間に起きて決まった場所へ出社する勤労生活とはおさらばして、髪もファッションも最低ラインとしての大人のTPOは弁えつつ、まあある程度好きにやらせてもらっている。
 そんな環境の変化のひとつが、数か月おきに変わる奇抜な髪の色というわけだ。

 判を押したような一般人ではなくなった私が、過剰なまでに他人を気にする片田舎でどう扱われるようになったか。
 石でも投げられる程度のことは覚悟していたけれど、これが面白いことに何も変わらない。
 変わったのは私自身の「田舎では過剰なまでの他者の視線がある」という
、三十年をかけて熟成し凝り固まっていた偏見が、それはもう見事に跡形もなくぶっ壊れた点だけである。

 街を金髪で闊歩したとして、誰も私のことをジロジロ見たりしない(わからない、ヤバい奴だと思われて無視されている可能性もある)。「綺麗な髪色ですね」という言葉は、概ね一旦は言葉の額面通りに受け取るようにしている(わからない、私が単純に自分への悪意に死ぬほど疎いだけかもしれない)。
 私がフリーランスのライターとして食っていけている理由は、そんな奇特な仕事に従事する人間がこの田舎にそもそも少なすぎて、稀少な需要側としてどうにか供給にマッチしただけの話だ。
 一般人とは違う、明らかな出る杭となった私。そんな私に待ち受けていた田舎での生活は、思っていたより大きな変動も革命もない、快適なごく普通の暮らしだった。

 それでも私が気づいていないだけで、こんな私を街中で見かけて不快に思ったり、奇特な目で見ている人は必ずいるだろう。人間、世の中の最低二割の人間には絶対に嫌われるようにできているらしい。
 三十路、金髪、人妻、稼業はフリーランスライター。
 よその町に比べて保守的な人が多いこの場所で、どちらかといえば私の特殊ステータスは明らかに異質だ。さながら腫れ物や、それこそ毒物のように。私のことを触れないように扱う人も、きっと存在するであろうことも、重々承知のつもりでいる。

 それでもこの田舎だからこそ、私はきっと毒物でいられる。
 金髪頭の三十路フリーランスなんて、働く事の自由化がコロナ禍でどんどん進む今、東京や大阪では多分掃いて捨てるほど居る。他にはない異分子で異端な毒としてこの田舎に住み続けるからこそ、文字通り私は生きていられる。
 そう思うとこの田舎も、田舎の毒である己の立ち位置も。存外悪くないもんだな、と、最近は感じることも多くなった。

 別に人と違うことが偉いわけでない。社会人として嫌な事を我慢しながら真面目に働いてる方がよっぽど偉い。私にはそれができなかっただけの話。
 近年いい面ばかりが取り沙汰されているが、自由には当然責任がつきまとう。職業:自営業の生活は常に時間とお金との孤独な戦いだ。フリーを志望する人間がいたら志望動機にもよるが、大体の場合私は開口一番に「やめておいた方がいい」というだろう。
 コロナ禍でフリーライターという職業に憧れる人間も増えているらしい。けれど現実はそんなに甘くはない。業界未経験の人間が最初に陥るのは、1文字0.5円以下のクソ単価案件フェスティバル&月収平均5万円の生活が半年以上続く地獄だというのが本当のところだから。

 相変わらず新幹線が開通する気配は微塵もないし、唯一の直行手段である空路で都会に出ようとすると簡単に諭吉が数枚飛んでいく。
 それでも私は、今日もこの四国の片田舎で。異質で異端な「毒」として、毎日ご機嫌に生きていこうと思う。

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 同じくフリーランスとして南予で頑張っているカメラマン・ミズモトセイジくんが主催していた個展「愛毒」に寄稿させて頂いた原稿でした。

 田舎×毒というテーマ、書いていてとても楽しかったです。ありがとうございました~!またぜひ一緒に何かやりましょ~!